ミレリヤ・アザール3
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美人は三日で飽きると言ったのは誰だろうか。エーファだろうか。
彼女はよくこんな人間離れした容貌の人にぼーっと見惚れずに、怒ってペシペシと叩けるものだ。
カナンは可愛い系だと思う。というか、大型の鳥人でない限り動作が可愛らしいのだ。カナンを訪ねてさまざまな鳥人がアザール家にやって来るが、遠目でもワシやタカの鳥人は綺麗だが威圧感があった。
マクミラン様は野性味に溢れており、さらに銀髪で神秘的な外見だった。クロックフォード様は知的で少し神経質な印象を受けたけれど、二人ともかなり綺麗な人だ。
しかし、目の前の竜人だと紹介されたリヒトシュタイン様はそんな美醜感覚を吹き飛ばす。絵の中でしか存在しないような容貌だ。
今、竜人はエーファの腰を抱こうとして叩かれている。
「女性の話は長いの。まだまだかかるから帰って」
「ここの主人はエーファではない。俺がいてはいけないか聞いてみよう」
突如庭に現れて小鳥を気配だけで気絶させた竜人は、明らかにエーファをからかっている。
ミレリヤは小さく口笛を吹いた。やや迷惑そうにカラスが窓までやって来て……竜人を見てから転げた。ミレリヤは竜人を目の前にしても見惚れるだけだが、鳥たちは違うようだ。
「カナンを呼んできて」
起き上がったカラスに告げると珍しく素直に頷いて飛び去った。いつも伝言を頼むと面倒そうにするのに。その図太さゆえに小鳥のように気絶していないのだろう。
「今、カナンを呼びました」
竜人はエーファの髪の毛を弄びながら頷いた。エーファは相変わらず彼の胸や腕を叩いているが竜人の様子から推察するに慣れているようだ。それに、叩いている割にはあり得ないほど距離が近い。隣に座っていて膝や腿なんてくっついているのに竜人はさらに近づこうとしていた。本当にエーファは竜人の番になったようだ。
「ごめん、リヒトシュタインがいると大抵みんな庭の小鳥みたいになるから……今日は来ないはずだったんだけど」
「エーファの旦那さんにも会いたかったから良かったよ。私は竜の臭いって全く分からないし、勉強もしてないから魔力で察知もできないから全然平気」
「ほら、エーファ。友人はとても出来た人だ」
「あなたがもう来ちゃったから追い返せないんでしょうが」
エーファはよくこんな美形を前に平気でいられるものだ。二人のやり取りを見ながらミレリヤはただただ感心する。
エーファの元婚約者は確か幼馴染だと聞いた。子供の頃からずっと一緒だったと。もしかすると、エーファは恋愛面では経験がほとんどなくてポンコツなのだろうか。魔法の練習ばかりしていたようだし。何歳児なのかというようなじゃれ合いを見るに。
ミレリヤだって経験はない。そもそも継母と義妹の気まぐれで偶にパーティーに出ていただけだ。それも流行遅れのドレスを着せて笑いものにされるだけだから、出会いなど後ろ暗い令息に声を掛けられたくらいしかない。
でも、隠れて本はよく読んでいた。恋愛ものだってたくさん読んでいた。ただそれだけではあるが。
しばらく観察していると、エーファは気付いてバツが悪そうにして今度は竜人を無視することにしたようだ。
「双子ちゃんに恐怖体験させないようにしようと思ったのに」
「大丈夫だと思うよ。泣き声聞こえないもの」
エーファの髪を竜人は相変わらずいじっている。
「そういえば、その服。変わってるね」
「あぁ、竜人は大体こういうの着てるみたい。天空城だとみんなこんな感じ」
エーファと竜人の着ている服は普段からミレリヤが目にするものと少し違う。ミレリヤはアザール家から出たことがないのでカナンのような格好を皆が皆しているかどうかは知らない。
足首まで隠れるワンピースのようで、体に巻き付けて腰紐で縛るタイプのようだ。袂は異様に長く、生地はどう見ても高級品だ。もしエーファがポンコツでも、細かく入っている服の刺繍が後ろの竜人のものとお揃いであることには気づいていている……よね?
その後は震えるカナンが部屋に入って来て、竜人は滞在の言質を取っていた。傍から見ていると、カナンが怯えすぎて脅迫しているようにしか見えなかったがあんなカナンを見るのは初めてなので少し面白い。
獣人や鳥人は人間を弱いものと見て平気で軽く扱っている。ずっとそう感じていた。でも、その獣人や鳥人が竜人には怯えてヘコヘコする。一方の竜人はエーファの髪をいじりながらカナンにひとかけらの興味もなさそうだった。なんだか胸がスッとした。
「ごめん、ミレリヤ。お手洗い借りるね」
「うん。廊下出て曲がってすぐだよ」
「ありがとう。ほら、リヒトシュタインも来て」
「なんだ、一人では不安なのか。そんな可愛らしいところがあったのか」
「あなたが部屋に居座ったらミレリヤが気を遣うでしょうが!」
ギャアギャア言いながらエーファが竜人の手を引いて出て行く。
さすがに二人きりにされると何を話せばいいか分からないので助かった。カナンは震えて完全に怯えていたので部屋から出てもらっている。子爵家の執務でもやっていればいい。好感は持っているが、四六時中張り付かれていることに慣れていないので疲れるのだ。実家ではずっとほったらかしだったし。
ガチャリと扉が開いて竜人だけが戻って来た。手には新しい紅茶のポットの乗った盆がある。
「廊下にいたらこれを持って来た使用人が俺を見て気絶した。こぼれてはいない」
「あ、ありがとうございます」
客人にこんなことをさせてしまったと恐縮しながら、盆を受け取る。
「お前はあの鳥と番になって良かったのか?」
ミレリヤはこぼさないように盆をテーブルに置いた後、ゆっくり顔を上げた。竜人の目って金色なんだ、という関係ない感想を頭から追いやる。
「盗み聞きする鳥はいない」
ミレリヤがすぐに返事をしなかったせいか、竜人はそんなことを言った。気にしていなかったが、教えてくれるのはありがたい。それに、金色の目を見ていると嘘をついてはいけない気分になってくる。
「私はエーファのように強くないので。虐げられた実家から抜け出せて、日々何の不安もない暮らしができるのなら誰でも何でも良かったのです。愛する人も母国にいませんでした」
「その割にはあの鳥をうまく転がしている」
「オシドリにとって最初の番はいくら特別だといっても、彼に飽きて捨てられたら私は路頭に迷うだけですから。それならうまく取り入って安寧に暮らした方がいいです」
エーファはきっとそんなことしないだろうけど。ミレリヤはカナンの腕や胸を叩くことなど絶対にない。カナンに対して怒ることもない。
マルティネス様もミレリヤのようには生きないだろう。エーファはとても強い人だが、マルティネス様は弱くて不器用で、でもここぞという時に決断できる潔い人だ。
「なるほど、人間は強いな」
「私が弱いだけです。軽蔑したのではありませんか?」
「俺たち竜人は強い。とんでもなく強い。だから弱者の生き方など分からないが、そういう生き方もあるのだろう」
カナンはこの人のどこが怖いのだろうか。この竜人は確かにとんでもなく強いのだろう。魔力量とか気配なんて分からないが、偉ぶったところが一切ない。
ヴァルトルトの社交界にもたくさんいた。父だってそうだった。小物ほど偉ぶっているのだ。本当の大物は偉ぶる必要がない、だって何もしなくても偉いし強いんだから。この竜人はまさにそういうことを体現している。
「一つ聞いてもよろしいですか?」
「なんだ。許そう」
「エーファのどこを好きになったのですか? 私は彼女が私の生き方を否定しないところと、尊重してくれるところと、真っ直ぐなところが好きです」
質問してからちょっとだけ後悔した。不躾な質問を最初にしたのはあちらだが、やはり無礼だったかもしれない。体の前で手をぎゅっと握った。
「エーファはトラのようでセミのような女だからな」
竜人って……表現が独特なのかしら。ミレリヤに伝わっていないことが雰囲気で分かったのか竜人は続ける。
「最も好ましいのは、気がとんでもなく強いところだ。特に、気を抜くとこちらが殺されそうなあの反抗的な目」
「なるほど」
「あれはいい。初めて会った時からあの目で見られるとゾクゾクする。それに番を騙して殺してまで逃げようとするのもいい。次に何をするのか分からない」
ほぅと息が漏れる。なるほど、だから叩かれていても少し嬉しそうだったのか。というか、この竜人は最初からエーファのことをきちんと見ていたのか。
「あれはエーファが甘えているんだ。気が強くてああいう甘え方しかできない。可愛いものだ」
「な、なるほど」
なるほどしか言えない。これは惚気だろうか。美形が言うと惚気でも崇高な言葉に聞こえるのが不思議だ。
金色の目が面白がるようにミレリヤを見た。カナンには一瞥もくれていなかったのに。
「俺を試しているのか? エーファの友人」
「いいえ。ただ、私は……先ほどの返答を聞いてエーファがこれ以上頑張って強くならなくていいんだと安心できました。ありがとうございます」
「どういうことだ?」
「人間の女が強くなるのは、誰も守ってくれないからです。寄り添ってくれないからです。特に愛した男が。だから女は強くなるしかなかったんです。エーファの場合は違うかもしれませんが……本当は守って欲しいし愛されたい。自分だけを愛して欲しい。でもそれが全く叶わないから自分たちで強くなりました」
ちょっとだけ主語が大きいかもしれない。続きを促すように金色の目が細められる。
「竜人様を見て分かりました。あぁ、もうエーファはこれ以上血反吐を吐きながら精神的に強くならなくていいのだと。あなたはちゃんとエーファのことを見て受け入れる人だから。エーファを守れる人だから」
生い立ちが違うから、あるいは持って生まれた運命が違うのか。ミレリヤはエーファには絶対になれない。
あれほど必死に、死にかけてでも愛と自由を求めようとミレリヤはしない。おそらく人生で求めているものが違うのだろう。ミレリヤは安寧な暮らししか求めていないから。愛はオシドリの番の話を聞いた後すぐに諦めた。でも、諦めたはずの愛は双子が与えてくれた。
子供が生まれてミレリヤは初めて愛を知った。だからこそ、エーファにはもう傷ついて欲しくない。マルティネス様の死を見て、エーファ自身も死にかけて。すでに彼女の心は十分に傷ついた。
ミレリヤはエーファがいてくれて救われた。オシドリの番の話を聞いて絶望した時、エーファもショックを一緒に受けてくれた。ただ、それだけで良かった。いてくれるだけで嬉しかった。一人じゃないから頑張れた。
今だってそうだ。エーファはいてくれるだけでいい。双子だってミレリヤのところに生まれてきてくれただけでいい。
だから、これだけは。これだけは伝えておきたい。彼女へのはなむけになるのか自信がないけれど。
「私が言える関係ではありませんが、エーファのことよろしくお願いします。エーファを守れるのはあなただけだと思います」
「エーファの友人だけあって、お前も強い人間だ。強かと表現すべきか」
竜人は初めてクツクツと笑った。パタパタと廊下を走る音が聞こえる。
「あ、リヒトシュタイン! 勝手に戻って!」
「仕方がないだろう。使用人が廊下で出会い頭に気絶するのだから。そもそもエーファが早く出てこないのが悪い」
「気絶してた使用人の介抱をしてたの! なんで放置しとくの! 廊下冷たいでしょ」
エーファが戻って来て言い争いを始める。つられるように双子の泣き声がし始めた。
「エーファ、双子の様子を見てくるわ。庭でも散策する? アザール家の庭はとても綺麗なのよ。池に鯉が泳いでいるから餌も良かったらあげておいて」
日課である鯉の餌やりをエーファに頼んでから、双子のところへ向かう。双子はぐずって鳥の姿になってピィピィ鳴いて喚いて転げ回っている。こうなると乳母では手に負えない。
「ほら、おいで。私の可愛い子たち」
鳥のヒナたちをすくいあげて胸に抱く。
カナンのことは好きだけれど、感謝もしているけれど愛してはいない。だって、彼は平気で他の人とも番うのだから。あの時ミレリヤは愛を捨てた。
でも、子供たちのことは愛している。この子たちのためなら何でもできる。子供を生んでから愛を教えてもらうなんてミレリヤは知らなかった。きっとエーファもこんな気持ちだったのだろう。愛のためなら何でもできると。
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