エーギル・クロックフォード1
いつもお読みいただきありがとうございます!
ドサリと机の上に紙の束が置かれる。仕事の書類ではないようだ。
目の前には引退するする詐欺をし続けている上司のメフィストがいる。
「閣下、これは一体なんでしょうか」
「ワシのところに来たお主への見合いの斡旋じゃな」
「お断りします」
「お主が受け取りもせずに断るからワシのところに話を通せと回って来る。会うだけ会ってみて顔が気に入らないだの、頭が足りないだの言えば良い」
「それは控えめに言って最低ではないでしょうか」
「他国から番を連れてくるより良いではないか」
エーギルは目を細めて前に立つメフィストを見上げると、老獪なフクロウは食えない表情をしている。
「地位と金と力のある者の宿命じゃ。お飾りでも適当に置いておかんと夜道で女子に襲われるぞ」
ドラクロアの本物の肉食系ならばあり得る。夜道どころか昼間でもあり得る。
エーギルはギデオンとは違い、セレンティアを連れて帰って来てから正式に伯爵位を継いでいた。
エーギルの両親はメフィストとは違い本当に早く隠居したがっており、彼らは早々にさまざまな場所にある別荘へと引っ込んだ。セレンティアが死んで、屋敷が焼けてエーギルも大やけどをした際には戻ってきたが回復するとまた二人で各地に存在する別荘で思い切り余生を楽しんでいる。
「うちは伯爵位で、金はありますが俺は強くないのでモテません。番を連れてきて死なれた醜聞つきです」
「残念ながら、人間を見下すものは多いからあれは醜聞にならん。人間は番としては弱く認められない。お主がセイラーンを退けた際に活躍してしまったことが裏目に出ておるの」
「活躍なんてしていません」
「なぁに、あの時に動けた者たちの価値が上がっておるんじゃ」
「人間を見下しながら、人間の血が入った獣人や鳥人の価値は上がっているんですか」
「お主はセイラーンの兵士を捕まえたしのぅ」
「あれはエーファが」
彼女の名前をうっかり口にしてしまい、言葉が続かない。
何を言いたいのか自分でも分からず、エーギルは目の前の紙の束に手を突っ込んだ。釣書だったのですぐに後悔した。
「そういえばあの生意気な小娘は元気か。竜化を止めるために竜人の心臓をもらった人間など生きているうちに見たいものだ」
「カナンの家に赤ん坊を見に行くはずなので、閣下のところにも顔を出すように手紙を出しておきます」
「ほぉ、それはいい冥途の土産になりそうじゃ。カナンのところも双子が生まれて跡取りには困らんようじゃの」
言葉とは裏腹にまだまだ死にそうにないしっかりした口調だ。あと十年は余裕そうだ。
「お主はあの老兵の遺体とオウカ・セイラーンの遺骨を返還するように竜王陛下に進言して、認められた。そのおかげで他国からの侵攻は隣国二つ以外からは今のところない」
「リヒトシュタイン様の魔法のおかげでしょう」
彼女はオウカ・マキシムスとして死んだはずだ。捜査初期は皆オウカ・マキシムスと呼んでいたが、宰相が亡くなってからだろうか……オウカ・セイラーンと呼ぶのが自然に思えてきた。これほどまでにドラクロアを乱した人間だ。ある種の尊敬を抱かせる。
「それもあるが、これまでの恨みで各国が徒党を組んで攻めてくる可能性はあった。遺骨を返還したことで他の家も応じる所が出てきて戦争にならずなんとか平和的に解決できたのは大きい。人間が遺骨や遺体・遺品にこだわる意味は分からんが、彼らにとっては大切なことなんじゃろう。こちらは貴族階級のみが権威を示すために墓を作り、他はそのまま土に還すのが基本じゃからな」
「ライオン獣人がこのまま大人しくしていればいいのですが」
ペラジガス隊長が強制的に他国から連れ戻したライオン獣人を思い出して頭が痛くなる。
ライオン獣人は一夫多妻制なので番が見つかっていようとなかろうと他国で最も頻繁に問題を起こしてきた。番だと誘拐したり、番でなくとも気に入ったら脅迫して連れてきたり。エーギルが言えたことではないが……ライオン獣人はなまじ百獣の王だけに人間では抵抗が難しい。
「ライオン獣人の解毒は最後に回すようにしておる」
「あの粉は厄介でしたから……戦争にもうならないのはいいことです」
「セイラーンの技術は憎たらしいほど素晴らしい。それがドラクロアへの恨みから開発されたものであっても」
メフィストの黒々とした目が好奇心からか光る。やっぱりこの人はまだまだくたばりそうにない。
「とにかく、これはお返しします」
エーギルは目の前に置かれた束を突き返そうとするが、メフィストは突っ立ったままだ。杖をついた老齢の上司を立たせたままにするわけにいかず、椅子を持ってきて座らせる。
「お主は死なせた番を気にしておるのか、それともあの生意気な小娘が気になっておるのか」
「エーファはリヒトシュタイン様の番です」
「竜人にたてつく勇気がないなら、さっさと番も小娘も忘れて気に入ったお飾りでも置くことだ。いずれ愛情や尊敬でも芽生えるかもしれん」
「婚姻などせずに親戚の子供から優秀なのを見繕えばいいのではないですか」
「若いのに枯れておるの」
「俺は番さえきちんと愛して幸せにできない半端な獣人です。俺の愛はどうしようもなく半端で軽くて、みっともない。むしろ一滴でもあるのかすら怪しい。だからそんな俺にお飾りでさえ置かれる人は嫌でしょう」
セレンティアに感じた嫌悪感が一瞬で蘇る。声は思い出せないのに感情は思い出せる。もしまた誰かを隣に置いて、愛情や尊敬を感じてもあんなドロドロした感情がまた自分の中に生まれるくらいなら死んだ方がマシだ。俺は今度こそ祖父のようになるのか、それともまた祖母のように相手に恨まれるのか。
「青い。若いというのは、青くてどうしようもなく無知で怖いもの知らず。たった一回のやらかしで怯えて人生を捨てるのはあまりにも物悲しい」
「捨ててはいません。婚姻を結ばないだけで」
「愛は最高の部分を何倍にもするが、最低な部分をも何倍にもする。お主は若いのにその汚らしい部分を先に多く見てしまっただけ」
「よく分かっています」
「そしてワシらは愛をコントロールできない。これほどの頭と力があっても。面白いと思わんか」
「それは閣下が恋愛結婚されたからでしょう」
「ワシは番など信じておらんからな」
大きなカラスがすぃーと部屋に入って来る。ふてぶてしく差し出された足には手紙が括り付けられていた。
「愛は理想ほど立派なものではないぞ。ドロドロをかき分けて最後に残るものが愛であることもある」
適当に相槌を打ちながら手紙を開く。
エーファからの手紙だった。文字を見ただけで息がしづらくなる。
彼女は竜人の番になった。まさかあの竜人が心臓まで捧げて彼女を助けるなんて思いもしなかった。
いや、薄々分かっていたはずだ。
エーファが裏切られた時にあの人はさらりと手を差し出したし、すぐに自分のもののように抱き上げた。あの時はエーファだって余裕がなかったのだろうと思っていたのに。
血を吐きながら思い切りリヒトシュタインに手を伸ばしたエーファを思い出す。目の前にいたエーギルではなく。いつからだろうか。あの時にはすでに彼女の心はスタンリーとかいう人間を忘れ果ててリヒトシュタインにあった。
手紙を読みながら目が滑って頭に内容が入ってこない。そんなエーギルを眺めてメフィストは笑っていた。