体温
いつもお読みいただきありがとうございます!
ちょっと早めに1話投稿します。
オルタンシアの見舞いに行ってから、リヒトシュタインがべったり張り付いてなかなか外に出してもらえない。水魔法のコントロールがうまくいかなかったせいである。
「海の近くで暖かいところか」
「寒いとこの方がいい?」
「魔法があるからどこでも大丈夫だが、エーファの心臓の負担にならないところが一番いいだろう」
「過保護すぎるんだけど。この部屋からほとんど出ていないし、心臓の負担どころか体力落ちて歩けなくなるかも」
リヒトシュタインの膝の上に座らされ、彼の手がエーファの指先に触れる。
「エーファ。指が冷たい」
「なっ」
パクリとエーファの指を口に含む。
リヒトシュタインの体温は低いが、指に当たる舌は熱い。
「何してんの! この変態!」
慌てて手を引き抜こうとするが、リヒトシュタインの力は強かった。
舌がエーファの指を舐め、その熱い感触にエーファは震える。絶対に顔も赤くなっている。
しばらくしてリヒトシュタインはやっと手を放した。自分の手を慌てて引き戻す。
「昼間からそんな顔もするのか」
「どんな顔よ」
「物欲しそうな顔だ」
「してない」
「している。ベッドでしかしないような」
「変態!」
不安定な膝の上だからジタバタしてもあまり大きく動けない。それをいいことにリヒトシュタインは距離を詰めてまたエーファの手を取った。
「良かった。温かくなったな」
リヒトシュタインは指先を握って安堵した様子だ。エーファはリヒトシュタインの手から素早く指先を引き抜いて胸を叩く。
「足先は冷えていないか」
「ちょっと!」
今度は足先に向かうリヒトシュタインの手を叩くが、リヒトシュタインは気にも留めずにエーファの太ももを持ち上げて足先に触れた。
「あの時ほど冷たくはない」
「なに、あの時って」
「エーファが死にかけた時だ。あの時は手足がとても冷たかった。壊死する前で危なかった」
深い安堵とともに言われて、エーファは口をモゴモゴさせて振り上げた拳を下ろさざるを得なかった。てっきり嫌らしいことでもしてくるかと思ったのだ。
「冷えていると不安になる。俺の心臓の調子はどうだ」
「いつまで安静なの。この前陛下に水魔法使ってもなんともなかったんだから」
「あれは傑作だったな」
「そろそろまたオルタンシア様のところに行ってもいいでしょ。ミレリヤの子供が鳥のヒナかどうかも気になってて」
オルタンシアのところに一度見舞いに行った後からエーファは部屋に軟禁状態だ。ティファイラは来てくれるが、退屈が過ぎるのだ。
「オレンジ髪のところには行かない方がいい」
「なんでよ」
「兄と番った」
「あ、そうなの? いや、そういうことイチイチ教えてくれなくてもいいんだけど。私臭いで分かることなんてないから」
「あのオレンジに会いに行くと兄の機嫌がさらに悪くなるからやめておけ。執着していて面倒な兄だ。この前見たらあれほど番う気はないとか言っていたのに『シア』だのなんだの呼び合っていて面倒だった」
「人の色恋沙汰を言わなくていいから。というか、オルタンシア様の体調は大丈夫なの?」
「番ったら魔力が増えるから魔力不足は解消される」
「あぁ、うん。それならまぁいいんじゃない? オルタンシア様のところがダメならミレリヤのとこに早く行きたい」
「そろそろ魔力も安定してきたし、いいかもしれないな」
もう一度エーファの指先の温度を確かめてからリヒトシュタインは頷いた。
「このまま天空城に住んでもいい」
「なんで? リヒトシュタインは嫌じゃないの?」
「ここが最も安全だからな。それかドラクロア内だ」
「他国じゃないの?」
「他国に少しの間旅行するくらいなら大丈夫だが……竜の鱗は大変高価だから命知らずに狙われやすい。俺は別にいいが竜や竜人を狙う者はエーファも狙うだろう」
「普通、竜を見たら逃げるけど」
「そうでない者もいる。そういう者は番から狙うだろう。考えてみたんだが、安全のためにはここかドラクロア内に住むのがいい。ドラクロア外だと認識阻害を使ってもいずれ目立つし狙われやすい。嫌か?」
「嫌じゃないけど。天空城にずっといたら陛下がいい顔しないんじゃない?」
「ドラクロアの端ならここよりもずっと温暖だ。海は飛んで行かないと入れないが、見えはする。割り振られる仕事さえしていれば兄は何も言わないだろう。しばらくは番に夢中だろうし」
「ふぅん。住むところにこだわりはそんなにないから温暖ならいいかな」
以前は住む家にいろいろこだわりがあった。しかし、今はもうない。
愛も同じだ。愛に対するこだわりはたくさん持っていたが今はほぼない。削ぎ落されて大事なものだけが残っている。
「そういえば、エーファは俺の名前をなぜ略さない」
「略す必要ないでしょ」
「先代王妃も兄もリヒトと呼ぶが?」
「そうやって略す必要性ないから。それに、あの二人と同じように呼ばれたら嫌じゃない?」
「兄はあのオレンジのことを略して呼んでいた」
「陛下は陛下でしょ。綺麗な名前なんだからリヒトって略すのもったいない」
「俺の名前を綺麗だとは思っていたのか。ティファイラの名前は綺麗だと前に言っていたが、それは知らなかったな」
部屋の隅で眠そうにしていたティファイラの前足が緊張でビクリと動く。とんだとばっちりである。
変な空気になりかけたので、エーファは仕切り直すように手を叩いた。またティファイラの前足がピクリと動く。
「じゃあ、早速ミレリヤのとこに手紙を出さないと。リヒトシュタインは来ないでしょ?」
「俺が行くと鳥人でも委縮するだろう。エーファについている俺の香りで耐えられるギリギリだろうな」
「そうね。赤ん坊に恐怖体験は良くないから。じゃあついでにエーギルにも手紙を書いてセレンにお花を持って行って」
エーギルの名前を出すとリヒトシュタインの眉間に盛大にしわが寄った。
「わざわざトカゲに手紙を出さなくて良くないか? エーファだけで行った方が友人も喜ぶだろう。無理矢理ドラクロアに連れてきた獣人が来るよりも」
「まぁ、それはそうなんだろうけど。直前で断った件もあるし。エーギルも時間見つけては謝りに行ってるみたい」
「謝るなら母国に遺骨を返還してやった方がいいだろう。セイラーンにだって結局王女の遺骨を返した」
中途半端に焼けた遺体を返却するわけにはいかず、結局オウカの遺骨がセイラーンに返還されたと聞いている。セイラーンはドラクロアに敵わないと恐れをなしていたため、それで手打ちにしたようだ。
「マルティネス侯爵家、セレンの実家なんだけど。ドラクロアからの遺骨の返還の申し出を断ったみたい。セレンの父親はセレンが使用人と駆け落ちしかけたことを怒ってるみたいで……それなら無理矢理返還してもきちんと埋葬されないかもしれないからこっちのままなの」
「以前セドリックとかいう墓を探したが……今度友人の遺骨をあの墓に埋めに行くか。返還を断られたなら勝手にやってもいいだろう」
「覚えてるんだ?」
嬉しくなって思わず声が上擦る。オルタンシアの名前さえ頑なに覚える気がないのに、エーファの行動を覚えてくれているのが嬉しい。しかも、セレンの恋人の墓を探したのは番紛いを飲ませる前の出来事だったから余計に。
「死んだ後でも一緒になろうという人間の考えは強欲で新鮮だったからな」
「エーギルに持って行っていいか相談してみる。何も言わないと遺骨泥棒になっちゃうから」
「あのトカゲはエーファに気があるからあまり接するな。話すな。見るな」
「ないでしょ、それは」
「ある」
「ないない」
「ある。エーファは鈍すぎる」
「魔法が珍しいだけでしょ」
「あんな目は俺に向けてこない」
「竜人は恐怖の対象なんじゃないの。エーギルは番を亡くしてるから……番を亡くして自分が死ななかったらこれからどうなるのかな?」
「あんなトカゲのことは考えなくていい」
リヒトシュタインが鼻を摘まんでくる。いつもなら叩くのだがエーファは思わず笑ってしまった。すぐに鼻から手が離れる。
「私には名前も顔も綺麗で強くて心臓もくれて一緒に死んでくれるような重い竜人がいるじゃない」
「つい先ほどまで変態と叫んでいたくせにそんな甘言を弄するとは、温度差で風邪をひきそうだ」
金色の目が疑うようにエーファを見ている。
「じゃあ、心当たりのないエーギルのことを言われてどうしろと」
「もう少し俺に愛を示すべきじゃないか」
「だから今示したじゃない」
「さすが、毎晩隣にこれほど綺麗な俺がいてもぐーすか寝ているトラは言うことが違う」
「安静にしないといけないから夜はしっかり寝るの」
不満げに口をすぼめてリヒトシュタインを見返すと、嬉しそうに笑ってエーファの額に彼の額をくっつけてきた。
「その反抗的な目がずっと好みだ」
そういえば、初めて会った時からリヒトシュタインはエーファの目を反抗的だと評した。メフィスト閣下にもハンネス隊長にも反抗的だとは言われたが、好むのはリヒトシュタインだけだろう。趣味が悪いのではないかという疑問は抱きしめられた体温を感じていたいので言わなかった。