最大の変数6
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番外編「最大の変数」はこれで終了です。
「何なの、一体」
心臓までくれて、発情期まで来たのになぜこんなに言いづらそうにしているのか。
まさか一夫多妻制にするのだろうか。一瞬頭をよぎった考えが正解のような気がしてくる。エーファを唯一の妻にすると以前言っていたが、嘘だったのだろうか。
いつもこうだ。すぐに過去の恐怖が顔を出す。番紛いを飲んでも何をしても、消えたと思った過去が随所でニタリと顔を出す。
「そういえば聞いてみたかったんだけど。魔力も増えてきてるみたいだし、私ももしかして竜になれるのかな」
「それは無理だ。心臓を得たとしても他の体の構造が違う」
「ちぇ」
「エーファ」
スタンリーの恐怖を思い出さないように話をそらしたのに。膝に手を置くのはずるいだろう。
「どんなことがあっても俺の側にいてくれるのか」
神妙で苦し気な表情をされると、可能性が膨らんで息ができない。
まさか、アヴァンティアだろうか。ルカリオンが番う気がないと言っていたし、今後どうなるか分からないからリヒトシュタインに他の妻を娶って子供を作れと脅した? リヒトシュタインが従うとも思えないが……心臓を半分にする過程で弱みでも握られたのか。一度恐怖が蘇ると手足が冷たくなってくる。
「早く内容を言ってよ。試すような真似しないで」
「試してはいない。ただ、俺に自信がないだけだ。さっき偉そうに兄に説教はしたがな」
「一夫多妻制以外なら大丈夫。一夫多妻制にするなら私は耐えられないから、いっそ先に殺して」
スタンリーの時だって耐えられなかった。オルタンシアは一夫多妻制を了解して番紛いを飲んだかもしれないが、エーファには無理だ。
リヒトシュタインを誰かと共有するなんて嫌だ。ずっとエーファだけを見て、愛して欲しい。できないなら今すぐ殺してほしい。せっかく、やっと信じられたのに。エーファはリヒトシュタインを信じたのだ。そして、リヒトシュタインは自分自身を信じたはずだ。
「それはない」
「……なら良かった」
嘘をついていないと表情で分かったので、リヒトシュタインの手をどけてベッドに上半身だけ横たえる。枕を抱きかかえようとしたが彼の手で阻止された。
「じゃあ大丈夫。何?」
安心してやっと息ができるようになった。冷静に考えたらエーファを殺したらリヒトシュタインも死ぬのだった。
エーファの片手を握りながらリヒトシュタインはなおも言いづらそうにしていた。
「心臓を半分にしたから、俺はもう長時間竜の姿になれない」
予想もしていなかった内容だ。彼の顔を凝視して瞬きの回数が多くなってしまった。
「竜の姿で居続けるには心臓が耐え切れない。なれても数分ほどだ」
「定期的に竜の姿にならないと死ぬの?」
「そんなことはない」
「竜の姿ってあの黒い竜? セイラーンの軍勢を吹き飛ばした」
「そうだ。俺ほど黒い竜はいない」
「じゃあ……もう飛べないとか?」
「今の姿でも飛べる」
「鱗や傷の再生が遅くなるとか?」
「それには関係ない」
握られていない方の手でリヒトシュタインの袖をめくる。鱗を剥いだ部分は縮れたような傷になり腕に複数走っていた。出来心で傷を撫でるとリヒトシュタインの体がびくりと震える。
「気にするだろうと、エーファが目を覚ました直後は伝えなかった」
リヒトシュタインが竜になった姿を見たのは、セイラーンが侵攻してきたあの日のみ。遠目でも美しかったからもっと見ておけば良かった。
「竜になれないとダメなの?」
寝転がったままリヒトシュタインのつないだ手を軽く引っ張るが、彼の表情は晴れない。リヒトシュタインが失ったものはエーファよりも格段に大きかった。心臓半分に竜の姿の維持。
「さっきまでは普通に伝えるつもりだった。だが、エーファはさっき俺の魔法を見て綺麗だと言った」
「言った」
「竜の姿になった方が魔法の威力は上がる」
「セイラーンの軍勢を飲み込んだ竜巻はほんとに凄かった」
「だから不安になった。俺は竜人の中では頂点にいるほど強いらしいが、それだけだ。竜の姿にもなれなくなり、やがて老いたら力が衰えてくる。力が大してない俺をエーファは愛してくれるのだろうか。褒めるべき点がどこにもなくなったとしても」
心臓を半分にしておいてこの竜人は何を言っているのだろう。エーファの責任をなじるわけでもなく、なぜそんなに不安そうなのか。
「さっき兄を見ていて羨ましかった。あのオレンジ髪に庇われる兄を」
わざとなのか、徹底的にオルタンシアの名前を覚える気がない。エーファの寝転がっているベッドに肘をついてリヒトシュタインの顔が近づく。
「弱い俺でも愛してくれるか。もし力をすべて失っても何もない俺でも」
「バカじゃないの」
母親に庇われた経験がないから、さっき陛下を庇ったオルタンシアに感動するのは分かる。だが、エーファならあんな風に土下座して泣き落としなんてしない。絶対に対抗する。
それにエーファのことを舐めないで欲しい。リヒトシュタインが強い竜人だからエーファは愛したわけではない。
つないだ手を振り払って上半身を起こすと、バカと言われて唖然としているリヒトシュタインの鼻を摘まむ。そしてベッドのそばで跪いている彼の体に両足を回して拘束した。
「竜の姿になって私から逃げられなくて残念ね」
「逃げるつもりはない。いつも逃げようとするのはセミだ」
「そもそも、私。番紛いを飲ませる前にリヒトシュタインの魔法をほぼ見たことないから。ギデオンと殺し合った時に見た認識阻害くらいかな。なんでそんなこと言い出したわけ?」
「さっき初めてエーファが俺のことを褒めたからだ」
炎を綺麗だと発言したことだろうか。
首を傾げる。褒めた記憶、褒めた記憶……。
金色の目は竜人全員が持っているから褒めていない。綺麗な黒髪はサラサラでむかついて大体引っ張るか触って遊んでいる。顔面に関しては最近竜人と一緒にいる機会が多すぎてエーファの美醜感覚は狂っているはず。
名前の響きは綺麗だから絶対に『リヒト』と略して呼ばないが、面と向かってそう伝えたことはない。竜巻の時は喋れる状態ではなかった。鎖骨に関しては恥ずかしいから言いたくない。
認識阻害を見た際は、竜人は何でもできるから嫌いと言った。彼の軽口だって伝えたことはないが、エーファの好みだ。
確かにこれまで褒めていないが……リヒトシュタインだってそうだろう。エーファの泣き顔を平気でブスと言ったし……あ、これ意外と根に持ってる。リヒトシュタインだって褒めたことはないよね? 行動では散々伝わってくるから気にしたことはなかったが。「強い」と言われたのは褒められたうちに入るのだろうか。あれは慰められただけか。
「エーファが珍しく褒めるから自信がなくなった。竜の姿になれなければ強大な魔法は使えないからな」
鼻を摘まむのはやめて、代わりに彼の綺麗な黒髪をいじる。
「そんなこと、どうでもいいでしょ。力がなくなろうが、ハゲようが、鱗がダサい色になろうが、貧乏になろうがリヒトシュタインと一緒に生きていきたいんだから」
「ダサい色とはなんだ」
「ピンクとか? 濃いピンクね」
濃いピンクの竜は……あまり見たくはない。
想像したのか、神妙な顔をしていたリヒトシュタインが吹き出した。彼の様子につられてエーファの口角も上がる。
「結婚式みたいに誓った方がいい? 病める時もって」
「ケッコンシキとはなんだ」
「あぁ、ドラクロアは番の概念だもんね。結婚式は婚姻に際して二人で誓約を行う儀式のこと。指輪交換とかするんだったかな」
「エーファはケッコンシキをしたいのか?」
うーんと彼の髪の毛をいじりながら首をひねる。スタンリーとはあまりお金をかけずに簡単な式を挙げようと話していたが、絶対にやりたいほどではない。
「指輪の代わりに心臓くれたんだからいいんじゃない? 式なんてしなくてもリヒトシュタインはすでにいろんなものを捧げて誓ってくれたでしょ」
「俺だけが捧げたわけじゃない。エーファも人間としての生き方は諦めないといけない」
「え、寿命もしかして短いの?」
「逆だ。竜人の寿命は人間よりもはるかに長い。獣人や鳥人よりも。エーファには俺の心臓を渡したし番ったから人間よりもはるかに長く生きる」
「それって何か問題なの?」
「この前出産したエーファの友人はエーファよりもかなり早く亡くなるだろう。あの友人の子供よりもエーファは長生きする。そうやって様々な死を見なければならない」
金色の目が下からエーファをじっと見ている。リヒトシュタインは背が高いから、いつも金色は上にあるので新鮮だ。
「いいんじゃない? だって死ぬ時は私たち一緒なんでしょ?」
「あぁ、元は同じ心臓だからな」
「じゃあ何も問題ない。だって、死んでもリヒトシュタインを一人にすることはないんだから。誓いは違えなくていいわけね」
リヒトシュタインの髪をいじりながら、彼の頭に顎を乗せる。彼の誕生日あたりでされたことのやり返しだ。あ、竜人にもつむじがある。しかも二つ。
「エーファにはかなわないな」
「食べるものに困ったら私が稼ぐし。魔法が使えなくなったら手と足を使えばいいじゃない」
リヒトシュタインは両足でエーファに抱え込まれながら笑っているようだ。
オルタンシアの言った通り、最大の変数は愛なのだろう。すべての恐怖と過去と運命の番にさえも打ち勝つのは。
リヒトシュタインのように強い竜人でも愛のために生き、愛のために死のうとするのだ。
心臓の鼓動を感じながら、ドラクロアに連れてこられた時よりもエーファは「愛はすべてに打ち勝つ」と確信していた。
他キャラの番外編をまた書いていきますが、今月末か来月になりそうですのでいったん完結表示にしております。
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