最大の変数4
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緊迫した空気の中でエーファはまったく関係ないことを考えてしまった。
そもそも、私たちにはあの距離感が似合っているのだ。四六時中くっつくような気持ち悪い関係ではない。
ルカリオンと違ってリヒトシュタインは冗談を言うのが好きなようだし。セミだとかトラだとか。
「番紛いを提案したのはお前だろう。そこの人間に作らせて。お前が先に支配しようとしてきたはずだ。その人間が俺に話さなければ、食事に混ぜて秘密裡に飲ませようとしたくせに」
おかしな粉のせいでルカリオンは番紛いを飲んだから、香りに抗いつつまだ心の整理がついていないのかもしれない。無理もないだろう。
騙されて飲まされたリヒトシュタインが、エーファの懇願を淡々と受け入れたのがおかしいのだ。普通はこうなる、責任のなすりつけ合い。そして相手に少しでも罪悪感を抱かせて自分が優位に立とうとする。
それとも血液ではなく髪の毛しか入れていないから効きが悪いのだろうか。ギデオンは……翌日には発情していなかったっけ? 竜人とは体の構造が違うから比較にならないか。リヒトシュタインのには血液を入れたのでこれも純粋な比較にならない。
「それでも……陛下は飲んだではないですか」
「緊急事態だったから仕方なくだ。そもそも番紛いに俺は頼るつもりはなかった。俺は誰とも番う気はない」
驚いたのかオルタンシアの手の力が抜けて、エーファはやっと口を塞がれなくなった。
「陛下は……あの緊急事態の中でも私を選んでくださったのだと思っていました。でも、私の魔力などで不満があるのだと」
「選んでなどいないし、そもそもお前に不満もない。緊急事態だったから竜人なら誰でも良かった」
オルタンシアの体が強張るのが分かる。ドラクロアのトップのわりに、最低な言葉だ。誰でも良かったなんてそんな顰めた顔で言うんじゃない。
ルカリオンは本当に母親のような存在を出したくないのだろう。そのためには誰とも番わないのが最も確実だ。番ってまた別の番が出てきたら困るから。でも、番紛いを飲んだせいかオルタンシアが積極的に助けているエーファとリヒトシュタインに嫉妬はしていると思う。嫉妬だと認めたくなくて支配に近くなっているが。
一言なにか言ってやりたいが、こんな時に外野が何を言っても無駄だ。だって番や番紛いなんて所詮関係ないんだから。
ぼんやり眺めていると、いつの間にかリヒトシュタインが部屋にいた。音も気配もない。夫婦喧嘩中の二人も気付いていないので、認識阻害か気配を消しているのだろう。エーファだけが気付いているのは彼の心臓のせいだろうか。
リヒトシュタインの金色の目が、オルタンシアに抱きかかえられているエーファに向いた。夫婦喧嘩中だから無理だよという意味を込めて軽く首を横に振る。遅いから迎えに来たのだろうか。ぼへっと見ていると、ルカリオンの体が吹き飛んだ。腕を引っ張られてリヒトシュタインに横抱きにされる。
「遅いから来てみれば」
もしかして、危害を加えられていると誤解したのだろうか。
ルカリオンは壁に張り付いていて、もがくが壁に埋まったまま出てこれないようだ。これが最強クラスの竜人の扱う魔法の威力か。
「話してただけよ」
「エーファを抱きしめて話す必要はない」
「そうだけど……陛下が急にいらっしゃったからオルタンシア様は庇ってくださったの」
「俺を二時間も放置するとはな」
「いちいち時間見てるの気持ち悪いんだけど」
「エーファが俺を放置し過ぎじゃないか。自分は他の竜人に抱きしめられて」
「あなたは陛下に割り振られた仕事があったでしょ」
間髪入れずに返答するエーファに対してリヒトシュタインは不満げに鼻を鳴らす。
「とりあえず、陛下を解放して。何もされてないから。オルタンシア様だって体調が悪いのだから無理はさせないで」
片手で横抱きにされて、ペシペシと性懲りもなくリヒトシュタインの胸を叩く。リヒトシュタインから溢れるピリついた空気で緊張しているのか、オルタンシアはさっきから可哀想なくらいガタガタ震えているのだ。
「何もされていないのは分かっている。何かされていたらとっくに殺している」
「私にも魔法があること忘れないでよ。対抗くらいできるから」
「まだ魔力が安定していない」
「そんなに過保護にしなくていいでしょ」
「リヒト。目障りだからさっさとその女と失せろ」
ルカリオンの言葉が会話を遮るが、壁に張り付いたままなので今一つ威厳に欠ける。
リヒトシュタインは夫婦喧嘩をしていた二人を交互に見て、楽しそうに口角を上げた。
「オレンジ髪の竜人にはとても世話になった。ちょうどいいから今、その恩を返しておこう」
この表情、多分ダメなやつ。エーファをからかう時によく見せる表情だ。この状況ならろくでもないことを考えているのだろう。