最大の変数2
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それにしてもおかしくないだろうか。
エーファが意識を失っている間、ルカリオンはオルタンシアを大切に扱っていたと聞いている。リヒトシュタインが彼らについて嘘をつく必要がない。
何よりもルカリオンは自分から番紛いを飲むことを選択したのだ。
緊急事態だったとはいえドラクロアと自分のために飲んだのだから、番うのかと思っていた。
結局、ルカリオンは相手を自分の母親のようにしてしまうのが怖いだけではないだろうか。エーファだってずっと怖かった。覚悟を決めたようで全然決めていない自分と向き合うのも嫌だった。
エーファが頑張って頭の中で物事を転がしていると、オルタンシアは冷静さを取り戻したようだ。
「エーファ様はちゃんと私に向き合って話して下さったのに。番紛いで得た感情が偽物の愛ではないかと悩むのではないかと」
「そういえば、そんな生意気なことを言いました」
「おかしな自信で溢れていた以前の自分が恥ずかしいです。陛下を何十年も慕っているから自分の愛だけが正しいのだと、自分が陛下を幸せにしてあげればいいのだと傲慢にも考えてしまって」
スタンリーで傷つき、リヒトシュタインのことで酷く悩んだのに彼女に何を言えばいいのかエーファは分からなかった。
なぜなら、エーファの場合は番の概念などなく番紛いも飲んでいない。しかし、オルタンシアは飲んでしまっている。
スタンリーと同じようにルカリオンを捨てて次の人にいきましょうとか、夜這いをかけましょうなんて軽々しく言える状況ではない。
そんなエーファを見て涙をぬぐいながらオルタンシアは微笑んだ。ただただ痛々しい笑みだ。
「番というのは種の保存に最も有利な組み合わせと言われています」
「はい? そうなんですか?」
「えぇ、だから香りで分かるようにされています。最も強い子供ができやすい組み合わせとも言います。強い子供はドラクロアで生き残りやすいですから」
今更だが、番についてまったくの無知だったことにエーファは気付く。どうやって番でなくなるのか、番は間違っていないのかだけを気にしていた。ドラクロアに戻って来てからは番紛いについて調べるので忙しかった。
「竜人同士や獣人・鳥人同士で番いすぎて、新しい性質を取り込むために先代陛下の番様は人間だったのかもしれません。一昔前までは竜人同士や獣人同士で簡単に番が見つかっていました。しかし、私たちとは常識の違う国外にまで番を求め始めて悲劇が始まってしまいました」
竜人の一昔前が一体何年前を示すのかは怖いので聞かないでおく。
「ええっと。オルタンシア様のご両親は……」
「あぁ、私の魔力量で疑問に感じますよね。私の両親は竜人同士の番です。番同士だから確実に強い子供ができるわけではありません。あくまで、できやすいというだけです」
オルタンシアの魔力量が少ないのは親が番同士ではないからかと考えたが、違ったようだ。
「竜人は子供ができにくく、できても一人。その中でうちのように三人もできるのは非常に珍しいのです。私の兄も双子の姉も魔力量は多いです。私だけが少ないのですが、竜人にしては珍しい多産家系で、番が見つかっていなかったので陛下の妻の候補に入れてもらえました」
エーファはなんと相槌を打っていいのか分からずひたすら頷く。リヒトシュタインとこういった話はしない。
「私はギデオンからどうやって逃げるかだけ考えていたので……そういうことは全く知りませんでした」
「ほとんどの場合、番は香りで分かるとだけ言われて育ちます。私は魔力量も少なく誇れることもなかったのでいろいろ調べただけです。陛下をお慕いし始めてからはアヴァンティア様にも近付きたかったですし」
なぜ彼女は今こんな話をするのだろうか。疑問に思ったが、エリスのおかげでエーファはとりとめもない話に付き合うのは慣れていた。あの時は演技しなくてはいけなかったが、今回はしなくていいのでむしろ気が楽だ。
「確実に強い子供ができるわけではなく、竜人はプライドが高いので獣人や人間を番にしたくない者は本能に抗うために番紛いを使っていたようです。番紛いは竜人同士が番うための秘薬だと言われていますが、私は違うと思います。他にもう一つ、残されている資料には記述がありました。私は、そちらを信じたかった」
オルタンシアはエーファに話しているようで、独り言を喋っているようだ。エーファではなく、壁、いやルカリオンの部屋へつながる扉を見ている。
エーファはその資料にはまだたどり着いていない。
「番ではなく、愛した相手と安心して結婚するために飲むのが番紛いです。つまり、強い子孫を残すという本能を無視して自分の愛を勝ち取る手段が番紛い。だから、私はエーファ様が羨ましいのです。だって、あなたは番ではないのにリヒトシュタイン様に選ばれたのですから。竜人が心臓を捧げるほどに。基本的に竜人は鱗でも髪でも体の一部を他人に与えることを嫌います。ましてや心臓など特別なことです」
油断していて急に視線が合ったので背筋を伸ばす。オルタンシアの目には涙とともに嫉妬が浮いていた。彼女はこれが一番言いたかったらしい。
ただ、嫉妬されてもエーファは困る。そういえばリヒトシュタインが剥がした鱗は空間に入れっぱなしだ。あの人、鱗は何の抵抗もなくくれたけど。
「私はリヒトシュタインが死にそうだったから飲ませました。愛のためじゃありません」
「それでも結局、愛を選択したことになります。エーファ様はあの時リヒトシュタイン様を見殺しにしませんでした」
「そんなの当たり前で……」
「当たり前ですか? そうでしょうか? 私はエーファ様が分かっていて番紛いを飲ませたことこそ愛の始まりだと思いますが」
「それは……」
否定はしないが、肯定するのも恥ずかしい。だってエーファが自分の気持ちを自覚したのは死にかけた時なのだから。自分のリヒトシュタインに対する無自覚で無意識の突発的な行動に何か意味付けされるのはとても恥ずかしい。
リヒトシュタインが上機嫌に意味付けするのはいいのだが、第三者に愛の始まりだのなんだのと分析されるのは非常に居心地が悪い。リヒトシュタインがよく香りを嗅ぐために近付いてくる首筋あたりがゾワゾワする。
「強い子孫を残すという生物の本能を無視して、番という香りだけで振り回されてしまう存在に愛で打ち勝つ。人生を、番に翻弄される運命を変えるための最大の変数は愛です。エーファ様はそれが本当だと証明してくれました」




