掃晴の女神
『凛……?どうして……』
雨宮豊が先程とは違う感情に声を震わせ問う。
『まさかと思って調べてみたが、本当にあなただったとは……』
『俺は……。すまない……、本当に、すまなかった』
絞り出した言葉と一緒に溢れ出た涙が頬を濡らす。
その言葉を聞いて冷静に、凛は言った。
『私は、大丈夫だ。もう……。それより本当に謝るべき相手は私ではないだろう』
豊は一瞬言葉の意味を掴みきれていないような顔をしたが、凛のすぐ横にある顔を見てはっと目を見開いた。
そこには男が立っていた。
やはり優しい顔の霊だった。
『こんばんは。あなたに殺された男です。カナタって呼んでください』
先程の凛といい、流行りなのだろうか。
自称カナタのその霊は朗らかな笑顔で淡々と重い話題へと切り込んでいった。
『申し訳なかった』
全てを諦めきったかの様に豊が謝罪の言葉を呟く。
『いいんです、もう。死んじゃったら取り返しつかないんで』
彼はその笑顔に憂いの影を落とす。
『でも、何でしょう。思っていた程悪くないですね。死ぬのって』
カナタの穏やかな声が頭の中で響き渡る。
―――思っていた程悪くない。
本当にそうなのだろうか。
彼の開き直りなのではないのか。
それは実際に経験してみないとわからない。
でももし本当だとしたら。
本当に彼の言っている通りなら。
少し緊張が和らいだような気がした。
カナタが凛の方に向き直る。
『僕、もうそろそろ行かないとです。あっちへ。探偵業頑張ってください。あと、妻達に伝えておいてください。ありがとう、って』
カナタが階段がある方とは逆の方向に向かってゆっくりと歩き出す。
『はい。確かにお伝え致します。ご冥福をお祈りします。』
去っていく背中に向かって凛がそう口にすると彼は左手を顔の位置まで持ち上げヒラヒラとさせて応えた。
そしてその格好のまま柔らかい光に包まれ、消えた頃にはその姿は跡形もなくなっていた。
その会話を呆然と聞いていた豊に対し、カナタの旅立ちを見届けた凛が毅然として言い放つ。
『雨宮豊。私はあなたを追って探偵となった。そして今、こうして再び会って話すことができた。人殺しとなったあなたと……。妬み嫉みは人殺しの理由にならない。どれだけ自らの身の上が不遇であったとしても』
豊は穏やかで乾いた目をしていた。
それはまるで死人のような。
凛が先程とは打って変わって優しく語りかける。
『お父さん。あなたは取り返しのつかない過ちを犯してしまった。だから相応の罰を受けなければならない。その覚悟はあるか?』
そう言って羽織っていたトレンチコートを脱ぎ、豊に着せる。
豊はそのコートの右肩部分に左手を載せ、ふっと息を吐き、覚悟を決めたように立ち上がった。
『ああ、当然だ。腐っても探偵、それぐらい死ぬ前から知識として知っている。覚悟もできているつもりだ。ただ。ただ、最後にお前と会えて良かった。探偵となったお前と……。ありがとう、凛。お父さんの様にはなるな……』
そして豊は頭からゆっくりと、深い闇に蝕まれるようにして消えていった。
凛のトレンチコートが一瞬宙を舞った後、どさりと地面に落ちる。
凛は真っ直ぐに前を見つめ、そこにある虚空に向かって儚げに呟いた。
『ああ、当然だ……』
東の空から登ってくる朝日がその後ろ姿を照らした。
次で最後です。