9.白い鳥
ペンを置き、寝ている二匹を起こさないようにマシロは静かにバルコニーに出た。
……落ち着こう。
夢だとしても現実だとしても、今の現状はあまり変わらない。
変えようがない。
むしろ疑心暗鬼になり、平常心を欠く方が危険にもなりかねない。
力関係でいえばこの星でマシロは最弱にも等しいのだ。
それに恐らく常に監視されている可能性が高い。
確証は無いが、元々こちらの思考すら筒抜けだったこと。
いつでも呼んで良いということ。
常に保護されているということ。
自由な様でいて制限が多いのも、恐らく過去の夢幻者が色々やらかした前例があるからこそと思えば納得がいく。
むしろ監視されていると思って行動した方が良いだろう。
この考えすらクロルーシュアに筒抜けと考えれば、むしろ行動はしやすい。
監視されて無かったら無かったで、それならばいずれ自然と判ることだ。
いつものマシロなら疑問があれば直接問い質すくらいのことはするが、とりあえずの静観を決め込んだ。
魔物しか居ないとはいえ、折角の異世界なのだから楽しんだ方が得である。
マシロは慎重派なようでいて割と楽観的でもあった。
突然の魔物飛来による風圧で吹き飛ばされない事を祈りながら、手摺まで辿り着く。
半円状のバルコニーはそこそこ広い。
テーブルと椅子を別途置いても良いかもしれない、と思ったが飛行型生物の風圧で吹き飛びそうなので辞めておいた方がいいだろう。
手摺はアカとアオの身長より高く、マシロの胸の辺りにと少し高めに造って貰っていた。
見える風景を軽く見積もっても、東京タワーの展望台より遥かに高いのが見て取れたからだ。
普通に怖い。
その代わり下の支柱の幅を少し広めにとり、合間をガラス替わりと同じように透明の膜を張っておいた。
城の周りは森、山脈、平地、湖、そしてかなり遠くの方には黒い柱のようなものが見える。
黒い柱……いや、板なのだろうか。
天から地まで届いており、上空の方は擦れて見えない。
そして空には見渡す限り雲は見当たらない。
この場所から海は見えないが湖は見える。
恐らく大気中に水分は存在しているはずだが、雲は発生しないということなのだろうか。
そういえばこの星は空気ではなく影気が代わりに存在してると言っていた。
大気そのものの仕組みが違うのか、偶然見えないだけなのかは解らなかった。
空の色も薄明のまま変わっていない。
それなりの時間をかけて作業をしていたはずだ。
朝にこの星に来ていたとしても、既に夜になっていてもおかしくはない。
この星が異世界の太陽という存在ならば、夜が存在しないということなのだろうか。
永久白夜。
それはそれで時間の感覚が全く掴めないから困りそうだ。
次に飛んでいる魔物へ視点を移す。
翼や翅が無くても普通に飛んでいる種類が見て取れた。
この星には魔法が存在しているらしいので、恐らく翼や翅が無くても魔法で飛べるのだろう。
魔法という存在はつくづく便利である。
……ああだから神様は星の生物創製に失敗が多いのかもしれない、というのを唐突に理解した。が、確証は無い。迂闊な事は言わない方が良いだろう。
さらにぐるりと見渡した。
城の壁にもムカデに近い形状の魔物が這っているのが見える。
全長は判らないが頭の部分は普通車くらいの大きさに見えた。
段違いになっている6本の牙を、上から順番にガチガチと鳴らしている。
目がどこにあるのかは見えないが、目が合っているというのは判る。
マシロが観察しているのか、向こうに観察されているのか。
暫く視線を逸らせないまま動けないでいたが、蟲の方が先に蠢いてどこかへ行ってしまった。
マシロはゆっくりと右腕を上げ、そして手の平を眺めた。
恐怖心はある。
震えもある。
ただバクバクと早く高鳴るような心音は無い。
空腹で襲われたり対峙して戦う訳ではないので、サファリパークの感覚に少し近いかもしれない。
安全圏から見るならば獰猛な猛獣でも格好良く見えるのと同じだ。
すぐには無理だが、そのうち旅と言う名の観光に出るのも楽しいかもしれないだろう。
実際他の夢幻者も旅に出ているのだから、許可は下りるはずだ。
地球ではありえない景色に遭遇できるかもしれない。
写真はあるかは解らないが、魔法で似たようなことは出来ないだろうか。
大量に写真を撮りながら巡るのが好きなのだ。
マシロは浮上した気分をさらに上乗せるように、腕をめいっぱいに広げて大きく深呼吸をした。
それと同時にバサリと羽音がし、白い鳥が近くの手摺に降り立つ。
鳩に近い、特に何という特徴も無い白い鳥だった。
赤い目がマシロの方へ向き、目が合う。
普通の、何の変哲もない、よく見かけているような白い鳥だった。
白い鳥がとっとっと軽く跳ねるようにマシロに近づく。
瞬間、マシロは警戒心が泡立つ感覚を覚えた。
手摺から離れ、白い鳥が近づいた分だけ後ろに下がる。
普通の鳥だった。
白い、よく見かけるような、ただの鳥。
わざわざ新しく創る必要が無い、異形でもない、ただの白い鳥。
―――何故ここにいる?
見た目を欺くためだけならば、他の星へ卸す時にそう設定すれば良い。
それに人間と同じように既に他の星に見本が存在するなら、星を創る神もわざわざこの星から貰い受けないだろう。
絶滅しているならともかく、地球で現存している生物を改めてここで創る必要性がほぼ無いのだ。
もしかしたら1匹くらいは居ておかしくないのかもしれない。
ただの人間であり、人形でもあるマシロもこの世界にとっては異質な存在なのだ。
他の夢幻者の身体が白い鳥なだけで、単に城に帰ってきただけの可能性もある。
マシロは自分の心音が無い事に今はむしろ感謝していた。
冷静でいられるからだ。
お互いが目を逸らさず暫く対峙する。
クロを呼ぶべきだろうか?
――すると突然轟音が響いた。
そして、白い鳥が爆ぜた。
拉げた姿が煙のように立ち昇り空に溶けていく。
いつの間にか近づいたアオが、布に巻かれたままの剣を上から叩きつけたのだと理解するまで時間がかかった。
他の夢幻者ならばアオが手を出すはずがない。
生物だったのならば煙のように立ち消えることも無いだろう。
あの白い鳥は紛れもなく異質な存在だったのだ。
マシロの身体から一気に緊張が解け、その場にへたり込む。
遅れて部屋から出てきたアカが、心配そうにマシロを覗き込んだ。
「アオは……あの鳥を知っているの?」
ゆっくりと顔を上げると、再び剣を背負いいつも通りのアオの姿があった。
アオはこちらを見るが何も反応は示さない。
白い鳥がいた場所へ再び視線を移す。
アマーリアといい白い鳥といい、訪問者の方が魔物より質が悪い、とマシロは思ってしまったのだった。