7.ちぐはぐなお客様
スケールくんに助け起こされた客人は、スリットの入ったスカートの土埃を払うと何事もなかったかのように優雅にこちらへ歩いてきた。
「あらあらあら。尋ねてきた相手に酷いね!」
緩やかなプラチナブロンドに彫りの深い顔立ち、程良く豊満な胸に鍛え上げた腹筋、すらりと伸びた手足は骨格がしっかりしている。胸と腰だけ見れば女性だが、それ以外の骨格と筋肉の付き方は男性に見え、見慣れないバランスをしていた。
見た目だけなら人間だが、アオに吹き飛ばされた身体には傷一つ見当たらない。
崩れた壁は何故かスケールくんが施工し始めていた。知らない間にどんどん機能が増えていってる気がする……。
そういえばと吹き飛ばした張本人のアオへ視線を向けると、悠々自適にアカと一緒に防音の膜の中に籠ってしまっている。謝罪する気はないようだ。
居候に近いマシロがアオの行動に何か言って良いのか迷っていると、客人がマシロの目の前で立ち止まった。
スローモーションのようにゆっくりと美しい所作で顔を覗き込まれる。マシロは椅子に座ったままだったが、思わず身体ごと後ろに引いてしまった。
「んーんーんー。貴方、地球の人間なんだろ?殴られた人間を見ても動じないとか素晴らしいね!」
声色はハスキーな女性のようだった。だが、マシロの知ってる人間とは噛み合わない。見た目も動きも口調さえも不揃いというか、酷くちぐはぐに感じた。
言葉だけなら快活な印象だが、身体の動きはゆったりと静かでむしろ品がある。琥珀の瞳には強張っているマシロの顔がはっきりと映り込んでいた。
視線を合わせているはずなのにどこかズレた感覚。頭を通り抜け背後まで見通してるような視線の瞳は空虚に澄んでいた。
「あー……いえ、これでも驚いてはいるんですが感情が表に出難いといいますか……」
「ほーほーほー。人間は感情豊かだと聞いていたよ。貴方は珍しいのかい?」
「そう、かもしれません」
マシロは驚いても悲鳴を飲み込むタイプなので珍しいといえば珍しいだろう。階段を落ちても叫ばなかったし、フリーフォールやバンジーですら叫べなかったのだ。叫ぼうと思えば大声で叫べるが咄嗟の声は出ない。むしろその間に冷静に周りを観察してしまう。夜道が危険だから叫ぶ練習をしろと言われたほどだった。
こちらを見定めるような視線のままの会話は酷く居心地が悪い。その視線から逃れるための思考を巡らせたところで、相手が誰なのかも判らないままだったのを思い出した。
「……あの、初めましてマシロと言います。それで……どちらさまでしょうか?」
その瞬間、初めてその客人の瞬きを見たかもしれない。ぱちぱちとゆっくり瞬いて、姿勢を正した。
「おやおやおや!そうだね、名乗っていなかったね!我の名は確かアマーリアと呼ばれていたよ!」
見た目と口調がアンバランスな客人は、誇らしげに胸を張ってからりと答えた。あまりにも堂々と言われたものだから、訊き返して良いのかすら判らない。
思わず近くに浮いてるクロの方へ視線を向けた。
『この者の名は、アマーリア。マシロの言葉で言うならば新しき神の一人になる』
「新しき神……ですか」
神は星を創り育てる。そしてある程度育成の軌道に乗った星から神は離れる。そこまでは聞いていた。
その後、順調に育った星が寿命を迎えると新たに星を創る神が生まれるのだそうだ。そして新しい神の名前は星の名前だったり、その星の住民が崇めていた名になることが多い。
アマーリアという名前は、星の住民たちが崇拝していた神の名前を頂いたらしい。
『アマーリアはまだ星の形すらまともに創れないのだが』
「そうそうそう!地球の人間が来ていると聞いてね!滅多にない奇跡さ!会えるうちに会っておきたいだろう!」
食い入るように言葉を被せ、再びゆっくりと顔を覗き込んできた。
珍獣か私は。いや、育成が成功している地球の人間は星を創る神からすれば珍しいのか?マシロは思わず半目でアマーリアを見返してしまった。
「おやおやおや。この姿が気になるのかい?地球の人間に会うのだから、地球で理想とされてる姿にしてみたのさ!どう?」
半目の意味は理解されず、その姿に興味を持ったと思われたらしい。どうやらマシロのために人間の姿を模して来てくれたようだ。
「どう?どう?どう?雑誌とか動画とか見たのよ!」
と、参考にしたであろう見慣れた地球の雑誌や動画を空中に画像として映し出し始めた。軽く見ただけでも、人気投票やアンケートなどのランキング形式が多く見て取れる。
「……もしかして男女別の結果の上位を混ぜましたか?」
「そうそうそう!人間も理想の人間なら間違いはないからね!」
自信満々に大変良い満面の笑顔でそう言われてしまえば、マシロは何も言えない。気に入られようという善意でしかないのだ。
高級食材も味を整えずに鍋でごった煮したら不味い、と言っても伝わらないだろう。何より説明するのも正すのも、ただ疲れる予感しかしない。
「それで、アマーリア様は私に会う為だけにこちらに?」
「おやおやおや。我のことは親しみを込めてアマちゃんと呼ぶといい!」
最高に面倒だなこの神……とは口が裂けても言葉として出すまいと飲み込む。別の意味合いを含めた呼び方をしてしまいそうなので、出来ればその呼び方は遠慮したい。
マシロがどう対応しようかと困っていたら、ふわりとアマーリアとの間に黒い玉が割り込んできた。
『アマーリア。会うだけと言ったはずだ。これ以上はマシロの邪魔になる』
「あらあらあら。我らのためにも夢幻者の邪魔はいけないね!」
そう言いながらアマーリアは机の上を覗き込んだ。先程まで書いていた地球の魔物名称一覧を見ているようだ。視線を合わせたときのような空虚な瞳ではなく、むしろ輝かせて眺めている。
「うんうんうん。貴方も頑張り屋さんなのだね!では最後にひとつ、質問に答えてくれよう!」
その言い方は質問したいのか質問を受け付けているのかどっちなんだと訊き返すべきだろうか。
マシロの訝しげな表情から何かを読み取ったのか、質問に答えて欲しいと改めて言い直してきた。
「ねえねえねえ。貴方は、人間の味方か?」
今度はマシロがぱちぱちと瞬きを繰り返してしまった。
魔物を創るということは、どこかの世界で人間と対立することもあるだろう。
だからこそ試すかのような質問には納得するが、何かが引っかかった。
別に魔物を創ったからといって、それが必ずしも人間と敵対する訳ではない。むしろ友好な場合も多い。
善があれば悪があるように、味方がいるなら敵もいる。誰かと協力したり味方になれば、自分が直接関係しなくても勝手に敵対する者が増えてる場合もあるだろう。
こちらが味方と思っていても、相手が自分を敵だと思っていればそれは正しく味方とはいえない。
「……人間次第ですね」
「おやおやおや。貴方は人間なのに?」
「神様も星を創る過程で成功と失敗があるでしょう?その基準は自分にとって善いか悪いかです。だから私が出会った人間次第でしかないです」
酷く無難な回答だ。敵にも味方にもなるし、ならないともいえる。この世界に来たばかりのマシロにとって、今は中立が一番安全だと踏んでの答えだった。
どこか頭の片隅でこれは夢だからという考えが残っているせいもある。この神どころかクロですら未だ信用してるとは言い難い状況なのだ。
再び空虚な瞳で見つめられ、そして作り物のようにゆっくりと唇が弧を描いていくのが見えた。
「ふむふむふむ。面白い!クロルーシュアの為に頑張ってくれたまえ!」
唇だけが笑っている状態のまま、ひらりと片手を振ると空気に溶けるようにアマーリアの姿が消えていった。
嵐のように突然訪問し、突然帰ったことに思考が追い付かず、マシロは暫く呆然と固まっていた。
消えた空間を眺めていると、机の上に無機質な衝突音が小さく響く。振り返るとクロが机の上に降り立っていた。
『すまない、邪魔をした。アレに悪意は無いのだが、生まれたばかりで自由過ぎる』
あれで生まれたばかりなのかと問いたくなってしまったが、クロの言葉で全身の力が抜けていくのが判る。
どうやら知らずと力が入っていたらしい。
クロが連れて来なくても、あの様子なら一人で勝手に会いに来た可能性がある。それも解っているからこそクロが案内してきたのだろう。
「……出来れば今後は事前に知らせてくれるか、面会謝絶でお願いします」
『善処しよう』
絶対とは言い切れない辺り、クロも大変なのかもしれない。
魔物一覧を眺めているクロを思わず撫でてしまった。クロは特に何も言わないが、逃げる様子も見られないので嫌がられてはいないのだろう。
ゆるりと撫でながら溜息を零す。
人形の身体なのに酷く疲れてしまった。
精神の疲労回避方法まで考えてから身体を創れば良かったのかもしれない……そんな方法があるのかも判らないが、と独りごちた。