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鍋奉行  作者: ごんぱち
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2.将軍の愉しみ

 買い物を終えた鍋代味善(なべしろあじよし)は、賑やかな通りを歩き、路地を通り過ぎる。

 と、いつの間にか、鍋代の手にあったフグはなくなっていた。

 鍋代がいなくなった後、路地からは飛脚が一人出てきて、走り去った。

 手ぶらになった鍋代は、そのまま歩き、江戸城桜田門へ来た。

 門に立つ武士四人は、ちらと彼に視線を向けるが、声をかける事もなかった。

「木村殿?」

 一番若い武士が、年配の武士に声をかける。

「何だ」

「あの男、何者なのです? いつも素通しさせるばかりで」

「名は鍋代味善。それ以上の事は拙者も知らぬ」

「役職は?」

「分からん。将軍様直々の役職なのであろう」

「御庭番――?」

「知ってどうなる」

「いや、しかし、気になって」

 若い武士は、振り返ろうとしたが、首半分曲げただけで止めた。


 部屋の隅で毒味役二名が箸を付け、その後将軍の前に供される。

 飯も、焼き物も、汁物も、その全ては冷めて、湯気が立つ事もない。

 将軍は一箸二箸付け、すぐに下げられていく。

 毒味役が、ふと訝しげな顔をする。

 いつもに増して、食が進んでいない。一箸も付けられない皿が多い。

「よい、下げよ。今日は腹具合が優れぬ」

 将軍は廊下へ出た。

 と、同時に、腹が鳴った。

「こちらへ」

 紋のない裃を付けた武士が、将軍を案内する。

 将軍は足取りも軽やかに――しかし、足音を立てずに、廊下を歩く。

 大奥へ至る長い廊下に、ふいに分かれる廊下がある。

 相当に注意してもなお気付かぬそこを曲がって更に歩くと、小さな離れに辿り着いた。

 武士は戸を開ける。

 中には、座敷がしつらえてあり、中央には七輪が、そしてその上には大きな土鍋が置かれていた。

「お待ち申し上げておりました」

 その向こう側で頭を下げているのは、鍋代味善その人だった。


「待ちかねたぞ。今日は何を喰わせてくれるのだ、鍋改方、鍋代」

「アンコウにございます」

「アンコウ? フグを所望した筈であるが?」

「フグは、殿中禁制の上、料理の難しき魚。鍋改方総力を上げてご用意をしておりますれば、しばしお待ちを」

「そうか」

 鍋代は鍋にアンコウの肝を入れ、煮立つ前に引き上げ、将軍に出す。

 将軍は汗をかき、フゥフゥ冷ましつつ、それを頬張る。

 それは当たり前で、異様な光景だった。

 将軍が、調理したてのものを喰う。確実に禁忌。危険極まりない行為。

 故に、少数の重鎮以外は誰も知らぬこの離れで、完璧な厳戒態勢の元、ひっそりと行われる。普段は冷めた食事しか出来ぬ将軍にとって、最も楽しみな食事。それが、この鍋であった。

 天井裏、外、屋根の上から床下に至るまで、役付きの御庭番が鉄壁の守りを形作る。

「ううむ、旨い。いや、普段が不味過ぎるのだ」

 崩れつつも完璧に近い作法で、将軍は箸と口を動かす。

「毒味で冷めた食い物、魚と言えば鯉と鮎ばかり」

「くれぐれも、他の者の前で仰られぬよう」

「分かっておる。愚痴も鍋の前故じゃ」

「こちらも煮えてございます」

「おうおう良い香りじゃ」


 将軍の食事が終わり、鍋代と紋のない裃を付けた武士は地下の調理場で土鍋を洗う。

「ご好評でしたな」

「一応は、な」

 念入りに土鍋をこすりながら、鍋代は溜息をつく。

「上様は出来たお方じゃ、ご不満を二度口にされる事はない」

 まな板の上には、解体されたフグが置かれていた。

「鍋代殿の腕をもってしても、毒は取り除けませんかな?」

「うむ」

 鍋代はバラバラになったフグを紙の袋に入れる。

「フグの種類は多く、それぞれが別々の場所に毒を持っておる。どんなに調理法を学んでも、種類の見極めを誤れば、ズドンじゃ」

「困った将軍様ですな」

「いや」

 洗い終えたまな板に、鍋代は鉋をかける。

「フグの旨さは、確かにそれだけの価値はあるのじゃ」

「フグは食いたし命は惜しし遊女よちょいと貸しとくれ」

 武士は都々逸を口ずさむ。

「それで、どうじゃ?」

 鍋代が彼をちらりと見る。

「大坂のてっぽう屋竜次、この男なら、間違いはございますまい」

「てっぽう屋……か」

「鍋改方としては、他の料理人を使うのは心苦しいでしょうが、そこはそれ、我らにお任せを」

 武士は涼やかに笑う。

「僅かでも怪しい素振りを見せれば」

「――頼む。しかし、決して感づかれてはならんぞ。恐れで手が鈍っては困る」

「心配されるな」

 ふと気が付くと、調理場には鍋代の他には誰もいなかった。

「……片付け途中で消えるなよ、お庭番殿」



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