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安倍晴明と酒呑童子

作者: 植田弦

 稀代の陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)と、大江山に巣喰う鬼の首魁(しゅかい)酒呑童子(しゅてんどうじ)

 晴明は生年が九二一で没年が一〇〇五。酒呑童子を討った源頼光(みなもとよりみつ)の生年は九四二、没年が一〇二一です。頼光の存命中に酒呑童子は討たれたわけですから、酒呑童子の生没年もなんとなく察することが出来るでしょう。

 そう、このふたありは、実は同時代を生きた者たちでありました。ふたありの因縁は、かようなもので御座います。


 時は一条天皇の御代。永延三年(九八九)八月七日、都は大いなる災いに見舞われました。

 一天にわかにかき曇り、烈風が吹き起こったのです。洛中洛外の民家を始め、神社仏閣の屋根が飛び、家々は倒壊し、おびただしい死傷者が出ました。

 この凶事はいかなる鬼神の仕業であろうか。一条帝は、ただちに陰陽師・安倍晴明を呼び出し、災いが何に起因するものか、占わせました。

 この時の晴明の心のうちは、察するにあまりあります。彼は、こう叫びたかったのに違いありません。すなわち。

「落ち着けよ主上。こりゃ単なる【野分(のわき)(台風)】だろ?」

 だって、八月はじめの大風ですもの。当時は太陰暦(旧暦)を用いていましたから、現在の暦だと九月です。台風シーズンど真ん中です。これが台風でなくて何だというのでしょう。

 たまたま、寺社仏閣関係の被害が多かったからといって、これほど怯えることではないのじゃあありませんか。

 しかし、晴明はオトナです。つつしんで主命を拝受し、陰陽の術にて占いの儀式を執り行いました。そして、出た占断とは。

 晴明は再び帝に拝謁(はいえつ)し、こう申し上げました。

奏上(そうじょう)いたします。都より西方に在る山に妖鬼が棲まい、王法を倒さんとしております」

 ぱっと顔を輝かせる帝。

「おのれ、やはりそうであったか。天に(つば)吐く()れ者め、退治てくれるわ!」

 帝のお顔が晴れたのには、理由があります。というのは、人間というものは、難に遭った時、犯人を求めずにはいられないのです。

 犯人がいたから事件が起きた。では、被害者の復讐として、そ奴をぶちのめせばよい。

 天災に「犯人」はありません。けれど、これだけの災いが起きて、「犯人は居ない」では済まされないのです。皆の、気持ちの持って行き場がないのです。すなわち、スケープゴートとして、皆の怒りを一心に浴びる絶対悪が必要でありました。

 しかし、これは天災です。犯人はありません。帝の気が済むならと占いましたが、犯人がいるはずはないのです。

 しかし。

 ただちに調査したところ、まさに都の西に当たる(おい)の坂(異説では都の西北・大江山)に鬼の一味が潜んでいることが判明しました。丹後国目代藤原保友によると、「賊は通力自在にして人を殺すこと数を知れず。速やかに官兵をもって討たれたい」とのこと。

 この情報に、いちばん驚いたのは晴明でしょう。まさか、本当にどんぴしゃの方角に山賊がいたとは。

 この世に鬼はおらぬ。在るのはただ哀しく愚かな人間ばかり。この未曾有の大災害を引き起こしたのは、その賊ではない。

 しかし、都人らの恨みは深い。賊は、ただ殺されるだけでは済まないだろう。晴明は、そっと嘆息したことでしょう。

「…堪忍なぁ」

 晴明のつぶやきは誰にも聞こえることなく事は進み、鬼賊退治の勅令が、源頼光とその一子頼国に下ったのです。 


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