月明かりに歌う
「悪かったな。お城に連れて行けなくて」
「いやいや、ありがとうねファンテ、頑張ってくれて」
誰もいなくなった闘技場。
月明かりの下、二人は石のベンチに座っている。
「にしても闘技場、鍵をかけるとかはないのね」
「え? だって、なんも盗られるもんないだろ? ここ」
「まあそうなんだけどさ」
――意識が違うんだよなぁ。
そもそも、人がずっと居残っているのに誰も追い出しに来ないなどリーンには考えられない。これがこの世界の常識なのだとリーンは再認識する。
「惜しかったね」
「ん? ああ」
「相手、強かった?」
するとファンテは妙な顔をした。意外なことを聞かれたとでも言うようなきょとんとした表情。
「ファンテ?」
「――あ? ああ、強かったよ。お前も見てただろ?」
「まあ、見てたけどさ――よし」
リーンは立ち上がって階段を駆け下り、闘技場に上がる。
「お、おい! リーン?」
息を整えたリーン、中程にいるファンテに微笑みを投げて。
「頑張ってくれたファンテの為に私、歌います!」
両手を組み合わせるリーン。
イアシスに居た頃より少し伸びた黒髪が、三つの月が織り成すカクテル光線に鮮やかに浮かび上がる。
目を閉じるリーン、息を吸って。
歌い出しは穏やか。
驚くべきことに、遠くファンテの座る辺りまでリーンの声は伸びやかに響く。
――優しい声だ……。
ゆったりとした律動。
まるで馬車に揺られて旅をするような、どこまでも冒険を続けていくような、遠くへ続く、終わりのない道を歩くような幻想にファンテは誘われていく。
『いい? この歌を歌う時はね、どこまでも広がるように、世界の希望を意識しながら歌いなさい』
この歌を練習していた時の母親の声だ。
――そうだね、ママは正しいね。だって、世界はこんなにも……。
月明かりがどこまでもリーンを照らし、彼女の目尻をきらりと輝かせた。
ファンテはただ、注意深く触れなくては壊れてしまいそうな、それでいて力強さもあるようなどこか儚げなものに、ひたすらに胸を奪われていた。
そうして歌が終わり、リーンは頭を下げた。
「今のは?」拍手をしながら、ファンテ。
「えっとね、ムーンリバーっていうの」
「へえ、どういう歌なんだ?」
ファンテの隣に座り直したリーン、笑顔で。
「これは、あるところに二人のドリフターズがいてね、たくさんの世界を見たいと思い立って一緒に旅に出る――そんな歌」
「ドリフターズ?」
「流れ者、って意味」
「流れ者、か……。何だか、今の俺達にぴったりだな」
頷くリーン。
それ切り、二人は無言になる。
「ねえファンテ?」ぽつりと、リーン。
「ん?」
「――悔しくは、ないの?」
「ん? 負けてか? そりゃあ……」
「違うよ。そっちの悔しさじゃない」
軽く応じようとしたファンテをリーンが目で止める。
――ああ、ばれてたか。
勘の鋭い奴め――ファンテは内心舌を巻く。
――あんな負け方、やっぱり不自然だもん。
詳しい事情はリーンには分からないし、それでもファンテが敗れたからには何か訳があるのだとは分かっている。
――でも、私は悔しいんだ。
だから聞かずには居られなかった。
「悲しいことに、どこの世界にも色々とあるもんなんだよ」
さばさばしたファンテの顔。
リーンはこれ以上の追求に意味がないことを悟る。
「ま、いっか――行こ? ファンテ」
立ち上がり彼の手を引く。
「よし、飯食って宿に戻るか」
しかし、リーンは少し頬を膨らませて。
「やだ。この街、嫌い。今日中に出たい」
「は?」
「何でもいいから。ほら、宿に帰って荷物を取って、とっとと出よう! 急げば閉門に間に合う!」
「お、お前なぁ……」
「いいじゃん行こうよー。ファンテがいれば夜道も怖くない、でしょ?」
にったりと笑うリーン。
「煽るなよ……」
――まあ、自信はあるが。
彼は笑みつつリーンの後をついて行く。
宿屋で手早く荷物をまとめた二人。
街の入口の門へ走ると、ぎりぎり閉門時間前で何とか外に出ることに成功した。
「ど、どうにか間に合ったな……」
「あ、ほら! 見て!」
リーンの指さす先、地平線の向こうまで一直線に延びている街道。
――おお。
三つの月明かりが、真っ直ぐに街道を貫いていた。
「ほら、見てよファンテ! ムーンリバー!」
はしゃいで走り出したリーン。後を追うファンテ。
二人の冒険者が、月の川を泳いでいく。
これで終わりです。
ありがとうございました!
他の『歌声』シリーズも宜しくお願いします!
※リーンの歌う『ムーンリバー』は、オードリー・ヘプバーンの歌う
『Moon River』をイメージしています。とても良い曲なので、興味のある方は是非聴いてみて下さい。