三連の月──ザルナック城下
晩御飯を食べようとファンテとリーンはオープンテラスのあるレストランに入った。
「おい? 大丈夫か? なんかここ高そうだぞ」怯えた顔のファンテ。
「ふふふ、私に任せなさい」
前の街、イアシスを旅立つ前にリーンが演ったライブ。
売上の全額を街で世話になっていた酒場の女主人、ラクタルに渡そうとしたのだが彼女は半分しか受け取らなかった。
その為、リーンはいま懐具合に余裕がある。
店内で食べても良かったのだが、あまりの夜風の心地良さに、外がいいとリーンが提案した。
物腰の穏やかな店員に案内されテラス席に着く二人。
「いやー、イアシスにはなかったよね、こんなお洒落なお店」
「まあ、そこは流石ザルナック城下、ってことだろ」
オープンテラスには他にも何組かの客がいて、中には女性客もちらほら。彼女たちは目線をたびたびリーン達に――主にファンテに向ける。
リーン、頬杖をついて目の前の男をしげしげと眺める。
──あーほんと、無駄に爽やか、びっくりするくらいの男前だよね。
長い金色の髪を後ろでポニーテールにし、きりりと引き締まった眉に大きな瞳。通った鼻筋に薄い唇。
──ハリウッドスターで言うとあの人だ。
ファンタジー映画で美形のエルフ役をやっていた人──だが、リーンには名前が思い出せなかった。
当のファンテは周囲の視線やリーンの思いなど気にすることなく、手を挙げて給仕を呼ぶ。
二人は店員のおすすめ肉料理を注文、来るまでの間、ファンテはグラスに入った麦酒、リーンは水を飲む。
「リーン、何で酒にしないんだ?」
「前に言ったじゃん、未成年だからよ」
「ああ、それか……なあリーン、いい加減ミセイネンってのが何なのか――」
「お・し・え・な・い」
──まあ別にどっちでもいいけどね。
アイドルもびっくりの美青年、ファンテの困った反応が楽しくて夕飯の度にこの件をやってやろうかとさえリーンは思う。
──お、今夜は月が綺麗だな。
夜空を見上げるリーン。
──初めて見た時はびっくりしたっけな。
この世界で昇る月は全部で三つ。
最初の一つが東から昇り、そこから、まるで次を連れてくるように順番に、最終的に空には三つの月がかかる。
色は赤、青、緑。
まるでスポットライトのようだとリーンは思う。
──全身に浴びて、客席を見渡して。ミンナー、ゲンキダッター? って……。
こんな夜は、いつかの感覚が蘇る。
「お待たせしました」
二人の前にステーキとパン、サラダのプレートが置かれる。
「おお、旨そうだ」
「そうだね」
──ああ、白米、食べたいっ。
リーンは叶わぬ願いを思いつつ、目の前の料理に手をつけていく。
一年と半年暮らしたイアシスの街をファンテと共に旅立って三カ月。二人はザルナック城下の街に入っていた。
急ぐ旅ではない。
ザルナックに行こうと決めたのだって、リーンが『ガチのお城が見たい』と強硬に主張し、ファンテはそれに従ったまでだ。
「当分はお金もあるし、今月もファンテに給金は払ったし。明日はお城に行こう、ファンテ」
肉料理をあっという間に平らげたリーン、満足そうに腹をさすり、水を飲んだ。
食事の済んだ二人は店を出て、今晩の宿を探すため街の大通りを歩いている。
「それにしても、あの『ライブ』って奴は凄かったな。俺も歌なんてもの、リーンがいなけりゃ一生知ることはなかったよ」
「オーバーだなぁ。歌くらいで」
この世界、基本的に歌や音楽の類がない。絵画や彫像などの美術はあるのに、だ。
「いや、実際、イアシス中の人間が来たんじゃないか。あれで歌を知った奴だって大勢……」
「だから大袈裟だって」
「そうかな。でもまあ、あそこまで派手にやってあいつらに見つかってなきゃ良いな、とは思うが……」
過去に、リーンはとある小国の王の前で歌を披露したことがあるらしいとファンテは聞いている。
ただ、歌を聴いた結果彼女をいたく気に入った王は、何と彼女を監禁した。
どうにか逃げ出すことに成功したリーンだが、以来、王の命を受け彼女を連れ戻そうとする男達にしつこく追われていた。
「あ、そういうこと言ってさり気なくフラグを立てないで。ま、だとしても大丈夫よ。私らは既にイアシスを出て、ザルナックにいるんだから」
「そうだな。フラグってのが何なのか分からんが」
頷くが戸惑った顔のファンテ。
──わ。明るいなぁ。
大通りは賑やかだ。
魔法光の街灯が通りに沿って設置されており、街はまだまだ眠らないようなきらびやかさで、行き交う人々も陽気に笑っている。
「この宿にするか」
通りの外れ、ファンテは古びた外観をしたあまり流行ってなさそうな宿の前で止まる。
「えー、もっと良いところは?」
「あのな、金は大事にするもんだぞ」
それに、どこで寝泊まりしようが一泊は一泊だろ、とファンテ。
──ま、それもそうね。
昔から金に困ったことはないリーン。だから、この世界に来た当初が彼女の人生で最も貧乏だった瞬間だ。
──お金に困るのって本当に大変なんだよなぁ。
「さ、行くぞ」
二人、宿のドアを押し開ける。
「あら、意外に……」
ファンテと廊下で別れ、部屋に入ったリーンはこぢんまりとはしているが清潔な部屋に驚く。
ベッド脇、サイドボードの上にはランプもあり、一晩泊まるには必要充分だ。よく考えればここは王城のお膝元。下手な宿屋の営業は認められていないのかも知れない、とリーンは考える。
自分の身体をベッドに放り投げる。
「あいてっ」
いつも、ベッドにスプリングが入っていないことだけは忘れてしまうリーン。
──まあでも。
最初の頃に比べだいぶ体力がついてきたと思う。少なくとも歩くことは苦ではなくなった。車だの電車だの、ないものを思っても仕方がないのだとようやく思えるようになった。
──そろそろ乗馬を覚えるか……。
リーンは目を閉じる。
まだ風呂にも行っていない。が、急速に眠くなる。
さっき食べた美味しい晩ご飯のせいかも知れない。
不意に割れんばかりの拍手が耳朶を打つ。
どよめき、歓声――その中に立つリーン。
──ああ、ライブ、気持ち良かったなぁ……。
ファンテにはあんな事を言いながら、実はリーンもあの感触を忘れられないでいる。
──また出来るかな、そうだといいな……。
吸い込まれるように、リーンは眠りに落ちた。