一人と一匹
俺は大学生になった。だからと言うわけではないが、世界のみんなに聞いてもらいたい。物の怪を信じるだろうか? まあ実際信じてくれなくてもいいんだが、せっかくの一人暮らしを満喫しようとしていた俺のビューティフルライフは、ドアを開けた瞬間、目の前の光景で一瞬にして吹き飛んでいった。そして待っていたのは非現実的な日常である。
「で、どちらさまで?」
「これからこの家で世話になる。ケントと申す者でござる」
「はあ、俺はトウヤ。この家に今日引っ越してきました」
なぜ俺敬語? ていうかそもそもこいつは……犬? 真っ白な小型犬。言うなればチワワにそっくりだ。ていうかチワワだ。そのつぶらな瞳で見つめられるとキューンとしてしまいそうなほどにチワワなのである。
「よろしくでござる。トウヤ殿。拙者が喋っているので少し驚くかもしれぬが、拙者は世間で言う物の怪にござる」
「物の怪? あ、お化けとかそんなの?」
「少し違うでござるがそれでもよい」
この奇妙な喋る犬は、自分のことをお化けと言う。俺がおかしいのか、こいつがおかしいのか。決まっている。こいつがおかしいのだ。だが俺はそんなおかしな状況に置いても順応する自信はある。よく言えば協調性にすぐれている。悪く言えば流されやすいと言ったところだろう。
「まあよろしく。ケント」
敬語を使うのが馬鹿馬鹿しくなってすぐにタメ口になったのは言うまでもない。そもそもこの犬コロの言葉遣いはなんだ? ここは江戸時代かっての。
「驚かないでござるか? トウヤ殿」
驚かないほうがどうかしている……が、小さい頃から妙に霊感が強かった俺にとってはさほど珍しくも思えなかった。とは言ってもここまではっきりと見えたり喋ったりするのは初体験なのだが。ていうか犬が喋るなよ……。
「別に。昔から交差点で首のない人間をうっすら見たり、お墓の周りでもち食って談笑してるじいちゃんばあちゃんをうっすら見たりしてたからな」
そう。さっきも言ったがうっすらと見えていただけ。それはそれで気持ち悪いのだが慣れてしまえばなんてことはない。だがここまではっきりと見えちゃそろそろ俺のお迎えも近いのかな? とか考えてしまったりする。一瞬だけどね。
「見慣れているのであれば好都合。実は拙者、昨日までのんびり山で暮らしていたのでござるが、さすがにのんびりしすぎだと山神様に怒られてしまい、この都会に放り出されてしまったのでござる。そんな折、たまたま誰もいない家屋を発見したのでつい上がらせてもらったのでござる。それが調度十分前くらいでござるよ」
「十分前ってついさっきじゃん。そもそもここってペットオッケーだったかな?」
「ペットとは心外な。拙者これでも齢五百と二十でござる」
「結構歳いってんなあ。ケントは猫又みたいなもんか?」
ケントは俺が猫又と言う言葉を発した途端、あのキュートな黒目が真っ赤に染まった。気持ちバックに黒いモヤみたいなものも見える。
「ねーこーまーたー? あんな卑怯者と一緒にされるとは心外な。切腹に値するぞ!」
物凄い威圧感だ。伊達に五百年以上生きてはいないってことか。見た目はチワワだけど。
「まあ落ち着けって。悪かったよ。で、ケントは何が出来るの?」
「すまぬ。取り乱してしまったでござる」
俺があやまるとすぐに元の喋るチワワに戻った。
「それは拙者、物の怪と言えど犬でござるからな。食う寝る以外だと番犬くらいであろうか」
「番犬ねえ。じゃあ俺が留守の間は頼むよ。何かあるとは思えないけどね」
「改めてよろしくでござる。トウヤ殿」
「ああ、よろしくケント」
こうして俺とケント。一人と一匹の生活が始まった。俺の考えとは裏腹に普通の大学生活は送れないことが確定してしまったのである。