25. 帰還
事後処理は王太子や他の騎士団員が行うとのことで、フレイヤはローガンに抱えられたままアデルブライト家の馬車に乗り込んだ。
コネリー侯爵は目立たないようにと裏口に馬車を回してくれていて、好奇の目に晒されることなく密かに会場をあとにする。
アデルブライト家別邸に帰ると、事件の一報が既に入っていたらしく……。
マーサ、エヴァ、ベラが悲壮な顔で走り寄ってきたので、フレイヤはちょびっとしか怪我をしていないのがちょっと申し訳なくなりつつ、胸の奥がほんのり温かくなるのを感じた。
「マーサ、ベラ、風呂の準備を」
「はい」
「エヴァ、包帯を用意してくれ。薬は王室の侍医からもらっているから不要だ」
「かしこまりました」
ローガンはフレイヤを抱えたままテキパキと侍女に指示を出し、彼女たちに続いて2階へと上がっていく。
このままお風呂でも抱えられていたらどうしようかと少し不安になるが、ローガンはフレイヤを浴室の椅子に下ろすと、自分も湯浴みするために退室したのでほっとした。
「フレイヤ様、お怪我は……」
「手と足の裏にちょっとだけだから、本当に大丈夫なのよ、エヴァ。ただ、擦ると痛そうだから、水でそっと洗い流すだけにしておきたいわ」
「かしこまりました」
「……心配かけてごめんなさいね」
幼い頃からやんちゃしてきたフレイヤだったが、こんな事件に巻き込まれるのは流石に初めてのことだった。
いつもより硬い表情のエヴァに謝ると、「ご無事で……本当によかったです」と微かに震える声が返ってくる。
誘拐騒ぎの時は、悪役よりも悪役らしいローガンの「刻む」発言などがあり、なんだか泣くという発想すらもなかったのだが、家に帰り心底ほっとした今になって涙腺が緩んできてしまった。
「お嬢ざま……!」
「もう、お嬢様じゃなくて奥様よ」
「おぐざま……!」
いつもポーカーフェイスのエヴァが涙目になったことに釣られたのか、ベラも泣き始め、フレイヤも涙を浮かべる。
「あらあら」
微笑みながらマーサがフレイヤの涙を拭いてくれるけれど、彼女の目も少し潤んでいた。
4人とも鼻をすすりながら湯浴みを終え、怪我した方の足をつかないようエヴァに支えられて寝室のソファに座る。
しばらくすると寝室の扉がノックされ、同じく湯浴みを終えたローガンが入ってきた。
侍女たちが退室し、寝室には2人きりとなる。
「フレイヤ、傷の手当てをしよう」
王太子に呼びつけられた侍医からもらった軟膏を片手に、ローガンはフレイヤが座るソファの隣に座る。
「手を」
「はい」
切れてしまった右手の方を差し出すと、慎重に薄く軟膏を塗ったあと、包帯を巻かれる。
騎士は基本的な手当てもできなくてはならないので、その手付きは慣れたものだった。
「次は足だな」
「えっ、と……」
好きな人に足を差し出すというのはどうにも気恥ずかしく思えてフレイヤが固まっていると、ローガンはソファから降りて片膝をつき、フレイヤの足をそっと持ち上げる。
「ローガン様……!」
「俺が至らなかったばかりに怪我をさせてしまったんだ。せめてこれくらいさせてくれ」
「いえ、でも、これは私が勝手に木に飛び移っただけで……」
口に出すと、自分の行動は既婚者としても令嬢としてもあり得なさすぎるもので、恥ずかしい。
しかしローガンが「俺がそばにいれば、あと少し早く助けに行けていれば、こんな怪我せずに済んだだろう」と後悔を滲ませて呟くから、フレイヤはそれ以上何も言えず沈黙した。
「……これでいい。しばらくは朝夕、傷口を洗って軟膏を塗る」
「はい……」
この口ぶりだとおそらく、ローガン自ら治療をする気なのだろう。
彼は図々しくも3ヶ月の休暇を望んだが、さすがにそれは長すぎるとのことで、3週間の特別休暇が与えられた。
数日もあれば傷は治るはずだから、完治までしっかり見守られそうだ。
ローガンが軟膏や包帯を片付ける間に沈黙が降りる。
お互いに一番肝心な思いは伝え合うことはできたが、まだわからないことが多く、何から確認すればいいのかもわからない。
あれこれと考え、フレイヤは1つ目の質問を切り出した。
「あの……ローガン様は、今も昔も私のことを想ってくださっていると言われていましたけれど、一体いつからなのでしょうか……?」
「……寄宿学校から戻ってきたばかりの頃、だろうか」
「えっ!」
「それまでは……その、お転婆で可愛らしいちびっ子くらいに思っていたんだが、あの時、フレイヤが自分とあまり年の変わらない女の子なんだと感じた瞬間に、どうにも落ち着かない気持ちになってしまった」
フレイヤが恋心を自覚したのも、まさに同じようなタイミングだった。
あの時の彼がまさかそんなことを思っていたとは予想外で、フレイヤは驚きに目をまたたく。
「だが、フレイヤは俺を見て、表情を強張らせて逃げていっただろう?」
「あ……」
「俺は寄宿学校にいる間にぐんぐん背が伸びて、体つきもがっしりしたし、顔の雰囲気も変わって、声も低くなった。フレイヤが懐いてくれていた頃とは、まるで別人だ」
確かに、寄宿学校入学前と卒業後のローガンでは、身長も体格も声も、雰囲気すらも大きく変わっていた。
「入学当時は、恐れ多くもどこぞの王子みたいだと茶化して言われることもあったが、卒業した時にはすっかり騎士らしくなり、腕力と家系のこともあって同窓の一部や下級生には恐れられているようだったから……。フレイヤもきっと恐ろしく感じたのだろうと思うと、なかなか声をかけられなかった」
フレイヤが、過去の自分への羞恥心から「お勤めご苦労さまです」という謎の挨拶をして逃げ去っていった時、ローガンがそんなことを考えていたとは。
「すれ違いの起点はそこまで遡るのね……」と内心頭を抱え、フレイヤは訂正に入る。
「ローガン様は確かにお変わりになられましたが、すごく格好良くて……私、小さい頃は本当にお転婆どころではなく、男の子みたいでしたから……一応女の子らしくなって、何をどうやってお話しすればいいのかわからなくなってしまったのです」
「……格好良い?」
「ええ。それに私、小さい頃、お義父様の騎士団長服姿に憧れて剣を振り回していたのですよ? ローガン様が騎士らしい見た目になられても、怖がるはずなんてないではありませんか」
「そうか……それもそうだな」
目から鱗といった様子のローガンを見てくすくす笑い、フレイヤは彼の肩の辺りにそっと寄りかかる。
「ローガン様とどんな顔をしてお会いすればいいのかわからず避けている内に、お姉様と仲睦まじくされているところを見てしまって……その後、婚約もされましたし。叶わぬ恋だと、諦めたのです」
「……あの婚約は、最初から解消が前提のものだった」
「ええっ!?」
ここにきてもたらされた新しい情報に、フレイヤは寄りかかっていた身体を瞬時に起こしてしまう。
「それは、一体どういう……」
「機密事項に関わるので俺から詳しくは話せないが、いずれ殿下から話があるだろう」
「そ、そうですか……。では、お姉様とは何もなく……?」
「当然だ。ソフィアの方も、俺のことはただの幼馴染みだと思っているだろう。殿下と相性もいい様子で、王城でも親しくされている」
「よかった……」
姉が意に沿わぬ結婚と王太子妃の重責、望まぬ2つを同時に背負うことになったのだとしたら、自分だけ浮かれることなんてできないと思っていた。
だが、そうではなかったとわかり、一気に気が楽になってくる。
「フレイヤの方こそ……昔からずっとと言っていたが、その、いつから俺のことを……?」
「自覚したのは……ローガン様と同じ頃でしょうか。木から落ちたところを助けていただいた時から特別でしたが、再会したあの時、はっきりと自分の思いに気づきました」
当時のことを振り返りながら言うと、ローガンは怪訝そうな顔になる。
「では、結婚が決まったあと会いに行った時、ほとんど目も合わせずにいたのは──」
言いかけて、ハッとした様子で言葉が止まった。
「そうか、あれは俺のせいだな。あの時も、険しい顔になっていたのか」
「ええ……なので、ローガン様の意に沿わぬ結婚なのかと思って……。それで、最初の夜に、愛さなくてもいいからせめて……と願ってしまったのです」
「……あれは、そういう意味だったのか……」
深々と溜息をついたローガンは、額を押さえた。
「俺は……フレイヤはむさ苦しい男になった俺との結婚など嫌で、だが貴族の義務として受け入れるということかと思って……」
ローガンは体格がよくがっしりしているけれど、色彩もあって見た目はどちらかと言うと涼やかで、むさ苦しくはない。
しかし寄宿学校卒業直後にフレイヤから避けられたことも影響してか、自己評価が低くなってしまっているようだ。
「だから俺は、せめてフレイヤが俺に対して多少の情を持てるようになるまで、手を出さずに我慢するつもりでいたんだ」
(じゃあ、庭園で言われたあの言葉は……)
結婚翌日。庭を散歩しないかと誘われた先で、ローガンは真剣な表情をしてこう言った。
『この結婚が本意でないにしても……俺は、君を傷つける気はない。無理強いはしないと、騎士の剣と我が名にかけて誓う』
あの言葉の頭には、“君にとって”が入っていたというわけだ。
彼の真剣な覚悟を誤解して落ち込んでいた自分が、今となっては少し可笑しい。




