15. 黒幕はどこに
それから1週間ほど経ったある日、フレイヤは3度目となるお忍び外出を決行することにした。
「いいこと、特にベラ。私たちは読書仲間として白百合の茶館へ行くのだから、あまりにもかしこまった言葉はなしよ」
「が、頑張ります……!」
「フレイヤ様、私も本当にご一緒してよろしいのですか?」
「あら、読書仲間に年は関係ないでしょう? それに、エヴァはまだ29歳なのだから、見た目的にはそう変わらないわよ」
「そんなことは……。いえ、謹んでご一緒させていただきます」
「ええ、よろしくね」
白百合の茶館は、先日カフェの店長グレースと、商家の息子パトリックにおすすめされた、王都で今話題の茶館だ。
特に女性客に人気で、テーブル1つごとに衝立などで区切られているため、人目を気にせず市民から貴族まで幅広い客層が訪れるという。
貴族として訪れると最上級のもてなしになるだろうが、視察としては中央あたり、すなわち上層中流階級や中層上流階級に対する接客を体験したい。
そこで、フレイヤはいつもどおり裕福な商家の娘、エヴァはその家庭教師、ベラはフレイヤの友人で、3人は読書仲間であるという体を装って店へ行くことにした。
近頃のフレイヤの暇つぶしに付き合い、2人の侍女も読書をする時間が増えていたので、この設定はあながち嘘というわけでもない。
なお、エヴァはフレイヤが3歳の頃に当時15歳でレイヴァーン伯爵家にやって来たため、今年で30歳。
ベラは伯爵家に長年仕えている侍女の娘で、フレイヤの1つ下の17歳なので、そのあたりも鑑みての設定となった。
貴族も通う店なので、一見してフレイヤだとバレないように黒髪のかつらをかぶり、シンプルな淡いグリーンのドレスをまとう。
エヴァは落ち着いたブルー、ベラは薄桃色のドレスで、2人とも髪色は黒と栗色でそのままだ。
「さぁ、行きましょう」
マーサに「行ってらっしゃいませ」と見送られ、使用人用の馬車に乗って街へ向かう。
今回も護衛はもちろんいるが、全員少し離れたところでの待機だ。
店の近くで馬車を降りてエントランスへ向かうと、仕立ての良い正装姿の男性店員が3人を出迎える。
「白百合の茶館へ、ようこそお越しくださいました」
混雑していなさそうな午前中を狙って行ったのだが、茶館は既に賑わい始めていた。
しかしまだ席はあいており、小さな庭が見える窓際のテーブルへと通される。
「メニューが色々あるのね……」
一般的な銘柄のお茶や、様々な種類のハーブティー。
飲み物だけでの何ページも続くメニューは、飲み物を片手に長い時間お喋りを楽しみたい時にもってこいだろう。
菓子も小ぶりで、その分1つ1つの価格は抑えられており、「少しずつ色々なものを飲んだり食べたりしたい」という女性の気持ちに寄り添っている。
それに、少し背伸びをして来店した市民でも、お菓子1つと一般的なお茶のセットなら頼めそうな価格設定だ。
もう1冊のメニューブックは、装丁からして上質。
中を見てみると、南方の小さな島国でしか生産されていない希少なお茶、一流の菓子職人がレシピを考案した菓子など、裕福な上層中流階級や貴族向けであろう高価ながらも上質なメニューが並んでいる。
3人それぞれに注文をし、最近読んだ話についてお喋りをしながらしばらく過ごしていた時だった。
「特別室がもう埋まってしまっているなんて……本当に人気なのですね」
「あら、でもこちらの席もお庭が見えて悪くありませんわ」
「ええ、本当ですわね」
衝立で仕切られた隣のテーブルに3人組のご令嬢がやって来て、賑やかに話し始める。
特別室というのは、白百合の茶館にある貴族専用の豪華な客室だそうだから、彼女たちはどこかの貴族の娘なのだろう。
主要な貴族については頭に入れているフレイヤだが、ちらりと見えた彼女たちのうち2人には見覚えがなかった。
もしかすると、社交界デビューを控えている少女たちかもしれない。
唯一知っている1人は、メイマイヤー子爵令嬢だ。夜会や茶会で見かけたことがあるので間違いない。
彼女たちは、注文の品が運ばれてくると、声を潜めつつも、不安と微かな好奇心を隠せないような声で噂話を始めた。
「ねぇ、お聞きになりまして? 筆の君のお話」
「毒……だとか。ああ、本当に恐ろしいわ」
フレイヤはハッとして、衝立越しに聞こえてくる会話に耳を澄ませた。
筆の君、そして毒というワード。
学術に秀でた人物を多く輩出してきたアーデン侯爵家の紋章には、ペンの紋様が入っている。
筆の君というのは、王太子の元婚約者で、病に倒れたとされているアーデン侯爵令嬢、フローレンスを指す暗語だ。
(この間、ユーリが“フローレンス嬢は病気ではなく毒を盛られたのかも”って話していたけれど……社交界デビュー前の子たちも嗅ぎ付けるくらい、噂が広がっているのかしら)
今、社交界でどんな情報が流れているのか……。
夜会や茶会より遠乗りが好き、結婚するなら姉のあとだろうと悠長に構えてあまり社交の場に顔を出していなかったフレイヤは、噂話にかなり疎い。
フローレンスの一件は姉の安全にも関わってくるかもしれないので、少しでも情報を得ようと、エヴァとベラに目配せをして沈黙した。
「筆の君は大丈夫なのかしら。未だに面会もできない状態なのですよね」
「……ええ」
「あなたはかの方と親しくされていましたでしょう? 容態について何か耳にされていまして?」
「…………」
控えめに返答したのち沈黙したのは、声からしてメイマイヤー子爵令嬢だ。
(ユーリは、お医者様が頻繁に訪れている様子はないし、親しい人に直筆の手紙で返事があったから回復傾向にあるはずだと推測していたけれど……)
あの時自分が思い浮かべた、最も物騒な仮説が再び頭をよぎる。
『フローレンス様は、ちゃんと回復されたのかしら……? お医者様が通っていないのは……その、実は亡くなっていた場合も考えられると思うのだけれど』
背筋がゾッとして、自分の腕を軽くこする。
しかし──メイマイヤー子爵令嬢が続けた言葉は、フレイヤの予想の斜め上をいくものだった。
「わたくし……この間、筆の君をお見かけしたかもしれないのです」
「ええっ!?」
2人の令嬢たちと一緒に、危うくフレイヤも「ええっ!?」と声を出すところだった。
「本当ですの?」
「詳しくお聞かせくださいな」
「ええ……。でも、確証はないのです。わたくしの思い違いだったかもしれません。ですから、この話はここだけにしておいてくださいね」
「わかったわ」
「もちろんよ」
内心「怪しいものよ、その2人、噂話が好きそうだもの」と思うフレイヤだが、彼女たちと同じく話は聞きたいので、より一層耳をそばだてた。
「先日、本を買いに出かけた時のことです。書店の2階には高価な専門書が並んでいて、身元が保証された方しか入れないのですが……そこに、まるで町娘のような格好をされた方がいるのが見えたもので、気になってじっと見てしまいました」
「もしかして、その方が……?」
「ええ。お顔立ちがよく似ていらして……。でも、格好はとても簡素なものでしたし、髪もブルネット……他人の空似だったのかもしれません」
フローレンスは、蜂蜜のような黄金色の髪だったはずだ。
おまけに侯爵は公爵に次ぐ高位貴族。
その令嬢が町娘のような格好で出歩いているとは、通常であればなかなか考えづらい。
しかし、フローレンスそっくりさんがいた場所と、彼女が置かれている状況からして、フレイヤはそれが本人である可能性は高いのではないかと感じた。
それは、メイマイヤー子爵令嬢も同じだったようだ。
「ですが……かねてより不穏な噂は耳にしておりましたし、それが事実で、筆の君がご病気でないなら……身を隠されているのもありえない話ではないと思うのです。声を掛けてはご迷惑になるかと控えましたが、あの時お見かけした女性がかの方であればと願ってしまいますわ」
「……その方がいらしたのは、王都一番の本屋さんでしたの? だとしたら、ご本人である可能性は高いと思いますわ。だってあそこ、かの方の親戚筋の方が趣味で営まれているお店だそうですもの」
「筆の君は博学であらせられると聞きますし、専門書庫の方にいらしたのなら、やはりそうなのではありませんか?」
令嬢たちも同じ意見にまとまったようだ。
フレイヤはフローレンスがどうやら無事回復した模様であることに安堵しつつ、その事実を隠したがっていることが気になってしまう。
(ユーリの話と、メイマイヤー子爵令嬢が見かけたフローレンス様らしき女性……やっぱり、彼女は病気で臥せっているのではなく、毒を盛られて命の危険を感じ、王太子妃候補から降りたと考えるのが一番納得できるわ。回復を隠しているのは、再度狙われるのを避けるためよね。ということは、王家もアーデン侯爵家も、狙われたのは王太子殿下ではなくフローレンス様だと確信しているのかしら)
王家を謀るのは、いかに高位貴族といえど重罪なので、表向きフローレンスは病ということにして王太子妃候補を降りることに同意したなら、王家も事情は正しく把握しているはずだ。
「筆の君がご無事そうなのは何よりですけれど……一体、誰の仕業なのかしら」
「一番怪しいのは、後釜にすわった月の君のお家なのだけど……」
フレイヤはギクッとする。
生家のレイヴァーン伯爵家の紋章には、月桂樹が入っている。
文脈からしても、月の君というのはソフィア、そしてレイヴァーン伯爵家のことを指していた。
(た、確かに……お父様がそんなことをするはずもないから全然考えていなかったけれど、怪しまれても仕方がないわ……!)
ちょっとした衝撃を受け、ふと、先日のユーリとの会話が再び蘇る。
『ソフィア様は大丈夫ですよ、きっと。旦那様も奥様もうろたえていないのが、何よりの証拠です』
(お父様もお母様も、ソフィアお姉様に危険はないってある程度確信しているのね、と心強く思ったのだけれど……レイヴァーン伯爵家が、フローレンス様の排除に関与していたら──って、いえいえ、お父様に限ってそれはないわ!)
父は伯爵、そして文官として十分な地位を築いているし、権力争いとは無縁の穏やかでおおらかな人だ。
才女と名高く、周囲からも認められていたフローレンスを土壇場で排除してまで、ソフィアを王太子妃にしようなんて野心を抱くとは思えない。
「それは……ないでしょうね」
「ええ。野心がなく心の広いお方だと、お父様も話しておられましたわ」
(よ、よかった……! 今夜はお父様の人徳に乾杯よ……!)
ここで「ええ、あの方ならやりかねないわ」「きっとそうよ。悪辣なことで有名ですもの」なんて言われるような父でないことに、安堵と誇らしさが湧いてくる。
しかし、一体誰が、なんのためにフローレンスを排除したのかは相変わらず見えてこない。
(犯人がいるなら、かならず目的、動機があるはずよ。毒を使って王太子妃候補を次々に排除するわけにはいかないから……犯人は、フローレンス様を排除したらソフィアお姉様が次の候補になると踏んでいたのかしら? そして、お姉様が王太子妃になった方が、犯人にとっては都合がいい……?)
「このまま月の君がご無事なら、月の君やそのご生家の方が、犯人にとっては好都合だったということになりますわね」
「ええ……」
「……あっ」
何かに気づいたような声をあげたのは、メイマイヤー子爵令嬢だった。
「どうなさったの?」
「いえ……あの、口に出すのも恐ろしいことなのですが。筆の君も月の君もご生家はかなり有力でしょう? わたくしたちからすると、替わったところで手も足も出ない存在ですわ」
「ええ」
「あっ、ということは……」
3人の令嬢は沈黙した。
いくら衝立があろうと、カフェで話すべき内容ではないと思ったのだろう。
(そうか……そうだわ。犯人にとって、ソフィアお姉様が王太子妃になった方がいいなら、それはアーデン侯爵家よりレイヴァーン伯爵家の方が御しやすいと思ったからと考えるのが自然よ)
つまり。
犯人がいるなら、レイヴァーン伯爵家より力がある立場──侯爵や公爵家である可能性が高い。
そうでなければ、レイヴァーン伯爵家の弱みを握っているか何かだ。




