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12. 贈り物


 ──翌日。


 案の定というべきか、フレイヤが起きた時には既にローガンは登城したあとで、また1人でだけでの朝食になる。

 実家にいた頃は、父レイヴァーン伯爵は多忙なためいないことも多かったが、母、姉、弟と一緒に食事をしていたので、1人でただ黙々と食べるというのはなんだか味気ない。


(今日は何をしようかしら。早速街へ行きたいところだけれど、昨日の今日でそれはちょっと……流石に無理があるわよね。数日は大人しく読書でもしておきましょう)


 当面の暇つぶし方法について、フレイヤが考えを巡らせていた時──何やら外がざわついているようで、一階の食堂にも微かな声が届きはじめる。


「……何かしら?」

「確認してまいります」


 侍女のベラがそう言って退室しようとするより先に、食堂へ家令が入ってきた。


「失礼いたします、奥様」

「何かあったの?」

「それが……その、奥様宛てにと、旦那様より贈り物がきているのですが……」


 いつもは言葉にも動作にも無駄のない家令が、今は妙に歯切れ悪く、なんとも言えないような微妙な表情だ。


「ひとまず、ご覧になっていただけますか」

「……ええ」


 ローガンは、一体何を寄越したのだろうか。

 内心戦々恐々としつつ、フレイヤは立ち上がった。


「こちらでございます」


 家令が向かったのは、別邸のエントランスホールだった。しかしそこはいつも通りで、特に増えているものはない。


 不思議に思っていると、家令はホールをどんどん進んでいき、エントランスの扉を開けた。どうやら、贈り物とやらは外に置かれているらしい。


(中に入らないほど大きな荷物なのかしら……?)


 そーっと外へ出たフレイヤは、そこに鎮座している「贈り物」らしきものを認め、思わず固まった。


「う、馬……?」

「ええ……」


 そこにいたのは、一頭の馬だった。


 淡いクリーム色の毛並みが美しく、額から鼻にかけて白い線がすっと通っている。

 体格がよく、性格は落ち着いているようで、見知らぬ場所に連れてこられたであろう状況下でも実にどっしりと構えていた。


 そしてその手綱を、傍らにいる1人の騎士が握っている。

 彼は馬とは対照的に今ひとつ落ち着きのない様子だったが、フレイヤの姿を見ると素早く片膝をついた。


「あなたは……?」

「自分は、近衛騎士団所属のジンと申します! ローガン様の秘書官を務めており、奥様へこちらの馬をお届けに参りました! それでは、確かにお届けしましたので、御前失礼いたします!」

「え、ええ……」


 家令に手綱を半ば押し付けるようにしてパスすると、ジンは改めて礼をしてから去っていった。


(騎士団の方というのは、皆さんこんなにお急がしそうなのかしらね……)


 目を瞬いて彼の後ろ姿を見送ったフレイヤは、気を取り直して馬と家令の方を見やる。


「これは、何事なのかしら」


 ローガンから突然馬を贈られる理由がわからない。半ば独り言のようなフレイヤの言葉に、家令が答えを返した。


「今朝、旦那様は沈んだご様子で、自分が至らぬばかりに奥様に悪いことをしてしまった、と零しておられました。ですから、そのお詫びなのではないかと推察いたします」

「そう……」


 「愛人を囲え」などという失礼千万な提案について、ローガンも一応は「悪いことをした」という認識ができたらしい。


 しかし、本当に何が悪いのかを理解しているのかは怪しいものだろう。

 なにせ、あんなとんでもない提案を「フレイヤのため」と言いかけていたのだから。


「フレイヤが思いがけず激怒したので、馬でも贈っておくか」くらいの考えかもしれない。


(そうだとしても、この子に罪はないし……私への贈り物としては、大正解ね)


 ゆっくり近づいてみると、月毛の馬はぱっちりとした目でしばらくフレイヤを見つめたあと、フンフンと鼻を動かしはじめる。


「よろしくね」


 匂いを嗅ぎやすいように手を鼻先に差し出し、待つことしばらく。

 馬が「ブフン」と満足げに鼻を鳴らすので、フレイヤはさらに距離を詰めて首筋を軽く叩いた。


「ねぇ、(うまや)に空きはある?」

「ええ、ございます」

「よかったわ。なら、そこにこの子を連れて行ってあげて」

「かしこまりました」


 家令がほんの少し手綱を引いただけで、馬は意図を理解した様子で大人しくついていった。

 ある程度落ち着きがある年齢になっているのかもしれないが、かなり賢く、人の言葉をある程度理解している雰囲気がある。

 歩調は軽やかで歩き方も美しく、一緒に出かけるのが楽しみだ。


「エヴァ、着替えを用意してちょうだい」

「かしこまりました」


 貴婦人用の乗馬服などではなく、簡素なシャツとスラックスというまるで庭師のような格好になり、フレイヤは厩へ向かった。


 マーサは「まあ」と少し驚いた様子ではあったが、アデルブライト家の古株なだけあって、フレイヤが普通の貴婦人からはかけ離れていることを知っていたのだろう。

 特に止められることもなく、むしろ「人参をご用意しておきましたよ」と協力的ですらあった。



 午前中は、野菜をあげて好みを探ったり(どうやら人参より柔らかい葉物野菜の方が好きなようだった)、ブラッシングをしたりして馬と親交を深め、午後は予定通り読書をする。


 そうしてもうすぐ3時になろうかという頃に、マーサが少し急いだ様子で部屋へとやって来た。


「旦那様がお帰りになりました」

「えっ」


 まだ日が高いこんな時間にローガンが帰ってくるなんて、一体どうしたのだろうか。


(まさか、怪我か体調不良で仕事どころではなくなって……?)


 不安になり立ち上がったフレイヤが部屋から出ようとしたところで、扉がノックされる。

 今度は家令だろうかと思いつつ扉を開けると、そこにはローガンが立っていた。


「ローガン様……」

「少し、話せるか」

「……はい」


 ローガンに目配せされたマーサ、マーサに目配せされたベラが次々と退室し、室内は2人だけとなる。


 彼とは、昨夜怒りをぶちまけて寝室を出ていった以来なので、どうにも顔を合わせづらい。

 ローガンの方をあまり見ないようにして、フレイヤは手のひらでソファを示した。


「どうぞ、お掛けください」

「……ああ」


 2人分の紅茶を淹れてテーブルに並べ、向かい合ってソファに座る。


 居心地悪い沈黙から逃れるようにそれぞれ紅茶を飲んでいたが、一向に話が始まりそうにないためフレイヤから切り出した。


「あの……馬について伺っても……?」

「あれは、ララだ」

「いえ、名前ではなくてですね……。何を思って突然贈られたのかと」


 フレイヤの問いかけを受けて、ローガンはティーカップをソーサに戻し、居住まいを正した。


 婚約以降、ローガンがフレイヤを見る時はたいてい睨むような鋭い視線と険しい表情だったが、今回は真剣さと少しの気落ちが滲むような表情だ。

 そのことに少し安堵して、フレイヤもようやく、まっすぐに彼の方を見つめることができた。


「……昨日は、本当にすまなかった。俺は──……」


 何事かを言いかけたローガンだったが、口を閉ざし、ゆっくりと首を横に振る。


「……いや、言い訳はしない。俺が君を傷つけたという事実だけがある。あの馬は、せめてものお詫びだ」

「…………」


 予想に反し、彼が昨日のことを本当に悔いているような様子であることに驚き、フレイヤは何も言えずに沈黙した。

 それを怒りがおさまらないためと勘違いしたのか、ローガンはわずかに動揺を見せる。


「フレイヤは今も乗馬が好きだと聞いていたが、違ったか……?」

「い、いえ! 領地に戻った時は、愛馬でよく遠乗りをしています。ララのこともとても気に入りました」

「そうか」


 ほっとしたように、ローガンの肩から少し力が抜けた。


 昨夜最低な提案をしてきた彼との隔たりがあまりに大きくて、1日足らずの間に一体どういう心境の変化があったのかと、フレイヤは目をまたたく。


「王都でも、少し郊外に出れば、静かな林道や見晴らしのいい丘がある。よければ今度、一緒に行かないか?」

「……! いいんですか!?」


 驚きは一旦脇に置いておいて、現金なフレイヤはぱぁっと満開の笑顔になった。


 しかし──。


「ああ、もちろんだ」

「…………」


 頷くローガンの顔はいつも通りの渋面になっていて、「そのお顔でどこが“もちろん”なのですか?」と嫌味を言いたくなってしまう。


(社交辞令的に言ってみただけで、私が即座に「行く!」と答えるとは思っていなかったの……?)


 胸の奥がじくりと鈍く痛む感覚は、ローガンに恋をしてからもう何度目だろう。

 気分が舞い上がったのはほんの一瞬で、フレイヤは溜息を押し殺し、小さく首を横に振った。


「……やっぱりやめておきます。ローガン様はお忙しいでしょうし、ララをいただけただけで十分ですわ。遠乗りには私1人で行けますから、お気になさらないでください」

「…………」


 ローガンは、さらに渋い顔になって沈黙した。


(断ったら断ったで不満だというの? もう、一体どう答えるのが正解だったのよ……)


 彼はまるで、攻略不可能な城塞のようだ。

 彼の癪に障らない応対とは一体どんなものなのだろうかと頭を抱えたくなりつつ、フレイヤは昨夜出した結論に戻る。


(やっぱり彼は、私といるとソフィアお姉様のことを思い出して辛くなるのかもしれないわ。きっと、私が何をしようと気に入らないのよ)


 数年単位で根気よく向き合っていけば、あるいは2人の関係は変わっていくのかもしれない。


 しかし、フレイヤは自覚してからでも約4年、出会いから考えると約8年もローガンしか見ていないのだ。

 彼の方も同じように、ソフィアを5年、10年と思い続ける可能性を考えると、とてもではないが耐えられる気がしなかった。


 ソフィアとは全く無関係の、女性として好みに合致している別の人と結婚した方が、ローガンにとってもいいのではないだろうか。

 そしてフレイヤも、独り立ちにしろ再婚にしろ、新たな人生を歩んでいくことによって、少しずつローガンを思い出として消化していきたい。


 それがお互いのためというものだ。


(離縁のための計画を、なるべく早く進めないと……)


 密かに決意を強くするフレイヤ。

 一方、沈黙したままフレイヤの方をじっと見つめていたローガンは、やがて冷めきった紅茶を飲み干して立ち上がる。


「1人で行くにしても、護衛は必ず連れて行ってくれ。では……私は、城に戻る」

「わかりました。無事のお帰りを……」


 お待ちしております、と言いかけて、自分に待たれても気に障るだろうかと、フレイヤは口をつぐむ。


「……ああ、必ず」


 短く頷いたローガンは、くるりと踵を返して部屋を出て行った。



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