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第二章 抱腹絶倒して頭を打つようなライトノベル 003




     003




「あっはっは。それで頬がそんなに腫れてたのか。いやー楽しそうなことやってんじゃん」


「今の話のどこが楽しそうに聞こえるんですか……」


 ぶたれてからかれこれ一時間弱、未だに赤く染まったままの頬を軽くさすりながらそんなことを言う合法ロリ上司に、俺はそんな憎まれ口をたたいていた。


 あの後、半ば追い出される形で濫読の家を後にした俺は、傘も持たぬままダッシュでバイト先である須佐之男書店まで向かっていた。小雨だった雨は書店につく頃には本降りの一歩手前くらいまでになっており、おかげで頭も冷えて少し冷静になった俺は、事のあらましを簡潔に夜叉ちゃんに話したのだった。


「端的に言って、マジで才能あるよ、君ってやつは。ラノベ主人公になっちゃえばいいのに」


「冗談じゃありませんよ……運命感じたヒロインとわずか一時間足らずでサヨナラバイバイしちゃうような奴が主人公のラノベなんて、誰が好き好んで読みますか」


「好き好んでって、改めて見ると面白い字面だよね」


「人の話聞けよ合法幼女」


 濡れてしまった髪は借りたバスタオルで拭かせてもらい、同じく濡れてしまった制服は夜叉ちゃんが貸してくれた服を着ることによって奥の事務所に干してある。どうしてこの成人済み幼女が俺にフィットするサイズの服を下着も含めた上下セットで用意周到に準備してあるのかは、敢えて触れないでおくとしよう。


「しかしまあ、もったいないことしちゃったねえ。折角仲良くなれた美少女と、初日に喧嘩別れなんてさ。今からでも謝って復縁してきたら?」


「どうしてカップルになったこと前提で話してるんですか……嫌ですよ。なんで俺が謝らなくちゃいけないんですか」


「まあまあ、そうかっかすんなって。可愛いんだからもう。ほら、おいで? あたしと全裸で抱き合って温め合おうじゃないか」


「いやなんで脱ぎだしてるの」


 鞄に入れていたおかげで濡れずに済んだ非防水スマホを片手に持ち、通報する素振りを見せつける。


「落ち着けよ少年。半脱ぎの幼女と男子高校生、この状況を見た警察が手錠をかけるのは、果たして一体どっちだろうね?」


「ぐっ……卑怯者め」


 半脱ぎはずるいよ。


 それ、見た目が普通に年相応でも俺が連行されるじゃん。


「……ま、冗談さておきさ」


 と、夜叉ちゃんは脱ぎかけたワンピースを着直しつつ、そんな風に雑に話を戻していく。


「搔い摘んだ話を聞いただけだから、私に確たることは言えないんだけどさ。でも、君にも落ち度があったんじゃないの? 向こうが一方的に悪いってことは、案外ないんじゃないかと思うけど」


「俺にも落ち度が……?」


「君が怒らせるようなことを言ったんじゃないのかいってこと」


 どうせこの雨じゃいつも以上にお客さんなんて来ないだろうし、今日もこのまま雑談タイムだ。いやまあ、この話の内容が雑かどうかは定かではないけれど。


「トリガー、まさに引き金だよ。君の発言のうちのどれか一つ、或いは二つ以上かもしれないけど、それが彼女の怒りの引き金となった――むしろ私には、そう思えるけどね。何の脈絡もなく怒り出すなんて、それはもう更年期障害だとしか言えないよ」


「更年期障害ですか……夜叉ちゃん、他人事じゃないですもんね」


「ぶっ飛ばすぞクソガキ」


 やれやれそういうところだよ、と夜叉ちゃんは呆れ顔でそう返す。うん、確かに今の発言はネタとしても微妙だったかもしれない。


 猛省。


 ところで、たまに口調が荒くなる夜叉ちゃんは結構可愛かったりもする。


 見た目が見た目なので、そんなに怖くないのだけれど。


「うっかり胸でも揉んだんじゃないの?」


「そんなうっかりで同級生の胸を揉む奴がいますか。そんな、うっかり八兵衛みたいな」


「うっかり八兵衛もうっかりパイ揉みはしないだろうけどね」


 そりゃそうだろ。


 水戸悶々になってしまう。


「ま、仮に胸の一つや二つ揉んだくらいじゃあ、そんな怒られ方もしないだろうけどね」


「え、そうですか? 胸なんて触ったら、さすがに平手打ちじゃすまない気がしますけど」


「いやあ、案外そうでもないよ」


 何故ならね、と夜叉ちゃんはしたり顔でこう答えた。




「女の子って言うのは、案外胸を揉まれたくらいじゃ怒らないからだよ」




「マジで!?」 


 今年一番の大声が出た。


「え、いやいや、嘘ですよそんなの。俺が見てきたアニメだと、すっころんで女の子の胸元にダイブしたら、十中八九引っ叩かれてますし」


「そんなのフィクションだからに決まってるだろ。何? ろっか君は現実とアニメの区別もつかないオタクだったのかい?」


「いや、それは……」


 別にそういうわけではないのだが、何故だか今は素直に否定できなかった。


「で、でも」


「でももヘチマもないよ――ふむ、なら物は試しだ」


 夜叉ちゃんは腰に手をあてがい、胸元を突き出した。


「ほら、試しに私の胸を触ってごらん?」


 触った。


「少しは動揺しろ!」


 ドゴッと下腹部に右ストレートが飛んでくる。身長差のせいでその位置を殴ったのだろうが、奇しくもそこは、男性の心臓より大事な急所すれすれの位置であった。


「なんてことをするんですか……」


「なんてことをしたのはろっか君の方だろ! 何の躊躇いもなく触りやがって! ラッキースケベじゃなくてただのスケベじゃないか!」


「失礼な、ちゃんと躊躇いましたよ」


「今のどこに躊躇いがあったんだよ! 溜めも貯めもなかったよ!」


「そんなこと言わずに触らせてくださいよー。初めてできた友達を失った悲しき後輩を、その柔らかおっぱいで癒してくださいよー」


「そんな変態な後輩は私にはいない!」


「冷たいなあ。いつもは自分から誘惑してくるくせに、いざとなったら弱気なんですね」


「今はいざってときじゃないだろう!」


「ほらほら、ぷよぷよ~」


「こら、勝手に触るな!」


「えい。いっくよー。もっといくよー。せーの」


「おっぱいで連鎖しないで!」


「フレイム。ブラストビート。エクリクシス。フェアリーフェア。ばっよえ~ん」


「ばたんきゅ~!」


 夜叉ちゃんはその場に倒れ込んでしまった。


 どうでもいいけど、アルルが好きかアミティが好きかで、どの世代をやり込んだのかおおよそ見当がつく気がする。


「ろっか君……一応忠告しておくけど、これが私じゃなかったらろっか君は今頃お縄に頂戴されているんだからね……」


「ええ、肝に銘じます」


 それを言うと、相手が夜叉ちゃんだとしても傍目から見れば俺はただの性犯罪者にしか見えないわけで。


 この本屋の集客率が悪くて本当に良かったと思う。


 閑話休題。


「もう一度、よく考えてみなよ。彼女に追い出された原因――即ち、彼女を怒らせた原因。或いは彼女が怒った原因。本当にろっか君になかったと、胸を張って言える? 互いにヒートアップしてからじゃなくて、何の変哲もない会話の中には一切過ちはなかったと、私のこの巨乳に免じて、胸を張って言える?」


「免じる必要がどこにあるんですか」


 とは言え、彼女の言うことにも一理ある……が、それらしきものは正直言って思い当たらなかった。


 雨に打たれて頭を冷やして、それでも思い当たらなかった。


 濫読が怒った原因。


 俺なんかに友達を申し出てくれた彼女が、人が変わったように怒った原因。


「逆に考えよう。ろっか君、君だったら友達のどんなことに腹を立てる? どこまでが許せて、どこからが許せない?」


「逆に考える……ですか」


「例えば、自分のポッキーを許可なく一本取られるくらいは許せるけど、雪見大福だったら許せない、みたいな」


「……あー」


 すっげえわかりやすい。


 確かに無許可で二分の一を持ってかれたら、どんな相手でもいざこざに発展くらいはしそうだな……。


「……って言っても、俺マジで友達とかいなかったから、あんまり実感ないんですよね。仮に相手が妹とかになると、大抵のことは許せてしまうでしょうし」


「だったら、私を対象に考えてみたら?」


「夜叉ちゃんを?」


「おうともさ」


 そう言って腰に手を当てて胸を張る幼女を見て、つい考え込んでしまう――でもどうだろう、この人はこの人で憎めないキャラ性と言うか、愛されキャラと言うか、例に上がった雪見大福で見ても、なんだかんんだで許してしまいそうだしな……。


「雪見大福を取られて許す? おいおい、怒りの沸点が高すぎるんじゃないの? 君はオスミウムなの?」


「沸点も密度も高すぎるでしょ……」


 まあオスではあるけれど。


「私だったら許せないけどね。多分付属のプラピックで目ん玉抉り取っちゃうかも」


「アイスごときで人を殺さないでください……俺が買ってあげますから」


 しかし、怒りの沸点が高いとは初めて言われたな……まあでも、思い返してみれば誰かに怒ったりしたことってあんまりしてこなかったかもしれない。


 怒りより――呆れだろうか。


「怒りって、誰かに期待してるからこそ生まれる感情じゃないですか。そういう意味では、誰にも期待してこなかった俺は、怒りに変換される感情がなかったのかもしれませんね。妹も怒らせるようなことをしてきませんでしたし」


「怒りに疎い、ってところなのかな」


「かもしれません」


 怒りに疎い――あまり自分で考えたことはなかったが、多分それは、優しさに溢れているだなんていう綺麗な話ではないだろう。


 単に、世間を信頼を置くほどの協調性がないというだけで。


「怒りに疎い――それって、結構皮肉な話だよね」


「? と言うと?」


「自分の怒りに疎いと、自分がいつどこで怒るかわからないし、他人の怒りに疎いと、知らぬ間に他人を怒らせてしまうじゃないか」


「…………」


 確かに、それは言われてみれば結構最低な奴かもしれない。


 マイペースと言うか鈍感と言うか。


 良くも悪くも鈍い奴だ。


「……あーでも、好きな物を馬鹿にされたりしたら、さすがに少しくらいは怒るかもしれませんね」


「まあそれは、君だけじゃなくて誰もがそうだと思うけど」


「ですかね」


 人間誰しも、自分の好きな物を否定されるのは良い気がしないだろう。


 好きな物も――努力も。


「人の努力も知らないで――そう思ったのかい?」


「え?」


 ドキッ、としてすぐさま夜叉ちゃんの方を見る。彼女はにやにやと、まるで見透かしたような顔で俺を見上げていた。


「怒りの沸点が高い君でも、怒りを覚えてしまったんだろう――彼女の発言にはさ」


 現場を見ていたわけでもあるまいに、話の端々を継ぎ合わせてそう結論付ける夜叉ちゃんを相手に、やはりこの人には敵わないと改めて実感する。


 彼女が怒ったように――俺も怒ってしまったから。


 そんなことで。


 そんなことで書くのを辞めちゃったわけ――なんて、よく人の努力も知らずに言えたものだ。


「……こっちだって、必死でやってたんですよ。確かに詳細は省いてるかもしれないけど、その辺は察してほしいって言うか」


「うんうん、その話は何度か聞いてるからね。君の苦労はわかる」


 たださ、と夜叉ちゃんは子供を宥めるような口調でこう続けた。


「それは君にも言えることなんじゃない?」


「え……?」


「天才に、俺の何がわかるって言うんだよ」


 その台詞は、俺が濫読にぶたれる直前に吐いたものだった。


「この台詞は、良くなかったよね――人の努力を、才能の二文字で語ろうだなんて」


 烏滸がましいよ。


 努めて優しい口調で、夜叉ちゃんはそう告げた。


「…………」


 最後に濫読に対しそう吐き捨てた台詞――彼女の天性の才能を惨めったらしく羨み、妬み、僻み、嫉み、口から零れてしまった台詞。


「人の努力も知らずによくそんなことが言えるよ、だっけ」


 駄目じゃないか、ろっか君。


 ちゃんと受け止めきれる大きさのブーメランを投げなきゃ――夜叉ちゃんはそう言った。


 明確だった。


 濫読の逆鱗に触れた原因は、まさしくそれじゃあないか。


 俺がそうであったように、彼女もまた、そうであったことだろう――彼女は彼女で俺のように、もしかすれば俺なんかと比べ物にならないほどに、努力に努力を積み重ねてきたのではないだろうか――それがどれほどに苦しいことかは、俺にはわからない。それは、濫読が俺の努力をわからないように、俺にも彼女の努力はわからないからだ。


 わからないからこそ――だからこそ、天才だなんて凡人甚だしい単語でその努力をなかったことにされるのは、誰だって腹も立つだろう。


 浅はかだった。


 あまりにも軽率に――口走ってしまっていたのだ。


「……すいません。なんか、色々と」


「いいよ。けど、私に謝ってどうするんだい?」


「…………」


 まるで母親にでも教育されている気分だ。小さい頃から両親が不在がちの俺にとって、こうやって叱るべき時は叱ってくれる大人って言うのは貴重な存在で、だからこそ、やはりこの人には頭が上がらない。


 身長はめっちゃ低いけど。


 大きな人だと思う。


「……俺、明日謝ります。友達に戻るのは難しいかもしれませんけど……蟠りくらいは、なくそうかと」


「殊勝な心掛けだね」


 うんうん、と頷きながら夜叉ちゃんは後ろを向――きかけたところでくるりとまた振り向き、人差し指をピンと立てながら、


「最後にもう一つだけ――どう? 似てた?」


「仕草だけは、まあ……」


 この人の相棒になるのは嫌だな……なんてことを思いつつ、「どうかしました?」と一応聞き返す。




「明日まで待つ必要、ないかもよ」




「はい?」


 同時。


 ガラガラッと建付けの悪い店の引き戸が開き――そいつは姿を現した。


「お、来た来た」


 夜叉ちゃんが待ちわびたように声をかける――その先を見て。


 仰天した。


 なんなら卒倒すらできそうなほどに。


「な……!?」


 その相手もまた、こちらを見て大変驚いている様子だった。


 無理もない。


 俺は突如として湧き出てくるさまざまな文句を喉元で止めつつ、ジト目顔で夜叉ちゃんの方を睨みつけた。


「そんな驚くなよ。苗字しか知らなかった君と違って、私は履歴書を見てたってだけのことなんだから」




 ああ、なるほど。




 大きな人で、第二の母親みたいな人で、敵わない人ではあるけれど――絶対、こんな風な大人にはなりたくないと、店の入り口で呆然自失としている少女、濫読――濫読詩織を見ながら、そう思うのだった。




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