第二章 抱腹絶倒して頭を打つようなライトノベル 001
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ライトノベルを読みすぎてわかったことが幾つかある。
一つは、ラノベの主人公設定によくありがちな『痛い』感じのキャラに、無意識のうちに自分も近づいてしまっているということだ。直前に読んだライトノベルがあまりに面白かったがばっかりに、知り合って一日しか経っていないようなクラスメイトに小説内の台詞を無意識下で引用してしまうような、そんな痛い奴に、気付かぬうちに変貌しているということが、ここ最近では一番痛さが強烈だった。先日うちの妹が幼なじみが絶対に負けなさそうなラブコメを読んだ際、何に感化されたのか「私、よみ兄ぃの『いもかの』になるね!」と突然言い出して妹の将来を心配してしまったが、この兄にしてこの妹ありだと、今になって冷静沈着に反省できよう。
「いやー、まさかオナクラに『をすをとす』の読者がいるとは思わなかったわ。世界って案外狭いものね」
二つ目は、孤立を選び周囲を見下してしまうが故に、友達らしい友達が全くできなくなってしまうことだ。中学生時代から目に余るような中二病を患ってきてしまった俺は余計に、中学生時代の友達もろくたらいないわけで、オマケに高校生活スタートで盛大に大失敗をしてしまった結果、家族以外によく話す相手はバイト先の上司しかいないという、協調性が微塵もない一匹狼が完成してしまったということだ。家族と言っても両親はほとんど家にいないので、実質妹しかいないようなものである――友達どころか知り合いすら満足に作れないような惨状になるのなら、ラノベも少し控えるという選択肢を考えなければいけないかもしれない。
「確かに思い返してみれば、あんた入学してからずっと本読んでるものね。あたし、本以外にあまり興味関心がないから、クラスメイトがどうこうって気にも留めたことなかったわ」
そして三つ目は。
「にしたって、まさか同級生に読者がいるなんて言うのは想像もしなかったわ。それこそそんなの、ラノベの中でしか起こらなさそうな展開じゃない?」
よく言われるラノベ展開と言うのは、意外に現実でも起こり得るものだということだ――と、目の前に座る少女、否、美少女を見ながらそう思うのだった。
「俺だって考えもしなかったよ――まさか同じクラスに、新人小説家がいるなんて」
こっちはお前よりもよっぽど度肝を抜かれた気分だと、六畳ほどの広さの部屋にスカート姿のまま胡坐をかいている濫読の姿を見ながら内心つっこんでみる。クラスが四十人だとして、その中に『自分の書いた本を読んでいる人がいる確率』と『小説家としてデビューしている者がいる確率』だったら、まあ前者の方が確率は高いだろう。いや、でもこの計算は結構難しいか? 前者は自身が作家乃至物書きであることが前提で式を組み立てなければならないし、どちらの目線に立つかで解もまた変わってきそうだな。
んなこたあどうでもいい。
授業中に、濫読と言う初対面で『気が散るから話しかけるな』と臆面なく言ってのけた正真正銘の毒舌ツンドラ美少女に対して、前日に読んだ小説の台詞を引用してしまうというきっつい所業を行ってしまった俺であったが、その行為の痛さを追求されたり、その後誰かにそれを言いふらされたりするようなことはなかった。単純に、他人に興味を示さない濫読のことだから、その痛さについても興味が芽生えなかっただけであろうと、まあそう考えるのが妥当ではあるのだが、しかしそうではなく。
むしろ逆で。
彼女は、その俺の台詞に、釣り餌を見つけた魚が如く食いついてきた。
そしてナンパされた。
『うちに来なさい』と――濫読にナンパされた。
で、放課後。
五時間授業ということもありいつもより早く終わった本日、難攻不落の美少女と共に教室を後にする印象の薄い陰キャに対し驚愕の視線を送るクラスメイトを尻目に、俺は濫読の家に御呼ばれされることになった。
「気にせず上がっていいわよ。親いないから」
学校から徒歩五分ほどで到着した二階建ての一軒家に、そう言われながら踏み入れていく。玄関で靴を脱ぎ、振り返って靴を並べ直し、真っ直ぐ階段を上って二階の部屋――濫読の部屋へと通された。
で、現在に至る。
ちなみにこの部屋に入るまで、俺の頭の中はずっと疑問符で埋め尽くされていた。状況が一切飲み込めないまま意味も分からずここまで拉致された気分だった――だけどここに来て、ここまで来て漸く、漸くと言っていいだろう、俺の疑問はすっきりと解決したのだった。
何故突然俺を家まで呼んだのか――漸くわかった。
要約すると、彼女は小説家だ。
ただ趣味で執筆しているだけの文学少女ではない――歴とした、商業小説家だ。
それも、ライトノベル作家だそうだ――ここまでくればもうお気付きの方もいるだろう。そう、彼女、濫読は、およそ二カ月前にガンスリンガー文庫から発売された新刊、第四回曙光社シンデレラ新人賞大賞受賞作品、俺が昨日の夜に一気見してあまりの面白さに二度見した作品、『君を探す、僕を見落とす君』の著者――本堂読子その人だったのだ。
「いるじゃない? 中途半端なオタクってやつ。ラノベが好きなんじゃなくて、ラノベを読み漁っている自分が好きなだけの勘違いオタク。あたし、ああいう人種大っ嫌いなのよね。でも、あんたからは不思議とそんな雰囲気はしないわ」
得意げにそう話す彼女は学校でいつも見ていた様子とは一変、大層饒舌で活発そうな見た目へと変貌していた。
「お前がラノベが好きだという事実だけでお腹がいっぱいなのに、その上作家って……しかも昨日読んだ本の原作者って、こっちは逆に仕組まれてるんじゃないかと冷や冷やしてるよ」
「そんな巧妙に仕組むわけないでしょ、ラノベの読みすぎよ――ま、あたしも人のこと言えないけどさ」
言葉通り、彼女の部屋は元の壁が見えなくなるほど本棚で囲まれており、入り口の扉とクローゼットの扉、窓の一側以外はまさしく壁一面が本棚と言う、まるで文豪のような部屋と化していた。何千年、何億年と時が経ち、この辺りの地上が全て化石化してしまったような遥か未来に、その当時の人達がここら一体の劈開面を見たら、『ああ、ここには本の虫が住んでいたんだな』と推測できるくらいの本棚の量――そして、本の量だった。所持している本が多いというのは学生としては非常に優秀、勉学に大変力を入れているようにも聞こえるが、まさに叙述トリック、教科書や参考書類はほんのワンスペースにしか収められておらず、その大部分がライトノベルだったのである。
「それより、どうだった? あたしの本、ちゃんと面白かった?」
「あ、ああ……」
まさか原作者本人を目の前にして感想を述べるような機会が生涯で訪れようとは思わなんだ――同級生相手にらしくもなく委縮してしまいそうになるのを堪え、
「今まで読んだ本の中で、一位二位を争う出来だったと思ってるよ。マジで、誇張抜きで」
と、実際に抱いた感想を率直に述べてみた。
「~~~~!!!」
それを聞いてか濫読は、学校では絶対に見せないような喜色満面の笑みを一瞬浮かべて、
「ま、まあね? あたしが書いたんだし、そりゃ当然よね」
と、一目で照れ隠しとわかる返事をしたのだった。
その反応はこっちまで照れ臭くなってしまうな……ならばこちらも照れ隠しとして、もう一度、部屋の内装に目をやった。
ずらっと。
出版社ごとに綺麗にコーナー分けされており、小さな本屋のようだった――それこそ、須佐之男書店と同等クラスの取扱量である。なんならいくつかはスライド式の本棚もあるので、その裏に隠されたラノベも合わせれば相当な量になるんじゃないだろうか。
そしてそれは、いつも剣呑な目つきで学校生活を送っている彼女の口から飛び出した『あたしの主食はライトノベルよ』という台詞を俺に信じさせるには、十分な証拠となった。
そして、続けざまに彼女の口から出た、自称作家発言。
俺がここに連れてこられた真の理由――それは、俺が『君を探す僕、僕を見落とす君』、通称『をすをとす』の読者だからということらしい。その略称は公式なのかどうなのか、是非原作者である彼女に問うてみたいところではあるのだが、俺がシャーペンを拾い上げる際、彼女に対して教室で吐いたあのくっそ痛い、痛いを通り越して最早遺体とすら言えるような、思い出したくも思い返したくもないあの台詞を聞いて、ピンと来たらしい。
それこそ、釣り餌に食いつく魚のように。
で、そのたった一言の発言から、俺を『をすをとす』の読者だと断定し、ここまでつれてきたそうだ。可哀想なので無粋なことは言わないが、もしその予想が外れていたらどうするつもりだったのだろう。加えて、俺が成人君主だからまだいい物を、見ず知らずの男と一つ屋根の下で二人きりになろうなど、年頃の乙女としてはもうちょっと警戒心を持ってもらいたいものである。
お前のことを狙ってる男子って、結構多いみたいだぞ。
さてそれでは、そんな危なっかしくも胡散臭い、ましてや直前まで嫌っていたとすら言えるような相手の出まかせとも取れるとような発言を何故信じ込んだのか。
『あたし、それの原作者なんだよね』
荒唐無稽、誇大妄想、嘘八百を通り越して嘘八百万とすら言える戯言と捉えて一蹴することもできただろう。なんなら、人が死ぬほど感動し感銘を受けた小説の起源を勝手に名乗ろうなど不届き千万、一発ぶん殴ってやって然るべきですらあろう――ただそれでも、さすがにあれを見てしまったからには、疑念を抱く余念はないというか、認めざるを得ないというか……本棚のびっしりと並べられたラノベに混じって、中段程のとあるコーナーに、それが飾られていたのだ。
盾。
と言ってもファンタジーよろしく、身を守るほどの大きさを兼ね備えたゴリゴリの盾ではなく、表彰式や認定式で授与されるタイプの、タブレット端末程度の大きさの金色の盾だ。
『第四回シンデレラ新人賞大賞』
その盾には、そう刻まれていた。
それを見て、濫読の言っていることは全て事実なんだと、初めて悟った。あの盾を原作者から奪ってきたのかとか、転売されているのを買ったのかとか、そういう浅はかな考えをするのは、もうやめた。
そうか。
本当に――こいつが、あれを書いたのか。
「しかしまあ、本とは言えこれだけあったら引っ越しの時とか大変そうだけどな。高校卒業したら、出版社の近くに一人暮らしとかするんじゃないのか?」
「今のところ、その予定はないわね。電車で乗り継げば行ける距離なんだし、さすがにこれ全部運びだすのは骨が折れるわ」
「だろうな」
三度、部屋をぐるりと見渡す。好きな物に囲まれている部屋、と言う意味では正に俺の理想たる部屋ではあるが、対称的に、女の子らしさはまるでない。ベッドの上の布団も、窓に取り付けられた遮光カーテンも、そこで執筆をしているのであろう勉強机も、実にシンプルと言うか、多分予想だけど、余ったお小遣いを本代に回すために極力安い物を買ったんじゃないだろうかと、そんないらぬ想像をかきたてられてしまった。
「だからと言って、電子版なんて絶対お断りだけどね。本は重さがあってこその本なんだから! あたしは駆け出し作家として、背表紙で語れるような、そんな荘厳な男を目指すわ!」
「いやお前女じゃん」
お前みたいな美少女が突然男になったら、担当編集も腰抜かすわ。
まあ、作家的にはそういう激しい人生もありなのかもしれないけど。
「でも、その意見には賛成だな。あれもこれも電子化すれば重さなんてなくなるんだろうけど、本はその重さも含めて本だからな。平面じゃなくて立体なんだよ。4Kだ8Kだと画質に磨きがかかる現代で、それでもフィギュアコレクターが『画像でいいです』ってならないのと同じ物なんだと思う――そういう意味じゃ、電子書籍がデジタル写真の域に達しないうちは、紙媒体もまだ安泰だろうな」
書かれている内容が同じならそれはもう同じなのだろうけれど、違う。そもそも書籍と電子書籍なんて、書籍と映像くらい違うものだろう。似て非なる、全くの別物だ。そういう意味では、移行ではなく並行、しっかり線引きして分けて然るべきなのだ。
それに、全てが電子化してしまったら図書館や本屋の存在意義もなくなってしまう。
この年でリストラは御免だ。
「…………」
と、そこで目の前の美少女が、持論を熱く語る俺を前にきょとんとした表情を浮かべているのを見て、やってしまったと思った。
完全にやってしまった。
ほら、これだよ。こういうとこだよ。聞かれてもいないのに口達者にべらべらと、まるで小説の台詞みたいなことを言う。直前に読んだ本に感化されて、登場するキャラの思想に寄っていくような、一目でわかる中二病。
卒業したんじゃなかったのかよ。
俺はラノベ主人公じゃないんだぞ――そんな風に痛くてたまらない自分の姿から目を逸らし、濫読の方とちらっと一瞥すると。
「……あんな、最高よ!」
がしっ! と、急に寄ってきて両手を握られてしまった。
「あ、あんな?」
「間違えた。噛んだわ」
「噛んじゃったのか……」
アンナプルナかと思った……標高世界十位のあの山な。
「あんた、最高だわ! あたしの友達になりなさい!」
「は……はあ!?」
またしても耳を疑った。なんかもう、こいつの発言全てに猜疑心を持ってしまっている節があるが、正直今のそれは、作家であることを暴露された時や、ラノベが好きだと言った時以上に胡散臭かった。
いや信じられないのも当たり前か。何しろその考えは俺の中で、昨日勝手に終わったものだしな。
こいつとは絶対友達になれないって――それなのに。
「と、友達? 俺と? お前が?」
「他に誰がいるのよ。あんたの本に対する思い、あたしには本物に見えたわ。ラノベで語れる友達、欲しかったのよね。同期でデビューした人たちとか既に活動しているプロたち、みんなあたしより年上だから、中々熱く話す機会がなかったのよー。正直もう限界ね。静かに一人で熟読するのも良いけど、たまには誰かと感想を語り合いたいの。その中から見えてくるものだってあるわけだしね、わかる? その辺」
ずずいっと近い距離まで寄ってきて、濫読はそう捲し立ててくる。
近くで見るとマジで可愛いな、こいつ。
ラノベに出てくる文学系少女って、やたらとビジュアルに努力値が振られていることが多いイメージだけれど、こいつもまさにそんな感じだ。っていうか、見た目めちゃめちゃ可愛くて、でもラノベ好きのオタクで、小説家で、その上プロとしてデビューしてるって?
ラノベのキャラやんけこいつ。
キャラって言うか、ヒロインだ。
お? ということは、そのヒロインにこうして迫られてる俺って、もしかして主人公なんじゃね?
俺凄くね?
気付かないうちに、ラノベ好きが高じてラノベ主人公になっちゃったのかな?
人生長生きしてみるもんだな。まだ十五歳だけど。
……それに、濫読が美少女とかどうとか関係なく、ラノベを語り合える相手って言うのは、確かに欲していたしな。
まさに棚から牡丹餅だ。これだけ本棚があれば、牡丹餅の一つや二つ隠されていそうなものだけれど。
「それにあんたといればインスピレーションも刺激されそうだし、新作の下書きの感想とかももらえそうだしね。担当編集とか同業者より、やっぱり生の読者の声が聞きたいのよ。ついでだし、締め切り間近になったら色々手伝ってもらおうかしら。やっぱ学生に商業活動ってスケジュールもハードだし、一人じゃ大変よね。でも友達なら何とかしてくれるわよね、ラノベでそういうの読んだし!」
「…………」
そっちが本音なんじゃないだろうか……という確信にほぼ近い疑心を心に持ちつつも、まあ、取り敢えず。
アンナプルナ――じゃない、そんなこんなで、ついに友達ができた。