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第一章 思わず笑ってしまうようなライトノベル 003




     003




「そう言えばぁ。授業中にあれなんですけどぉ、進路希望調査の提出期限が来週の月曜に迫ってるのでぇ、まだの人は早めに書いてくださいねぇ」


 翌日。


 今日も今日とて一時間目から担任が受け持つ国語の授業があり、その授業中であるにも関わらず国語教諭の蔵所先生は担任である特権を生かして授業中に業務連絡を行うという職権乱用を行っていた。梅雨前線がすぐ傍まで迫っている外はいつ降り出してもおかしくないようなどんよりとした空気で、そんな空気とは裏腹にクラス内からは、席替えしたばかりで周囲の人物が目新しいからなのかやっぱり授業中であるにも関わらず、勉強とは無縁の私語や雑談でキャッチボールが繰り広げられていた。


 そんな様子に何を言うでもなく、教室の一番後ろ、窓側の席で頬杖をつきつつ、外から流れてくる湿気で湿った土の匂いを嗅ぎながら、俺はボーっと眺めていた。


 いつもなら心底見下しているようなその光景を目の当たりにしても、今日はただただ、ボーっとしていた。


 窓の外、空を飛ぶ鳶を視野に入れたまま、けれど目で追うでもなく、時々ふふっとにやけたりして、徒に腑抜けていた。


 理由は単純。


 物思いに耽っているから――正確には、感傷に浸っているから。


「…………」


 一見、アンニュイな表情を浮かべているが、その実、昨日読んだライトノベルの内容を思い出しているだけなのである。


 夜叉ちゃんにおすすめされ渡された、『君を探す僕、僕を見落とす君』というタイトルの小説。出版事業や映像事業、ゲーム事業を行っている株式会社曙光社から派生したガンスリンガー文庫というレーベルから四月に発売された新刊で、第四回曙光社シンデレラ新人賞で見事大賞を受賞した、期待の新人作家である本堂読子ほんどうよみこが著したライトノベル。その昔に一度だけ姿を見て以降、記憶からこびりついて離れない不思議な少女の正体を追い求めて旅に出るという準ファンタジー的な内容で、あらすじだけ聞けば誰でもやっつけで思いつきそうな王道を往くストーリーではあるのだが、その本性は実に繊細で丁寧、一冊完結という長いようでいて書いてみればあっという間に終わってしまう短い話の中で、起承転結、全てのシーンにメリハリが効いており、細かながら本筋にまつわる伏線も張られており、何よりキャラ同士の会話がナチュラルでいてセンス抜群、全体が一本道ということもあってかサクサク読み進めることができてしまった。随所にちりばめられた笑いどころもポイントで、思わず「おおっ?」と声を上げてしまうようなダークな展開もあり、しかし最終的には感動させられてしまうという、読み手側の感情をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくる感じがなんとも心地良く、取り敢えずきりのいいところまで読もうと思って表紙を開いた両手が、読破するまでその本を手放さなかったというのは最早言うまでもないだろう――成る程、これは間違いなく大賞だろうと、寧ろこれ以外の応募作品なんて軽く一蹴してしまえるんじゃないかと、そう思えるほどには、あの小説には魅力と魅惑が詰まっていて、新人賞大賞と言う名誉ある賞に対し僅かに嫌悪感を覚えた俺でさえも、あっという間に、圧倒的に、魅了されてしまったのだった。


 読了後もその興奮は収まることを知らず、昨夜はなかなか寝付けなかった――床に入った時間もそれなりに遅かったので完全に寝不足なのだか、不思議と全身に気怠さのようなものはなく、寧ろエネルギッシュな気分で今日と言う日を迎えることができた。


 俗にいう神小説に出会えた。


 神小説を読んだ後は気分がいい。薄墨に濁った空も、授業の進行を妨げる有象無象も、それを止めようともしない愚かな国語指南番も、実に微笑ましく見える。


 世界が広く見渡せる気さえする。


 なんともほこほこした気持ちで胸がいっぱいだ――二年前の俺だったらきっと、この高揚感を活力に変えて早速創作活動に打ち込んでいたかもしれない。残念ながら今の俺がその行動に及ぶことはまず間違いなくないのだけれど、もう少し早くこの小説に出会えてたらと後悔する気持ちが半分、こんな素晴らしい作品を読んでしまっては逆に自分の才能のなさに絶望していたかもしれないので、あの頃の俺が読まなくて実はよかったのかもしれないという気持ちが、後の半分と言ったところだろうか。


 とにかく気分がいい。


 すっかり創作活動から身を引いた現状の俺であっても、勝手に頭の中に断片的な物語が形成されていく。邪魔だと払い除ける度に、今度は別の物語が産声を上げていく。だがそれも、今ならそんなに悪い気はしない。素晴らしい作品を読んだ後の感動を創作意欲に変換できるというのは、前向きに物事を捉えられるいい証拠だろう。あまりにも気分が高まっているので、未だ提出していない進路希望調査の第一希望の欄に、うっかり小説家とか書いてしまいそうだ――まあ、さすがにどう血迷ってもそんな書き損じはしないのだけれども。三年前の俺であればそんなふざけた回答をして見せたかもしれないが、高校生ともなってしまった今、そんな悪ふざけは若気の至りでは許されない。普遍性を求める意味でも、安定性を求める意味でも、堅実性を求める意味でも、俺の将来の夢は公務員であると決めている。元より大学に行くつもりはなかったので、高卒で地元を離れ、地方の役所に勤めるつもりだ。そのために半年前から高校の勉強を前倒しで予習しているのだから。


 だから、脳が狂っても小説家なんて記述はしない。


 が、今日くらいは勉強を休んでも良いんじゃないかとか、そんな楽観的なことが頭をよぎるくらいには、とにかく気分が良かったのである。


 クスリでも決めていたのかもしれない。




 カシャン、と。




 そんな風な音が聞こえてきたので見て見れば、通路を開けた俺の右隣、昨日新しくそこに越してきた見た目は一流・態度は三流の美少女、濫読が、シャープペンシルを落としていた。


 右利きのくせに、左側に落としていた。


 どうしたら右手で持っているシャーペンを自身の左側に落とせるんだ? 考えられる可能性としては、ノートの上に置いたら転がってったってところだろうか――或いは、転寝でもしてたとか? いや、一見して硬派で真面目そうな雰囲気を纏う彼女が、人前で睡魔に負けるわけもなさそうだ。


 閑話休題。


 彼女がシャーペンを落としたところで、俺には何ら関係はない。彼女もそれが落ちたことには気付いているようだし、自分で拾えばいいだけの話である。ころころと俺の椅子の下を転がってそのまま反対側まで行ったわけでもあるまいし、椅子からわざわざ下りずとも手を伸ばせば届く範囲にあるのだから、余計に彼女が拾えばいい。と言うか寧ろ、ここで俺が下手に手を差し伸べでもしたら、『余計な世話を焼かないで』だの『親切心のセールスサービスでも開いてるの?』だの『死ね』だの身も蓋もない罵詈雑言を投げつけられそうなので、尚更そんなことをする必要はない。


 他人への親切心は、相手に反撃を与える隙にしかならない。顔がいいだけの美少女に差し伸べるような綺麗な手は、残念ながら持ち合わせていないのだ。 




 ――が。




 ひょいっと。




 やっぱり、今日の俺はそこかおかしい――と、濫読が落とした女子が使うにしては武骨なシャーペンを拾い上げながら思うのだった。


「…………」


 彼女よりも先に、刹那の速さで俺が身を乗り出しそのシャーペンを拾い上げる。その行動に気が付くや否や、俺と目が合うと同時に憎悪の籠ったような蔑視を向けられてしまう。


 うーん。


 俺、こいつになんかしたっけなあ――甚だしいまでの嫌悪的な態度を前に、そんな疑問を抱いてしまう。そしてまた、なぜ自分がこんな無意味な親切を焼いているのかも疑問に思った。だが、それはわかりきったことであろう。別にこのクソ生意気な美少女に恩を売って野郎だとか、そう言う思慮深い考えがあるわけではない――単純に、神小説を読んだからだ。


 気分がいいからだ。


 気分が良ければ、意味もなく人の役に立ちたくなるものだ。


 アニメを1クールぶっ通しで見た後に、劇中のキャラの口調が移ってしまうように。


 神小説を読んだ後は、意味もなく作中の台詞を使いたくなるものだ。




「落としましたよ――綺麗な絵筆ですね」



 その台詞は、『君を探す僕、僕を見落とす君』の冒頭シーン、古い文房具屋から出てきた少女が通行人にぶつかった拍子に紙袋から買ったばかりの筆を落としてしまい、それをたまたま通りがかった主人公の少年が拾い上げ、少女に手渡す際に用いた台詞だった。


 物語の大本がそこに詰められているということもあり、そのシーンは全体の中でも特に印象に残っていた――印象に残りすぎていて現実で使ってしまった。


 傍から見れば完璧に痛い奴である。傍から見ただけで痛い奴なんだから、目の前にいる毒舌美少女・濫読から見れば、痛いを通り越して痛烈な奴に見られたに違いない。


 痛すぎて遺体になった気分だ。


 しかも絵筆じゃねえし。


 ただのメカニカルペンシルだし。


 これはもう、今後一生ネタにされることだろう。まあ、既に現時点で彼女からの扱いに希望は持てなさそうだし、別に彼女の中での俺の評価がこれ以上どうなろうと知ったことじゃないけれど――なんて、言い終わってから気付いた自分の赤っ恥同然の過ちに身悶えたい気持ちを抑えつつ、とっととシャーペンを受け取ってもらいたくて尚早としている俺であったのだが――対して、濫読の反応は。




 固まっていた。




 固まったまま、目が点になっていた。


「あ、あんた……それって……」


「……え?」


 予想とも期待ともまるで正反対の反応に困惑する俺など気にもせず、濫読は口を開いた。


「まさか……読んだの? 『をすをとす』を?」


「はい?」


 おすおとす? オス落とす? なんだそりゃ、雄を落しているのはお前の方だろうが――そんな小言を思わず言いそうになったが、続けざまに発した彼女の言葉に度肝を抜かれてしまい、それ以上喋ることは叶わなかった。




「いいわ。あんた、今日うちに来なさい」




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