第一章 思わず笑ってしまうようなライトノベル 001
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ライトノベルを読みすぎてわかったことが幾つかある。
一つは、ラノベの主人公設定によくありがちな『痛い』感じのキャラに、無意識のうちに自分も近づいてしまっているということだ。俺はSFやファンタジー、異世界に転生するようなジャンルより、現実世界若しくはそれに等しい世界観で繰り広げられる学園物や恋愛モノを好んで読むのだが、そう言った類のライトノベルで主人公を務めるキャラに多い『オタクで陰キャで周囲を見下し、俺は周りと違うと思い込んでいる』設定から知らぬ間にそこそこインスピレーションを受けていたらしく、性格は根暗で屁理屈を多用する捻くれ者、クラスメイトは担任含めて全員信頼しておらず、自ら進んで孤立を選ぶように、知らぬ間になってしまっていたのである。
とてもよくないことだ。
近頃は主人公が完全に陽キャのラノベも流行ってるらしいし、そう言うのも読んでみた方がいいのかもしれない――なんだっけ、主人公がラムネ瓶の中にいるんだっけか?
まあなんでもいいけど。
ラムネでもレモネードでも何でもいいけれど――二つ目はそれに付随するような形となるのだが、だからそう、孤立を選び周囲を見下してしまうが故に、友達らしい友達が全くできなくなってしまうことだ。これに関しては確実に俺が悪いわけなのだが、中学時代の知り合いがなるべく選ばないようなところ、と言う理由で家からそこそこ離れたこの白露高等学校に入学してから早二か月弱、幾許かのクラスメイトが俺に話しかけこそしたものの、そこから継続的に会話を繰り広げられるような仲の生徒はと言えば、もう、皆無なのである。
ゼロだ。
この時点でゼロなのだから、多分、俺の高校生活はこの先も友達ゼロ人で進んでいくのであろう。さながら『Re:ゼロ人から始める高校生活』とでもいうべきか。
……『Re』要素はないけれど。
せめてラノベ好きの知り合いとか、共通の話題が生まれるような伝手くらいは一人や二人いても良いとは思うのだが……いや、こんな風に打算的に思慮している内は、多分友達なんてできないだろう。
そして三つ目は。
「…………」
よく言われるラノベ展開と言うのは、意外に現実でも起こり得るものだということだ――と、隣の席に座る少女、否、美少女を見ながらそう思うのだった。
梅雨を間近に控えた六月初旬のある日。
「はいっ。それじゃあ新しいクラスになって一カ月以上経ったので、席替えをしましょお!」
朝のホームルームが終わって一時間目の授業。一年一組の担任であり国語教論でもある蔵所先生の提案によって、急遽席替えをすることが決定した。自分の受け持つ教科だからと言って自由にし過ぎな気がするし、そもそも授業時間を削ってまですることだろうか……まあ入学して以降観察してて、あの教師がマイペースで思い付きで行動しがちだということはある程度分かっていたが、それなりに真面目に勉強している身としては、授業は授業としてちゃんと機能してほしかった。
それとももしかして、成績に響くタイプの席替えなのだろうか……受験の枠は椅子取りゲームというように、座る席によってこの先の進路に優越を付けられてしまったりするのだろうか。
「今からこの先生お手製の割り箸くじを男女別で一人ずつ引いてもらいまぁす。廊下側の前の席から一番、二番となってますので、書かれている番号の席に座ってくださいねぇ」
うん、これ普通に席替えだわ。
成績に一ミリも関係ない奴だわ……いやでも、このタイミングで席替えとは、中々どうして俺にはありがたかったりもする。
友達を作れるチャンスかもしれない。
今更友達なんて別に作らなくてもなんとかなるかもしれないけれど、教科書を忘れたときに貸し借りができるくらいの相手は、いて困るようなものじゃないだろう。なんせ現時点での隣の席、俺の苗字は『ろっかく』なので十八人いる男子の中でも一番最後になるわけなのだが、同じく女子の中で出席番号最後尾の横に座っている環神環さんとは新学期初日に『よろしく』と挨拶して以来、一言も言葉を交わしてこなかったため、ラブコメ展開の一つである『初対面の女の子とすごくいい感じの雰囲気になった』は当然起こらず、と言うか新学期一発目の学力テストで消しゴムを忘れ借りることもできず絶望しかけたものだ。奇跡的に砂消しを持ち歩いていてその時は助かったが、できれば今後砂消しに頼るような展開は迎えたくない。
但し一方で、窓際一番後ろの席と言う、俗に言う『主人公席』であるこの席を離れるのもまた心苦しいものではあるのだが……どうだろう。天秤にかけるならどっちを取るべきなんだ?
主人公席か、可愛い隣人か。
或いは、どっちも失うとか……。
「…………」
出席番号順にくじを引く仕様上、俺は一番最後に残った割り箸を引くこととなった。
残り物には福があるとか誰かが言っていたが――果たして、割り箸に書かれていた数字は、十八。
窓側の列の最後尾――つまり、今いる席である。
「はぁい、みなさん引きましたかぁ? それじゃあ、各自荷物を持って新しい席に移動してくださいねぇ」
先生の一声の後、ざわざわと賑わう喧騒の中クラスメイトが揃って立ち上がり、新たな席へと向かっていく。そんな中、席替えだというのに席を替えない生徒が一人だけいた。
って言うか俺だった。
みんなして立ち上がり荷物を持って席を移動し合う中で、ぽつんと、俺一人だけが座ったまま呆然としている。なんて恥ずかしい状況なんだ……『起立!』って言われたのに一人だけ立ち上がるのが遅れた、みたいな痛い空気になっていなければいいのだが。
とは言え、これではっきりした。
俺に必要なのは、可愛い隣人より主人公席であるということが、だ。
「あれ、鹿角君は移動しないの?」
「え?」
などと、聞き慣れない声で突然話しかけられたかと思いきや、隣の席の環神さんが、立ち上がりざまに俺にそんなことを言ってきた。
超フランクに。
まるで友達みたいに。
「あ、えっと……席がここのままらしくて」
「あはは、何それ。やっぱり面白いね、鹿角君」
…………。
「バイバイ、鹿角君」
ケラケラと軽く笑った環神さんは、そんな一言だけを残して俺の横から去っていった。
え!?
環神さんってそんな笑い方するの!?
って言うかなんで今になって話しかけるの!?
じゃあ消しゴムくらい借りればよかったよ畜生!
それ以前に普通に話しかけられた……嫌われてたわけではなかったという風に捉えてもいいのか? それを言うなら、そもそも嫌われるようなことなんてしていないのだけれど。
勝手に第一印象を嫌われていると決めつけてかかる、オタクの悪い癖である。
「…………」
可愛い笑い方だったな……。
あれ、もう少し積極的に俺から話しかけてたら、ひょっとして仲良くなれたのでは? などという淡い期待を抱いてしまうので全国の女子高生は隣の席の陰キャに笑いかけるのを今すぐやめてください。
とは言え、主人公席を死守できたことに違いはあるまい。西方君だって高木さんといちゃこらやっていたのはこの席だったわけだし、三期も期待だし、うん、移動しなかったことをもっとポジティブに捉えよう。移動する手間が省けるということは、この隙間時間を勉強に当てられるということではないか。そもそも席替えなんて作業のうちの一つでしか結局のところなく、クラスが変わるわけでもない。そんなことで一々一喜一憂しているクラスメイトのテンションに合わせるなど、こっちから願い下げである。
ポジティブポジティブ。
周囲を見下せるのは強者の特権だ。
「……虚しい」
自分に言い聞かせる欺瞞に限界を感じた。
いや、別にいい聞かせてるつもりはない。この席にだって満足だ――だが、一人くらい友達が欲しいというのもまた事実だ。友達、いやもっと言って、仲のいい女の子が欲しい。
っていうか彼女が欲しい。
おしとやかで物静かな、不意に見せる笑顔に心がときめくような、そんな彼女が欲しい。加えてラノベが好きだなんてオプションが付いてたらもう完璧だ。
そりゃ男子高校生ですからね。
オタクだって彼女くらい欲しいんですよ。
でもオタクだからそれは無理なんだ……だったらせめてもの願いとして、隣の席に仲のいい女友達の一人や二人を要求することはいたって自然であろう。
ただこのクラス、まあお前が言うなって感じではあるんだろうけれど、可愛い子があんまりいないんだよなあ。そもそも、アニメやなんかに出てくる学校って言うのは揃いも揃って顔面偏差値が高過ぎである。世界は恋に落ちているのPVに登場した学校の男女も全員美男美女だったし、二次元の世界って言うのは所詮空想の中の妄想でしかないのだ。中学の時なんて男子も女子もみんな似たような顔してたし、『ドラえもん工場かよ』って静かに呟いてたしな。
無論、このクラスにだって、美少女と位置付けられるような女子はほとんどいない。全くいないとまでは言わないが、それでもほんの一握り、片手の指で足りてしまう程度の人数しか存在していない。例えば俺の横に座っていた環神さん。あんな紹介の仕方をしたものの、容姿は結構可愛い方だったと思う。それから環神さんの前、俺の右斜め前に座っていた女子。あの子もかなりの美少女だった。というかうちのクラスで一番可愛いのはあの子だ。綺麗な茶髪をサイドテールでまとめた髪型、プリントを後ろに回す時に振り向いた時くらいしか見たことはないが、パーツもはっきりとしていてまつげも長く、それでいて利発そうな顔をしたのを覚えている。名前は知らないけど、うちのクラス内ならあの子がぶっちぎりで一番可愛いだろう。そう言えばあの子はどこの席に移動したのだろうか。黒板を見る時に自然に視界に入る後姿が結構好きだったんだけどなあ。
「よろしく」
「ん? ああ、ども……」
なんて真昼間っから下心全開で耽っていると、横に新しく越してきた女子に声を掛けられ、思わず振り向く――そうそう、丁度こんな顔だったはずだ。明るい茶髪を、ファンシーなシュシュでサイドテールにまとめ、透き通るような碧眼、白い肌に映える赤い唇、椅子に座るときにふわっと漂う甘い匂い、隠しているようで隠し切れないこの一流の美少女オーラ……。
「って、閄?」
ものかげからきゅうにとびだしてひとをおどろかせるときにはっするこえ。
状況は違えど、そんな声を出してしまった。
思わず二度見した。
丁度こんな顔――ではない。
まんまこの顔である。
寧ろこの顔しかない。
「……は、何?」
「あ、いや、えっと」
言葉の初めに『あっ』ってつける奴は大体陰キャらしい。そんなこと言ったらじゃあ小林製薬はどうなるのかという疑問はさて置き――美少女。
件の美少女が、俺の横の席に腰を下ろしていた。
席に着いていた。
軽そうな鞄から国語の教科書とノート、筆箱を取り出し、カチカチとシャーペンの芯の長さ調節をしながら俺に声をかけていた。
「何よ、人の顔をじろじろと。ちょっと不躾なんじゃないの?」
「す、すいません……」
軽く睨みを利かしながら、強めの語気と共にその子はそんなことを言ってくる。
何とも不機嫌そうな表情を浮かべていた。
そう言えば、コイツも結構孤立している方じゃなかったか? 昼休みも俺と同じで自分の席から移動せずに一人で過ごしていたし、誰かと仲良さそうにしていた様子もなかった気がする。俺と違って見た目がいい彼女はそれでも人から声をかけられる機会が多かったが、その都度冷たそうな態度を取っていた。
冷たいというより、冷酷か。
見下すような鋭い目で、はっきりと拒絶していた。
その拒絶は言葉だけでなく、『休み時間は本を読んで過ごす』という行動にも表れている。休み時間の読書自体は別に個人の自由であろうが、穿った見方をすれば、それは本を読むという行為を見せつけることによって話しかけられないように、周囲に壁を作っているようにも思える。しかしそれでも、疎まれるだとか迫害されるだとかそう言うことはなく、彼女はいつも、深窓の令嬢とでも言えばいいのだろうか、クラスで本を読み、良い意味でも悪い意味でも、孤立していたのだった。
「……えっと、鹿角月詠です。よろしく」
「あっそ」
俺の自己紹介を聞いてか否か、少し間をおいてから、
「私は濫読。それだけ」
名字だけ淡白に、自己紹介するのだった。
「そ、それだけって……」
「何。気が散るから話しかけないで」
そう切り捨てられて、あっさり会話は終了。
学校と言うのは不思議なもので、友達のいない者はそう言った者同士でコミュニティを形成することが多いとは思うが、俺も、そして彼女も、その典型から外れているようで、そんな二人が何の因果かこうして隣同士になったところで、やっぱりそこにコミュニティなんてものは生まれないし、馴れ合いも染め合いも必要ないし、恋に発展など当然しないし、だからやっぱり俺に彼女はもうしばらくできそうにないし――けれど。
隣の席に美少女が来た――そんなライトノベルみたいな展開は、案外簡単に起こりえるものだった。