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第三章 聞けば嘲笑ってしまうようなライトノベル 005




     005




「終わらせない」


「は?」


 なかなかに恥ずかしい自分語りだったと思う――真剣に聞いてくれた濫読には申し訳ないが、顔から火が出る思いだった。にも拘らず、話し終えた直後、濫読がそんなことを言ってきたのだ。


「終わらせないわよ――あんたの夢」


 そう容易く終わらせてたまる物か。


 濫読は、はっきりとした口調でそう言い切った。


「……何を言っているのかまるで分らないけれど、終わらせないってどういう意味だよ。いや、そもそも、終わらせないも何も、もう終わってるんだって」


「終わってないじゃない」


 俺の反論も虚しく、濫読がすぐさま責め立てる。


 何を言っているんだ?


 何を――知っているんだ?


「濫読、お前は何を――」




「『俺がモテまくる100の理由』」




 唐突に。


 本当に唐突に、濫読はそのタイトルを口にした。


 忌々しい黒歴史を――いとも簡単に口にする。




「主人公の十神大蛇とがみおろちが、ヒロインでレズ気味の御伽秘憂華おとぎひめかに好意を持たれたことがきっかけで、大蛇中心の楽園を作って幸せを手に入れようと試みる、新感覚ハーレム学園ラブコメ」




 それから濫読は、『俺モテ』の概要をざっくばらんに語り始めた。


 驚きを隠せなかった。


 タイトルこそ昨日呟いていたかもしれないが――その内容については、一切彼女に口外していなかったはずだ。


 話すのも馬鹿馬鹿しいほどに躊躇われたから。


 まさか。




「登場ヒロインは全員、最終的に大蛇のことを好きになっていって、やがては学校中の女子をハーレムに加えることを目標として活動していく。でも実はハーレム作りに躍起になっているのは秘憂華ちゃんだけで、当人の大蛇は秘憂華ちゃん一筋って言う、じれったくももどかしい恋も楽しめるところが新感覚である――そうよね、陸書月読ろっかくつくよみ先生?」




「――ッ!!」


 確信をもって、濫読はこちらに微笑みかける。


 確信――核心を握られた。


 その名は、俺の本名と同音でありながら、違う漢字を有する。


 陸書月読――それは、鹿角月詠のペンネーム。


 俺の――ペンネームだった。


「終わったって言うのなら、昨日のコメントにどうしてあんな返信をしたの? あんな思わせぶりな、まるですぐにでも続きを書いてくれそうな内容――あれじゃあ、期待させるだけなんじゃないの? それって、ファンを騙してるのと何が違うわけ?」


「……お前、まさか」


 まさか――その極小の可能性を孕んだ疑念は、濫読の一言で確証へと変わっていく。


 やはりそうか。


 そもそも今思えば、あのタイミングで新規コメントが来ていたことが不自然だったと言えよう――つまり。


 濫読は、昨晩、俺の小説を読んだのだ。


『ラノベ大好きっ娘』――初めて見るユーザだと思ったが、成る程納得だ。何故そんな奇行に出たのかは知らないけれど、一連のやり取りの末、家に帰ってからかどうかは知らないが、俺の小説を調べたのだろう。タイトルだって口にしてしまっていたわけだし、なろうに上げているということも話してしまっていたし、調べて探し出すことなど赤子の手を捻るより簡単なはずだ。


 そういうことか。


 適当に触りの部分だけ読んで――それで一言何か言ってやろうと、うちまで来たわけか。


 おかしいとは思っていた。


 あんなことがあった翌日に、わざわざ馬鹿正直にプリントを届けに家までくる必要があろうか――それも、緊急性のまるでないプリントばかりを。


 繋がる。


 点と点とが、面白いくらいに繋がっていく。


「もう書く気がないなら、とっととサイトから消せばいいじゃない。それもしないでいつまでも残しておいて、律儀にコメントに返信して、読者の期待を煽っておいて――あたしには、あんたが何をしたいのかがまるで分らないわ」


 いいえ、違うわね――濫読はすぐさま否定していく。


「何をしたいのかなんて明白よ――あんたは、小説を書くのを諦めきれていないだけよ」


 夜叉ちゃんは俺のことを、怒りの沸点が低い奴だといった。


 存外、正鵠を射た考察かもしれない。


 いや、正鵠よりは少し外れているだろうか――今の彼女の発言にだって、些細な憤りを感じつつも、本心ではそこまでの怒りを覚えていない。否、怒りの感情は少なからずあるのだろう――だが、反論の余地がなかった。


 余地と言うより、余裕だろうか。


 だって、彼女の言っていることは――きっと、正解だから。


 当たっているから。


 無意識のうちに――違う、どこかで気付いていたはずだ。言い聞かせていただけで、言い聞かせた気になっていただけで、俺はずっと、あの時からずっと――小説を書きたかったんだと。


 諦めたつもりになっていただけなんだと。


 諦めなければいけないと、自分の感情をひた隠しにして――夢も希望も願望もかなぐり捨てて、鍵のないパンドラの箱に封じ込めて、哀れな過去の自分を反面教師にして、真面目に生きているふりをして。 


 隠そうとしていた。


 忘れようとしていた。 


 なかったことにしようとしていた。


 小説を書きたいなんて言う感情そのものを――初めから、なかったことに。


「諦めきれていないから、ラノベを買うのよ。ラノベを読むのよ。ラノベで感動するのよ。封印したくなるような代物なのに、どうして本屋なんかでバイトできるのかしら? 普通、そこまで忌み嫌うくらいなら、視界にも入れたくならないものじゃない? でもそれはしない。いいえ違う。できないのよ。根本的なところで、あんたは小説が好きなのよ。買うのも、読むのも――書くのも好きなのよ。書きたいって言う気持ちが抑えきれないから、付かず離れずでいてしまう――違うかしら?」


 ずけずけと。人の踏み込んできてほしくない領域に土足で上がり込んで好き勝手言ってくる濫読を、ただ茫然と見ているしかなかった。


 茫然と――呆然と。


 何も言い返さず――違う。何も言い返せず。


 何も言い返せない。


 その通りだから。


 自分に嘘を吐き続けてきた――今こそ、その嘘と向き合う時なのだろうか。


 向き合って――。




「……違う」




 向き合って――それで?


 それでどうしろって?


 今更、俺にどうしろって?


「ねえよ、そんなものは――小説を書きたいだなんて、今更、微塵も思ってない。コメントに返信したのだってたまたまだ――そんな気持ちは、少しも持ち合わせていない」


 この程度で揺らいでどうする。


 この程度で揺らぐほどの、軟な決心ではなかったはずだ。


 たかだか数行、俺の小説を読んだかどうかの奴に、簡単に論破されるようでは話にならない。


「あるわけないだろ、そもそもの話。書くのを辞めて、もう一年半だぞ? こっちはその間に高校生になっちまったんだよ――いつまでもそんな、日和見で夢見ていられるほど子供じゃないんだよ」


「嘘よ」


 きっぱりと。


 まさに一刀両断――濫読は否定をする。


「そんな訳ないわ。あんたの小説に対する情熱は本物だったじゃない。あれだけの熱意を活字にぶつけられるのは、それは立派な才能よ。誇るべき能力だわ。それに、書き始めてからほぼ毎日更新してきたじゃない。書き続けられることだって、小説家には大きな力なのよ。重要なことよ。好きなことを仕事にするのって、楽しいことより大変なことの方が多いと思うの。続けていくにはそれなりの覚悟を――下手をすれば、小説が嫌いになってしまうかもしれないという覚悟も持ち合わせてなければいけないかもしれない。あんたは、それに足り得るだけの力があるじゃない。それを簡単に手放すのは――あまりにももったいないわ」


「もったいないって……お前に何か関係あるのか? 俺が小説を書こうが書かなかろうが、何一つお前の人生には影響しねえだろうが」


 否定する。


 濫読を否定する――そうすることで、間接的に己を否定する。


 自己否定を繰り返す。


「考えてみろ。文字だけ書き続ける活字漬けの生活に閉じ込められて、売れるかどうかの賭けを一生繰り返すんだ。売れなければそこまで、売れてしまったら次回作へのプレッシャーに押し潰される。生涯を不安定な土台の上で過ごしていくなんて、正気の沙汰じゃないだろ」


「それはそうなってから心配するべきことでしょう。今からそんな心配するなんて時期尚早にも程があるわ。それは結局言い訳でしかない。あんたは、小説を書かないようにする体のいい言い訳を掲げてるだけよ」




「……もういいだろ」




 もういいだろ。


 もういいんだ、濫読。


 やめてくれ。


 俺の決意を――揺るがさないでくれ。


「もういいだろ。何を言ったところで意味はない。終わったんだよ。何もかも終わってるんだ。今更のこのこと小説を書き始める気もないし、小説家を目指すつもりもさらさらない。悪かったな、嫌味なことを言って。だから――お前はお前で、頑張ってくれ」


 頑張ってくれ。


 俺なんかが何を言っているんだって感じだろうが――濫読には頑張ってほしい。


 俺には成し得なかった夢を掴んだ彼女には、その先の景色を目に焼き付けてほしいから。




「……終わってないわ」




 濫読は、引かない。


 俺の真意も汲み取らず、一辺倒に対抗してくるのだった。


「終わってないわよ。あんた夢は、終わってなんか――」


「……うるせえよ」


 ピシャリと。


 苛立ちを隠しきれず――声を漏らす。


「なんなんだよ、お前。自分が受賞したからって、当てつけのつもりか? あのな、後学のために教えておいてやるけど、成功した奴の『諦めなければ夢は叶う』なんて大義名分は、自己陶酔に浸りきった偽りの美徳でしかないんだよ。夢が叶って、余裕があるからそんなことが言えるんだ――結局、才能のあるなしで優劣なんて決まるんだよ。才能のある奴に才能のない奴の気持ちなんてわからない。才能のない俺がお前の努力を図れなかったように、才能のあるお前が俺の気持ちなんかわかるわけない――ましてや、一晩で数行読んだ程度のお前に、頑張れだとか、諦めるなとか、言われたくない」


 客人に取る態度としては最低の選択だし、激励の言葉を送ってくれる先輩に対する返答としては最悪の選択だろう――そんなことは頭ではわかっている。昨日俺が何をしたのか、どうして濫読を怒らせたのか、同じことを繰り返したらどうなるのか――だが、今の俺にそこまで思案する余裕は持ち合わせていなかった。


 イライラする。


 意味も分からず突っかかってくる濫読に対しても――それ以上に、何をしたいのかがわからなくなっている自分自身にも。


 小説を書くのは諦めた。


 諦めたはずだ――一年半前の屈辱で、完全に心は折れた。筆も折れた。もう二度とこんな意味のないことはするかと、心に強く打ち込んだはずだ。


 それなのに――そのはずなのに。


 迷いが生じている。


 疑念が生じている。


 許容が生じている。


 いつまで過去の評価に捕らわれているんだ。いつまで過去のトラウマに捕らわれているんだ――いつまで過去の自分に捕らわれているんだ。


 そんなことで諦めるなんて――所詮、初めからその程度だったんじゃないのか。


 濫読に言われた言葉を、今、まさに思い出す。


 選考シートがなんだ。


 顔の見えない相手に何か言われたくらいで――諦めきれるような夢だったのか?


「……あたしは、そんなつもりで言ったんじゃ」


「なんだよ。ああ、そうか。そもそも始まってすらいないってか? 確かに、お前からすれば言い得て妙だな。デビューを飾ったお前から見れば、こんなところで足踏みしているような奴、そもそもスタートラインにすら立ってないもんな」


 自分の正確の悪さに驚かされてしまいそうになる。


 こんな台詞、使う相手も吐く場面もお門違いだろうに――それでも、堰を切ったかのように溢れ出てくる。


 誰にもこんなこと――言ったことはないのに。


「そ、そういう意味じゃないわよ! あたしはただ、あんたの小説が――」


「もう、やめてくれ」


 やめろ。


 これ以上、俺に虐めな思いをさせないでくれ。


「なんなんだよ、お前は。大体、どの目線で文句を言ってんだよ。お前だって俺の小説を読んだんだろ――数行かそこらか読んで、それで終わったんだろ? 面白かったとか、そういう感想は一言も口にしていないじゃないか」


「……ッ!!」


 終わりだ。


 不毛な言い争いは、もう終わりだ――俺と濫読との間に、初めから関係性などなかった。明日からは、昨日までのように、ただの隣の席同士の同級生でいよう。


 だから――もういいんだ、濫読。


「少し読んだくらいで、知ったような口を利かないでくれ。自分の才能のなさなんて、自分が一番理解してるんだよ。ああそうだ、数行読んで辞めちまう程度の、その程度の小説なんだよ、あれは。いや、あんなものは小説とは呼べない。妄想の羅列、欲望の具現化、願望の体現化――自己満足の塊だ。ゴミなんだよ、ゴミ。クソみたいな内容しか書かれていない、ゴミ同然の作品だ。あんなもの読んで楽しんでる奴なんて、俺含めてどいつもこいつもロクな奴じゃないに決まってる。選考シートの結果にも納得がいく。突然ゴミを送り付けられたんだ、寧ろ内容を精査して返信してくれただけ良対応だろ。もうやめてくれ。これ以上、あんなゴミ小説の話なんて――」






「あたしのバイブルを――そんな風に言うな!」






 突如、激しい怒号が鳴り響いた。


 濫読が――肩を切らして、そう言い放つ。


「……バイブルって、なんのことだよ。何言ってるんだ?」


 そう聞き返す俺だったが――言いながら、ふと、妙な違和感を覚えた。


 違和感と言うよりかは――親近感。


 デジャヴ。


 濫読が怒りを露わにした、この状況を――俺は、昨日も体験した。


 昨日、濫読が俺に怒った原因として、彼女の努力を虐げたことが要因であると推測していた――しかし、よくよく考えてみれば、それは順序がおかしい。確かに、その発言の直後に平手打ちからの追い出しコンボを食らっている。だからそのことが最大の原因であると推測されるが――俺がその発言をする前から、濫読は既に怒っていた。


 そうだ――先に敵意を剥き出しにしたのは、濫読の方だ。


 であるならば――そもそも昨日、濫読は何に怒ったんだ?


 そして、濫読は今、何に怒ったんだ?




 バイブル――お前のバイブルって奴は。




「さっきから黙って聞いてれば何? あんたの小説を一晩で突き止めて、興味本位で数行だけ読んだ? 触りだけ頭に入れて、全てを知った気になった? 感想を口にしていないから、つまらないと思った? 冗談じゃないわよ」


 濫読は一度、そこで言葉を止めて―― 一つ、深呼吸を挟む。


 口を開く。




「『俺の名前は十神大蛇。神だったり大蛇だったり実に物騒な名前であるが、その見た目は何一つ威厳も特徴もない、平凡に平凡を重ねたただの男子高校生だ』」




 それは、『俺モテ』の冒頭、主人公の十神大蛇が口にした自己紹介の一部分だった。名前負けしている様子を現した文章で、なんでもない男子高生だということを強調するために表現した一文。


 作者の俺はともかく――彼女が何故、その一文を知っている?




「『隣の席になった彼女――名前を、御伽秘憂華と言うらしい。亜麻色の長髪と二重の碧眼、可愛さを倍増させるアホ毛に制服の上からでもわかるほどの巨乳を持ち合わせた、学年一の美少女と噂される生徒だった』」




 ヒロインの秘憂華を初めて見た際の、大蛇の感想となる一文。『俺モテ』第一話第一章に収録されているシーンで、書籍化された暁には隣のページにみるくの描いた秘憂華の挿絵を掲載しようと考えていたっけ。




「『「初めまして。私、御伽秘憂華です! 御伽噺の御伽に、秘める憂いた華で秘憂華です。あ

なたは……十神大蛇君ですか! 格好いい名前ですね」』」




 秘憂華と初めての会話シーンを、濫読は続けて口にする。憂鬱、つまりはメランコリーなので秘憂華で『ひめか』と読ませる案を思いついたのだが、思い返すと結構無理やりな当て字だったかもしれない。




「『テストの際に消しゴムを忘れてしまったらしい彼女とコンタクトを取って以来、御伽と会話する機会が増えていった。休み時間や下校前、授業中はノートの端に筆談で、他愛もない雑談を繰り広げていた』」




 濫読はどんどん続けていく。


 俺の小説を――読み上げ機のように抜粋していく。




「『最初、彼女に校舎裏へと呼び出された時は嫌な予感しかしなかったというのが事実だ。冷静に考えて、あんな美少女が俺如きその辺の雑草みたいなモブと会話してくれるだけで奇跡みたいなものだったから、後ろ立てから有り金を毟り取られるくらいの覚悟を持ち合わせてその場所へ向かった――それがまさか、愛の告白をされるなどとは、努々思わなかったわけである』」




 物語のキーとも言える、秘憂華からの告白シーン――いや、でもあのシーンは冒頭と言うには少し物語が進んだ、四話くらいに載っていたはずだ。


 仮に頭から読んだとして、その文章まで――たった一晩で読めるものか?




「『「私、可愛い女の子が大好きなんですよ。だから、楽園を作ってあなたをその中心に添えれば、正妻の私は大蛇君からも女の子からも愛を向けられて、一石二鳥なわけなんです!」』」




「……やめろ」


 軽く読んだ程度で、そこまで緻密に記憶できるものか―― 一気に読み進めることはできなくもないかもしれないが、一語一句間違えずに抜粋するとなると、意識して頭に刷り込むか、勝手に刷り込まれるほど読み返さなければ簡単なことではないはずだ。




「『「自信を持ってください。大丈夫、あなたは私が好きになった人なんですから、こんなことで挫けてしまうような男ではありません。夢は願い続ければ叶う――あなたが私に言ったことじゃないですか」』」




「やめてくれ」


 まさか。


 まさか――まさか。


 こいつのバイブルは――。




「『「がむしゃらに頑張るあなたが好きです。夢を追い続けるあなたが好きです。弱さを認められるあなたが好きです――だから、こんなことで諦めてしまうなんて、あなたらしくないんです。お願いします。私の、私のために――」』」




「もうやめろ!!」




 聞くに堪えず、気が付けば俺は大声で制止させていた。後に響く沈黙の高音が、脳裏に嫌に伝播してくる。


「……あんたが見て見たいって言ったんじゃない。あたしの生き甲斐――バイブルって奴を」


 だから朗読してやったんでしょ。


 濫読は強気にそう答える――答えを口にする。


 彼女のバイブル。


 彼女の原点。


 彼女を小説家へと導いた、起源たる書物。


 まさか――そのまさかだった。


「……あたしが小説家になった理由のもう一つは、『俺モテ』の作者に出会うためよ」


 濫読詩織は再び語り出す。


 小説家になった理由を――もう一つの理由を。


「毎日、更新されたらすぐ通知が来るようにして、誰よりも早く読んでいたわ。誰よりも早く読んで、三回は読んで、必ずコメントをして、明日の更新を楽しみにして眠りにつく――学校に行かなくなって、ダラダラした生活を送っていた私に、いつしかそんなルーチンができ始めていたわ。でもある日突然、更新が途絶えてしまって――交信が途絶えてしまって、昂進が途絶えてしまって、あたしはショックを受けたわ。それまでに上がっている話を幾度となく読み返して、内容を丸暗記するほど読み返して、コメントを毎日それでも残して、それでも更新はされなくて……だから思ったのよ。きっと陸書先生はプロの世界に上がってしまって、ネットの更新ができなくなってしまったんじゃないかって」


 俺の読者に、一人だけいる――毎日欠かさずコメントを残してくれた、更新が止まっている間でさえもコメントを残し続けてくれた、信者の領域に達していると言っても過言ではない、ヘビーユーザとも言えるユーザが。




『美少女大好きさん』――このユーザこそ、他ならぬ濫読だったということか。




「そこであたしは考えたわ。自分もプロになれば、陸書先生に会えるんじゃないかって。自分も小説家になれば、今すぐにでも小説家として上り詰めれば、陸書先生の後輩として、近づけるんじゃないかって――そう思ったのが、中学三年生の四月頭よ」


 正直、そっちの理由の方が大きいわね――と、濫読は赤裸々なカミングアウトを繰り出した。


「だから、その時点で応募締め切りの一番近い曙光社の新人賞を選んだのよ」


「……そう、だったのか」


 濫読は、俺と出会う前から――俺のことを知っていた。


 俺の小説を読んで、楽しんで――生き甲斐にしてくれていたのか。


「ええ。『をすをとす』も、三週間で書き上げてやったわ」


「…………」


 それは聞きたくなかったなあ。


 あの超大作を、僅か二十日程度で仕上げたというのか……っていうかそれ、あんまし努力とかしていないんじゃ?


 それは紛れもなく、天性の才能じゃん。


「それがまさか、こんな形で出くわすとは、それこそ想像だにしてなかったわ」


 運命なんてわからないものね――そうボヤいた濫読であったがが、


「……でもね」


 と、少し嬉しそうな声色で続けるのだった。




「こんな形であれ、あなたに出会えてよかったわ――陸書先生」




「……先生じゃないけどな」


「あたしにとっては先生だからいいのよ」


「なんだよそれ」


 新手の嫌味か? と、意地の悪い質問をしようと思ったところで、




「――好きよ」




「はあ!?」


 途端に驚いて見せると、濫読も気付いたようで「ちょ、ちがっ」と慌てて訂正する。


「違う! 小説! あんたの小説が!」


「あーうん! そうだよな! そうですよね!」


 二人して顔を赤くしながら、そんな応答を繰り広げていく。


 傍から見れば完全に初々しいカップルだ――まあ、当然違うのだけれど。


「…………」


 微妙に照れ臭い空気のせいで沈黙が生じる――が、濫読がその静寂を破るように口を開いた。


「登場キャラクターの描写が好きよ。活字でも容易にイメージが想像できる表現と、個性に溢れるヒロインに愛が止まらないわ。その娘たちとの出会いも好きね。一人一人違う形で出会って、色んなシチュエーションをビュッフェみたいに楽しめるからお腹がいっぱいになるわ。そんな数あるヒロインの中で、それでも制裁のポジションを譲らない秘憂華ちゃんの努力と振る舞いも愛らしいわ。さり気ない言葉遊びや四字熟語の羅列も好きよ。読んでて飽きない構成だし、知らない言葉を調べれば意味も理解できて、二倍楽しめるわ――あんたのお陰で、中三の国語の成績は最良だったのよ」


 ねえ。


 濫読は静かに、俺に問いかける。


「あんたは、自分の小説が好き?」


「…………」


 即答はできなかった。


 好きな物を好きなだけ詰め込んだ小説。


 好きなキャラを好きなだけ登場させた小説。


 妄想に妄想を重ねて、理想と空想を掛け合わせて、想像を創造して書き上げた――世界に一つだけの小説。


 俺は。


「……好き、ではないかもしれない」


 嫌いではない。


 寧ろ、好きか嫌いかで言えば好きな方だ――それでも。


 濫読の前で、自信を持って好きとは言えない。




 俺なんかより――彼女の方が、よっぽど俺の作品を愛している。




「そう」


 俺の投げやりな回答に、濫読は怒った様子を見せることもなく言葉を続けた。


「なら、あんたが嫌った分も――あんたが好きになれない分も、まとめてあたしが愛してやるわ」


 知らなかった。


 面と向かって、自分の作品を好きだと言ってもらえることが――こんなにも、胸が温かくなるなんて。


 無理だと諦めて。


 無茶だと決めつけて。


 無駄だと投げ捨てて――けれど、無駄ではなかった。


 あんな自己満足でも、誰かを巻き込めることはできるのか。


 誰かに――夢を見させることが。


「選考シートを送った奴は、見る目がないかバイトで雇われただけの評論家気取ったクソザコ編集部に決まってるわ。何がオナニーよ、冗談じゃないわ。あたしも楽しんでるんだから、読者も楽しんでるんだから、あれはオナニーじゃない」


 一度言葉を止めた濫読は、続けざまに。




「――セックスよ!」




 と叫んだ。


 女の子がそんな言葉を叫ぶな。


 いや例えは合ってるんだけど……口にはするな。


「あたしにとって、あんたは先生なの。先生で先輩で先人――神みたいなものなのよ」


「それは大袈裟だろ」


「かもしれないわね」


 気が付けば、無表情が売りの濫読の顔に笑顔が宿っていた。


「あんたのお陰で、あたしは社会復帰ができたのよ。生き甲斐も見つけたし、学校にも行けるようになったし、この年で手に職までつけてしまって。だから、神でもいいくらいよ。神でもあり救世主でもある――感謝しても、しきれない」


 途端に濫読はこちらへ向き直り、寝具の上に正座へと態勢を変える。




 そしてそのまま、土下座を繰り出した。




「ら、濫読!?」


「改めて、昨日のことを謝るわ。いきなり怒ったりして、ぶったりして、痴漢冤罪なんてかけようとして――ごめんなさい」


 妹にすらされたことがない、突然の美少女の土下座に慌てふためく俺を前に、「でもね」と濫読が顔を上げて言う。


「これだけは許せないの」


 真っ直ぐに、俺の目を見て、言う。




「あたしのバイブルを――例え原作者のあんたでも、悪く言わないでほしい」




 好きなものの悪口は、聞きたくないの。


 その言葉を聞いて、すぅっと、俺の中で糸口が解けていった。


 そういうことだったのか。


 濫読がそもそも怒った原因――それは、俺が彼女の努力を、苦労を、蔑ろにしたことなんかじゃない。いや、もちろん原因の一端としては含まれているんだろうけれど。


 彼女の生き甲斐を蔑ろにしたことが、そもそもの原因だったのだ。


 自身の作品を卑下することで、彼女の好きな物を、間接的に卑下していたということだ。


「……俺の方こそ、悪かった。お前の気も知らないで、クソ小説とか言っちまって」


 好きな物を否定されたら――誰だって怒る。


 俺だって、怒る。


 そこに、オタクかどうかなんて関係はない――好きな物を攻撃されれば、誰だって敵意を剥き出しにするに決まっている。


「……本当に思ってる?」


 と、そこで濫読はジト目顔で再確認をしてきた。


「思ってるって。当たり前だろ?」


 なんだ、もしかして意外と執念深い奴なのか――なんて思ったりもしたが、どうやらそう言うことではないらしく。


「……そう」


 なら、さ。


 一瞬躊躇って――それでも決意を固めたのか、濫読は話し出す。


「命まで救ってもらって、生き甲斐まで与えてくれた相手にこんなことを言うのは烏滸がましいかもしれないけれど――お願い」


 口にする。


 俺へのお願い――その内容は、なんとなく、想像ができてしまった。




「――小説を、書いて」




 あたしの為に。


 あたしの為に――小説を書いて。


 そう、彼女は言うのだった。


「あんたの小説が生き甲斐なの――あんたが書くのを辞めてから、それを埋めるように、他の作品に意識を向けたり、自分で小説を書いたり、小説家になっちゃったりしたけど、やっぱり駄目。心に穴が開いたみたいになって、その穴は全然塞がってくれない。ぶっちゃけ、今も『をすをとす』二巻を思うように書けてない。陸書先生に会えることを原動力にしたから新人賞には受賞できたけど、正直エネルギー切れなの。でも、あんたの小説があれば、優良進行間違いなしだわ。あんたの小説が生きるための活力になるんなら、あたしはどんな苦労にも耐えられるって――そう言い切れるの」


 だからお願いよ。


 小説を書いて――こちらにまで伝わってくるほどの必死さで、彼女はそう懇願するのだった。


「どんなペースでもいい。不定期でも構わない。ネット掲載に抵抗があるなら、あたし個人の為だけにでもいいから書いてほしい。読ませてほしい――割に合わないって言うんなら、あたしがあんたの原稿を、個人的に買い取るわ」


「おま……何言ってんだよ」


「あら、だってそうでしょ?」


 得意げに、濫読は言い切って見せた。




「あんたの小説を、世界中の誰より早く読めるんだもの。言い値で払ってやるわよ」




 だから。


 濫読は改めて態勢を直し、再び土下座を決め込んでいく。


「書いて頂戴」


 読ませて頂戴。


 あんたの妄想を――飽きるほど、浴びるほど。


「お願いよ――陸書月読先生」


 顔を上げてくれ――とは、気安く声をかけられないほどの、それは懇願だった。


 まさに命懸けと言っても良いレベルの――鬼気迫る嘆願。


 ……全く。


 読者にこれだけの思いをさせて、その上ここまで言わせるなどとは、やはり俺は、つくづく小説家なんて向いていないんじゃないだろうか。


 許せる許せない以前の問題だ。


 自分すら偽りきれないような奴に、小説を書く資格なんて、やっぱりあるとは思い難い。あの時自分が下した決断を、今更間違っていたと考えるのも、何か違う気がする――けれど。


 これだけ、俺の小説に――俺の思いに呼応してくれる人がいて。


 俺以上に、俺の作品を好きだと言ってくれる読者がいて。


 俺を先生と呼び慕う、業界の大先輩を前にして。


 その思いに応えないというのは、作家である以前に――人として終わっているだろう。


「……書くよ」


「ひょぷっ!?」


 そう言った瞬間、濫読が飛び上がって謎の奇声を発した。


 何て?


「え、本当? 本当なの? 自分でお願いしておいて、無理してない? 我ながら、結構遠慮がないこと言っちゃったと思ったんだけど……」


「…………」


 んー。


 そういう反応をされてしまうと、自分の選択を早速後悔してしまいそうになるのでやめてほしい。


「……無理してないわけじゃ、ないよ。すぐにどうこうできるかも約束できないし」


「だ、だったら……」


「でも、まあ」


 そうだな――すっかり暗くなった夕闇の空を窓越しに眺めつつ、なんとなく、先輩風を吹かせながら言うのだった。




「読者の期待に応えるのが――小説家の仕事だろ?」




「――――~~~~ッッッッ!!!!」


 異国のモールス信号みたいな声にならない叫びを発した濫読は、新しいおもちゃを買ってもらった子供のように目をキラキラ輝かせながら、


「じゃ、じゃあ、その……もう一つお願いなんだけど、いいかしら?」


 と問うてきた。



「なんだ?」


「えっと、その……陸書先生のサインが欲しくて」


「さ、サイン?」


 三角関数?


 ……では、もちろんないだろう。え、俺のサインが欲しいって? 


 みるくにだって書いてあげたことないのに?


「図々しいことは承知なんだけど……駄目かしら?」


「ヴッ」


 キラキラと輝く上目遣いで濫読がお願いしてきた。


 これ、断れる男はいるの?


 冷静に考えてみて、自室のベッドの上でクラス一の美少女に上目遣いで懇願されるとか、後にも先にも今日だけだよ。


「……あ、ああ。もちろんいいぞ」


「本当!? やったぁ!」


 言って濫読は、床に捨てられていた通学鞄を無造作に掴み、ベッドの上で逆さまにする。


 ザーッ! とものすごい音を立てながら、明らかに鞄のキャパを超える量の中身が流れるように現れる。見ればそれは、色紙やら文房具やら書きかけの原稿やら、とりとめのない物ばかりだった。


 あっという間に、ベッドの上が濫読の私物で埋め尽くされる。


 布団が見えなくなってしまった。


「これ全部にサインしてほしいんだけど」


「お前馬鹿だろ」




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