第五十話 人間とアキレーヌ
「お父さん? お母さん?」
明かりのついていない家は鍵がかかってなかった。
玄関はなぜか開いていた。そして血がついていた。
玄関を入ってすぐ、僕は分かった。この家の人たちは狼たちに殺されていると。
血の匂いが濃いっていうんだっけか。この血の匂いの強さで、生きてる人間はそういない。
ああ、会えたと思ったのにな。
リビングへと続いているだろう扉にも血がついていた。
扉をゆっくりと、血が垂れていく様を見ながら開ける。
「……ああ……」
そこにあったのは、食べ散らかされたという表現が合う、三人の死体だった
一人は、赤ちゃんだった。まだ髪の毛も生えてなかったんだろうな。もう見えないけど……。
ああ、なんてひどいんだろう。僕の家族だったのに。
「お父さん……お母さん……」
死体に近づくと、一冊の本が落ちてるのに気づいた。
……だめだ。目の前が霞んで何も見えないや。
なんで見えないんだろう? ああ、泣いてるのか。
助けて誰か。何も見えないんだ。僕の代わりにこの本を読んで。血まみれになってるけど、大切にされていたこの本を。
手の跡がついてるんだ。きっとお父さんの手なんだ。この本を守ってくれてたんだ。
本も赤ちゃんもお母さんも。全部お父さんが守ってくれてたんだ。
……ありがとう、お父さん。
「ごめんね……もっと早く来てればよかったのかな……? ごめんね……ごめんね……」
僕はぼろぼろ涙を血まみれの床に落としながら、その本をめくった。
『〇月×日。きょうから、このいえにすむことになった。おじいちゃんたちがてつだってくれた。ぼくのかぞくはあたまがいいんだ。にんげんたちのつかうかがくってやつがじょうずなの。ぼくはひいおじいちゃんのめいれいで、このいえにきた。これからがんばろう。
〇月□日。おもってたよりにんげんのせいかつっていいものだった。でもこれをいうとおこられちゃうな。ぼくはかがくでにんげんになれたおおかみ。むらをしはい? するためにちかくのにんげんからころしていくの。すきをみて、このかぞくもころしてあげる。
〇月〇日。どうしよう。にんげんのせいかつがたのしいな。ほんとうににんげんはころさないといけないのかな。おおかみのせいかつはこわくて、とてもつらいんだ。やさしいにんげんのかぞくがたのしい。どうしよう。ころしたくないな。
〇月△日。おこられちゃった。はやくころせって。どうしよう。できないよ。だってたのしいんだよ。やさしいんだよ。にんげんはわるいしゅぞくじゃないよ。みんなしんじてよ。そうだ、ぼくがこのかぞくをまもってあげよう。ごめんねひいおじいちゃん、ぼくはにんげんのかぞくがすきになりました。
〇月☆日。ねえ! ぼくにいもうとができるんだって! たのしみだなあ。ちのつながってないかぞくだけど、ぼくがおにいちゃんになるんだ! はやくみんなをせっとくさせないと! にんげんはみんないいひとだよ!
〇月××日。さいきん、このもりのちかくで、ひとさらい? があるんだって。きをつけてっておとうさんにいわれた。おおかみのかぶりものをしたひとが、こどもたちをねらうんだって。ぼくももりのそとにはでないようにしよう。いもうとはいつうまれるのかな?
〇月×□日。みちゃった。ひいおじいちゃんが、ぼくのおかあさんをころそうとしたんだ。ぼくがやめてってとめたからかえっていったけど、どうしよう、またきたら。だいじょうぶだよおかあさん。ぼくがまもってあげるから、おかあさんはいもうとをまもってね。
□月×日。今日で何日が経っただろうか。息子が人攫いにあってから。あの時私がしっかり着いて行ってやってれば。悔やんでも悔やんでも過去が変わらない。ああ、どうか神様。私の息子を返してください。狼であろうと、彼は私の大切な息子なんです。もうすぐ妹も生まれる。顔くらい見せてやりたいでしょう。どうか、どうか狼の手から息子を……。
☆月×日。最近、狼の遠吠えが騒がしくなった。ああ、娘が泣いている。行ってやらねば。』




