第十五話 その名は神崎恋不と神崎可恋。
目の前に広がる文字の嵐。すべてに目を通して文字の意味を理解してそれに合った文字を書き加えていく。
この地上の人たちは、週に一回は同じ願いを神に頼んでくるなあ。願いを叶える神様の気持ちになってみてほしい。
「主、この書類終わったからここ置いとくよ」
この地上の人たちは何も願わないな……。この人だけは年に一回平穏を望んでくるけれど……。
まるで海のように広がる文字は、私の視線を独り占めするよう。すべて読み終えたかと思えば慣れた手つきで新しい紙を引っ張ってきてまた同じことの繰り返し。
「主、書類」
ペンのインクが切れそうだな、あと五十枚を見たら変えよう。
「主」
突然頭に冷たい感覚がした。頬にまで伝ってきたそれに気づいて手で拭うと透明な水だった。……いや、水ではない。触った手と伝った頬が煙を出すように音を立てている。
「……龍兎君、何か用?」
水の正体に気づいたところで、それをかけた犯人の存在にも気づいた。
手に持った小瓶が証拠になるだろう。中身が少し残ったそれは恐らく毒の一種。龍兎君と茜ちゃんはたまにこういった毒を持ち歩いている。いや、今この場で作り出したのか?
そんな疑問を浮かべていると、呆れたように龍兎君はため息をついた。
「書類、終わったからここ置いとくよ」
何度も言わせてしまったのだろうか。しかめっ面で乱暴に山積みの書類を手の甲で叩いた。
私は謝罪と感謝の言葉を口に出して書類の確認をした。
怒らせてしまっただろうか? 龍兎君は茜ちゃんより感情が顔に出るから大体はわかるけれど、本当の感情は一切顔に出さないらしい。ならばあれは怒ったフリだったのだろうか。
私は仕事をしているとその一つに集中してしまい、周りが一切見えなくなる。声をかけられても気づかない。肩を叩かれてようやく他人の存在に気付くのだ。これは昔からの癖で、未だに直っていないし、直そうともしていない。
「……龍兎君」
すべてに目を通し終わったあと、自分の席に戻り肘をつく龍兎君に手招きをした。
「なーに?」
その場から動く気のない龍兎君は、私の声だけを聞いて、自分の机の上に乗っているペン立てからペンを取り出してずっと回している。
「……終わってないじゃん」
諦めて言葉を続けた。聞いているだけマシだ。
出された書類は確かに終わってはいた。一部だけ。一部以外は何も手をつけられていない。これのどこが終わったというのだ。
「終わってるよ、俺の中では」
「終わってないでしょ。早くやって」
「昨日夢の中で全部やったんだよ」
言い訳がさらさら出てくるところが子供らしく呆れてしまった。ため息をついて出された書類を代わりにやり始めた。
「ほら、夢と同じで主が全部やってくれる」
その言葉を無視してまた私は文字に支配されにいった。
「冷たっ」
再び冷たい感覚が頬を伝った。音を立てて赤い血液とともに手のひらに落ちてきた。
「茜ちゃん、何?」
顔をあげると赤い髪が目に入った。床につきそうなほど長い髪を見ると、いつも踏んでしまいそうで怖い。
「書類」
それだけ言うと山積みの書類を置いて席に戻って行ってしまった。
相変わらず言葉が少ないなあと思いつつ、書類の確認を急いだ。……やはりだ、中途半端に終わっている。一部だけ終わらすというのも器用と思ってしまうが……。
文句を言っても治らないのはわかりきっているので、ため息をつきながらまた中途半端に終わっている書類の続きをやり始めた。
ところがふとペンを取ろうとしたとき、書類の山を一つ倒してしまった。床に広がっていく書類を見て再度ため息をついては椅子から降りて拾い始めた。
「大丈夫?」
取ろうとした書類が一枚、誰かの手によって拾われた。顔をあげると桃色の髪が見えた。
「ありがとう、恋不ちゃん」
差し出された書類を受け取って感謝を述べた。桃色の髪の持ち主はどういたしましてとその場を去ろうとした。
「あ、ちょっと待って?」
思わず引き留めてしまった。
丁度よかった、この書類なら恋不ちゃんでもできる。頼んでしまおう。
「書類を頼む気だな~? 可恋ちゃんはやらないぞ~?」
恋不ちゃんの後ろからひょこっと出てきた可恋ちゃんは、嫌そうな顔をしながら言った。
水色の髪をはねさせて舌を出している。私の考えが読まれてしまった。
「お願いできる?」
書類の山を完成させて恋不ちゃんへと渡す。断られたら別の子に頼もうとしたが、恋不ちゃんはあっさりと受け取ってくれた。
「いいよ」
「えー!? 僕と遊びに行くんじゃないの? 姉の嘘つきだ~」
「嘘つかない、終わったら遊ぶから」
「ちぇ~」
恋不ちゃんと可恋ちゃんは双子だ。顔はそこまで似ていないが、親である龍兎君と茜ちゃんには似ている。恋不ちゃんは茜ちゃん似の顔に性格。可恋ちゃんは龍兎君似。二人とも仲がよく、常に一緒にいるようで、見かけると必ず二人いる。
お互いの目はお互いの髪の色をしていてとても可愛いま……可愛い子たちだ。両親の顔の良さを受け継いでいるようだ。
「ありがとう、じゃあよろしくね」
「ん」
「仕方ないなあ……僕も手伝うよ~」
「助かるよ」
「感謝してね!」
「はいはい」