第百三十三話 良い子に取り憑かれた良い子
「ねえ、私は嫌われたいの。苺ちゃん、私を嫌って」
「やだね。俺は誰も嫌わないし怒らない」
「私は苺ちゃんたちを幸せにしたいの。お願い」
「やだ。幸せは自分の手で作り出してやる」
「……お願い、嫌って」
「やだ」
言うことを聞くのが良い子ではない。
誰にでも優しいのが良い子ではない。
犯罪を犯さないのが良い子ではない。
……良い子なだけが良い子ではない。
「嫌われたいと願う私を、嫌って。良い子でしょ?」
「嫌なものは素直に言う。悪いことを誘われたら断る」
苺ちゃんは私を嫌わない。それが良い子だと思っているから。
……あと少しで主は死ぬ。その時苺ちゃんは怒らない。どうせ怒らない。願っても怒らない。
もう少し。もう少しで主は自分を殺す。自分の幸せを叶える。私は時間稼ぎで終わる。嫌われずに終わる。私の幸せは叶わず終わる。
それでも、いっか。一人を幸せにできるのなら、それで。
主の過去を聞いたとき、事細かな設定をしていなかったと悔いた。責任があると自分を責めた。
私は子供だった。だからそれが幸せなのか分からなかった。でも主の顔を見たら、止めることが悪だと思った。
「ねえ、あと少しだよ。主が死んだとき、苺ちゃんは私をどうするの?」
「きっと怒らない。実の父親だとしても、死んだとしても。でも、墓参りは一緒に行ってくれよ」
「……」
正直な気持ちを、今ここで叫びたいと思った。
でもそれを言ってしまったら、私はいよいよ自分が分からなくなるから。
「なあ弦月」
苺ちゃんはたぶん、今泣きたいのを我慢してるんだろう。実の父親が死ぬのを前に、止めたい気持ちを押し殺して家族全員の幸せを願っているんだろう。主一人、私と二人。人数が増えたら悲しみが増えると。だから父親一人を見殺しにすると決めたんだろう。
そんな顔をしてまで、私を殺さない理由はあるんだろうか。
「どうして嘘をつくんだ?」
嘘は、ついた。君に嫌われるためについた嘘。
「……ついてないよ」
言いたくないから。これは私の責任だから。
「ついてるよな。少しだけ。少しだけ嘘を混ぜてる。半分嘘で半分真実。そうして上手く嫌われようとしてる」
ここでも設定は補われているのか。苺ちゃんは茜ちゃんたちとの訓練で強くなったとはしていたが、鋭い観察眼も手に入れたようだ。
……お願いだから、騙されていてほしかった。
「確かに、嘘は混ぜたよ。でも些細なことだよ。訂正したところで私が嫌われることに変わりはない」
「じゃあ訂正してくれ。何て嘘をついた? どれが嘘だ?」
「……」
「それが本当に些細な事なら、今すぐ言えるよな」
「……」
「なあ、言ってくれよ。どれが嘘だ?」
「……」
少しは怒っているんだろう。でもそれは子供を叱るような些細な物。私の嘘よりずっと些細な物。
私がついた嘘は、主を過去を言っていないこと。主が死ぬことが、私のせいであること。
でもそれは嘘じゃない。嘘であって嘘じゃない。
主は私のせいで死ぬ。私がちゃんと設定できていなかったから死ぬ。でも主は主のせいで死ぬ。間接的に私が殺すんだから、嘘じゃない。
「……言わない」
このまま時間が過ぎて、主が死んだあとに自分から死んでしまえばいい。何もかも忘れたあとで、自分で。
「弦月」
耳元で囁くような声。私の一番大切な子のパートナー。
「何、龍兎君」
振り向くことなく聞いた。茜ちゃんとの会話が終わったんだろう。……ちゃんと話せたかな、本体。
「……主に会わせてあげて」
分身である私に龍兎君は言った。確認しなくても分かる、本体からの命令だ。
私の本体が、折れたのかな。それとも脅されたのかな。どうでもいいや。
それが本体の命令なら逆らわないけど、私は本体と同じ気持ちだったんだよ。
今苺ちゃんと主を会わせたら、きっと嘘がバレる。それは避けたかったな。
「苺ちゃん、私は君を悲しませたくない。このまま私の嘘で終わりにしてほしい」
確認だ。本当にそれでいいのか。
ねえ本体、どんな気持ちでそれを選択したの?
「……嫌だ。主に会わせて。話がしたい」
話ができたあとで、主が死んだあとで、私を嫌ってくれると願って。
私は私だけが使える力で空間を捻じ曲げて主のいる場所への扉を創った。
行くといいよ。その先のことは私の責任じゃない。君の責任だよ。
どうか私を嫌う理由ができますように。
私は、震える一粒の涙を落としていった苺ちゃんを見届けることなく、龍兎君に手を引かれて本体のとこに戻った。
「いいの、本体。それが本体の望み?」
「……そうだね、きっと悲しむと思うよ苺ちゃん。でも仕方ないじゃん。もうこうするしかないんだもん」
「茜ちゃんは?」
「説得させた。そして私も説得させられた」
「そっか。……ねえ、本体はこのあとどうするの?」
「もうエンディングは自分で決められないよ。バッドでもハッピーでもどうでもいい。あの子の好きにさせて、私は私の役目を終えるだけ」
「それでいいの?」
「……やだよ。やだけど大切な子なんだ。最期に一つくらいはお願いを聞いてあげたいじゃん。ある意味お母さんなんだよ、私」
「……そっか。わかった」
「うん。ありがとうね。もういいよ、辛い役目にしちゃってごめんね」
「ううん。いいよ。分身ってこういうときに使うもんでしょ」
「あははっ、そうだね。……ありがとう、バイバイ」
「うん、バイバイ」




