第十話 失ったもの
一瞬のような間に学校中の雰囲気は変わり、パトカーのサイレンや救急車の音が周りの雑音を全てかき消していた。
血で染まった視界を、今度は到着した赤いランプで埋め尽くしていて、放心状態の私はその光景をただ見つめていた。
何も言わず、海菜は警察に連れて行かれた。私を罵倒することもなく、言い訳をすることもなく、事情を説明することもせず、無抵抗に連れて行かれた。
「北川さん、少しお話いいかしら?」
婦人警官と担任に呼ばれ、震える返事を息と共に出せば、気付いたら警察署で話を聞かれていた。私やクラスメートがしていたことは全て報告されていて、それが動機だと説明された。
相づちを打つだけで、精一杯だった。
私を庇った子の名前は覚えていない。いつも教室の隅で本を読んでいる影の薄い子だった。
仲が良いかと聞かれれば、まあそうとは答えられる。私はクラスメート全員と仲良くしようとしてたから、その子にも話しかけてたし、一緒に遊びに行ったこともあった。遊ぶ場所はいつも静かな喫茶店でお話をする程度だったから、大人しい子だったのを覚えてる。
でも親友かと聞かれれば違うと答える。遊びに行ったのは片手で数えられる程度だったし、私の親友は一人しかいなかった。
「北川さん、あの子はね」
辛い表情をした婦人警官に告げられた。……私を庇った子は死んでしまったらしい。あの子は私の命の恩人となってしまった。
命の恩人の名前を覚えてないなんて、あまりにも最低だと思ったから、なんとしてでも思いだそうとしたんだ。
でも、思いだすどころか忘れてしまった。みんなの記憶から消えて行った。
まるで元から存在していなかった子のように、いつの日か私も忘れていた。
海菜とはそれきり会っていないけれど、私は今更、本当に今更海菜に手紙を送った。直接は会えないと言われたから大人の人に頼んだ。
返事は来た。ただ一言だけだった。
「ありがとう」
その一言だけが書かれた紙を見て、私は涙をこれでもかというほど流して、何も無い場所へと謝ってた。
本当にごめんなさい海菜。もしも、もしも過去に戻れるなら、あなたが水を被る前に庇ってあげる。それであなたが私から逃げても、文句はないのよ。むしろそうしてほしい。
ああ神様、どうか私を過去に飛ばして欲しい。一度でいいから海菜に謝らせてほしい。そして、私を庇ってくれた名前のないあの子に、お礼を言いたかった。
そんなことを、檻の中から考えていた。




