第百話 物語は四年前から始まった
幼い頃から私は絵を描くのが好きだったの。
誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントも落書き帳で、がっかりしたのを覚えてる。でも絵を描くためには役に立つし、貰えないよりはいいと絵を描き続けた。
幼稚園でお母さんの似顔絵を描いたりとか、自分の顔を描くだとか、そういったことは苦手だったけど、自分の考えた、存在しない架空の顔を描いたりするのは得意だった。
だから将来の夢は昔から『何かを創り出す人』だった。小説家とかイラストレーターとか漫画家とか絵本作家とかファッションデザイナーとか。
無から有を創造すること。それが私の得意分野だよ。
こっちに来てからあまりして来なかったけど、今すぐ本を作れとか言われてもできる気がするな。
……私のいた世界では、私より絵の上手い人ももちろんたくさんいたし、私より才能のある人はいっぱいいたよ。でもね、私は自分の創るものに誇りを持ってた。だって私が創り出したものはこの世に一つしかない、私だけが創れるものでしょ?
茜ちゃんたちだって、私だから創れた、この世に一つしか存在しないもの。誰も同じものを創れない。
私があの世界から離れたとき、家族を偽るために“代わり”を置いてきたよね? あの子を選んだのは、あの子も絵を描いていたから。あの子の描く絵が私に似ていたから。あの子は私と同じで、創ることに誇りを持っていたから。
……あの子は今どうしてるだろうね。“三次元の渡崎弦月”を任したあの子は。ちゃんと“私”をやれてるかな?
……あ、ごめんね。今関係なかったっけ。
えっと、なんだっけ。ああ、私が茜ちゃんを創った理由だっけ?
まあ一言で片づけるなら、「楽しいから」だね。茜ちゃんに限らず、自分の創りだしたキャラクターを描くのはとても楽しいんだよ? 時間を忘れてしまうくらい、熱中できるの。
茜ちゃんという名前をつけたのは、名前が必要となったからだったな。最初は名前のない、髪も服も今と全く違う姿でもあった。名前はね、読者が勝手に想像していい設定だったの。自分の名前を思い浮かべて、あたかも自分がその世界で過ごしてるように読むこともできる、「読者が主人公になれる小説」。それに茜ちゃんは主人公として登場してた。
けど書いていくうちに名前を呼ぶことができない、不便なキャラだって気づいて止めたの。新しく書いて、茜ちゃんを没にしようともしたけど、最初に創った、思い出のあるキャラだしリメイクにしようと思った。
それでつけたのが神崎茜って名前。ぱっと思い浮かんだ、特に意味のない名前だよ。
……あっ、茜ちゃん的にはちゃんと意味があるんだよね? あれでしょ? 夕日と自分の手を見てつけたんでしょ? 自分で名前を決めたあのシーンも私が考えたんだよ?
ただ私は何も考えてなかった。可愛い名前がいいな~くらいには考えてたけど、本当に頭にすぐ浮かんだ名前をそのままつけただけ。
龍兎君の名前は頭文字からだったな。「り」って頭文字がつく、男の子の名前を調べて、ああ龍っていいなって考えた。最初は龍斗にしようと思ってたけど、ちょっと斗の字がこれじゃない感があって兎にした。かっこいいし可愛い名前でしょ?
龍兎君は拾ってくれた三人目の親の家にあった龍の絵と、茜ちゃんと出会った路地裏で死んでいた兎からだよね? 苗字の橋本は、名前を決めることになった場所が橋の下だったから。茜ちゃんの苗字は……何で神崎なんだろうね? 何を考えて神崎にしたの?
え? 神ってつけたかった? そうなの? へえ~……。え? ああ、うん。私、茜ちゃんの苗字に関しては何も考えてなかったわ。
あっそうそう! 茜ちゃんたちを描くのが楽しい理由ね? 今みたいな設定がどんどん出てくるんだよ。ご飯食べてるシーンをかいたら、何を美味しいと言って、何を嫌いというか。そんなことを考えたら、甘いものが好きそうだな、子供っぽい舌のイメージだし、ゴーヤとかピーマン嫌いそうだな、とか次々に浮かんでくるの!
茜ちゃん、今でも甘いもの好きだし、苦いものは嫌いでしょ? それも私が設定したんだよ。
私はそういう、新しいことを考えることが好きだから、設定とか考えるの楽しいの。
名前がなかった頃の茜ちゃんは、白紙もいいとこだったからね。文字を書いても書いてもまだ足りないくらいだったよ。
……その目を見ると、私が憎いのかな? 自分の存在が娯楽目的で創られていて、名前すら意味がないと言われ、……思いつきの設定で構成された自分も。何もかも憎いのかな。
でもね、茜ちゃん。私があなたを創っていなかったらこの世界すら存在していなかったし、茜ちゃんの家族は誰一人もいなかったんだよ。
あなたがいたからこの世界はできた。あなたがいたから家族はできた。
あなたの存在は、この世界にいなくてはいらない存在なんだよ。
……私はね、茜ちゃんたちを創ったことを後悔してないよ。むしろ誇りに思ってる。
でもあなたがそれを拒絶するなら、あなたごとこの世界を消したっていいし、私という創造主を消してもいいよ。
私がいなければ自由に生きられるでしょ? 何の設定もない、新しい体に移り変わってもいいんじゃないかな。
……家族? 私が? ……そっか、そうだよね。うん、なんでもないや。
あのさ、ありがとうね。私を家族にしてくれて。茜ちゃんだったら、絶対私を殺すと思ったんだけど、その覚悟もあったんだけど。
うん、わかってるよ。家族は絶対に離れ離れになっちゃいけない。誰一人として欠けてはいけない。約束を破ったらいけない。分かってるよ。
……三次元の世界? 未だに後ろ髪を引かれてる気分だけど、それでも茜ちゃんが私を選んでくれたからね。そっちの方がいいよ。
だってさ、この世界では何でもできるもん。向こうの世界は法律が厳しいし、私の描くものも、簡単には認められないんだ。私とって生き辛い世界だったのかもね。
ああ、好きだよ。あの家族のこともあの世界も。でも私は生きやすい世界で過ごしていたいなって。
それに今はあの子が私の代わりをしてくれてるし、家族も悲しんでないでしょ。向こうには“私”という存在があることだし、私は安心してあの世界を忘れられるだろうね。
え? 私の名前? ……いや、特に意味はないと思うけど……。ふふっ、茜ちゃんと同じかもね。
渡崎はまあ、親から続く苗字だし? 弦月はなんだろうね? なんか最初はそのまま読んだらしいけど、個性がほしいからって、げんつきって読ませたんだって言ってたかな?
でも私、弦の字は好きだから「ゆ」って読まれるよりはそのまま「げん」って言われたいかな。だからげんつきっていいかもね。結構好き。
茜ちゃんはどう? 茜って名前好き? ……好き? なら良かった。
さて、こんなもんかな。結構上手く描けたと思うな。
「ほら、どう? 可愛いでしょ、“私の茜ちゃん”」
「……」
「無反応? 結構傷つくんだけど……」
「……ありがとう」
「え?」
「描いてくれて。……冥界に飾るわ」
「そ、そう? なら良かったよ」
「……あなたが、忘れているだけなのか」
「ん?」
「それとも“設定”してないものなのか、補われたものなのか」
「えっと……何が?」
「……私の、名前は……」
「名前?」
「……いえ、なんでもないわ」
「えっちょっと! ねえ待ってよ!」
「……」