アルラウネというハーブ
ホムンクルス ~瓶の中の未来 Ⅹ
「ええって……、何だ? なんでそんな顔をする」
代々木は、真っ青になっている小原に不信感を覚えた。
蒼白になった小原の顔は、死人のそれだった。小原が内心に抱えているものは、彼自身の存在を脅かす物なのだろうか。小原だけですめばいいが…………。
「まさか……。あの噂は本当のことなのか!?」
代々木が、小原を揺さぶる。
「おい、なんとか言え! あの噂は本当のことなのか」
代々木が、小原を壁に押し付けた。
R製薬新商品開発チームに、ライバル会社であるH健康製薬の産業スパイが紛れ込んでいるという噂があった。
開発チームのリーダーである代々木は、そんな根も葉もない噂など、H健康製薬が、R製薬の新商品の開発を阻止するために流したものだと一笑していたのだが……。
「君らは、二万人いる従業員の中から、私が特別に選抜したメンバーだ。そのメンバーの中にスパイがいるというのかね」
RZの開発に携わるメンバーは、社内での勤務態度、思想、交友関係まで、徹底的に調べられて集められたメンバーだった。生粋の愛社精神しかもたぬはずの社員たちで構成されたメンバーたちなのだが……。
「二ヶ月前、H健康製薬が、我が社に先駆けて、ダイナ・ドリンクという商品を発売しました。売れゆきが半端じゃないという情報を掴んだので、ダイナ・ドリンクを買い求め、成分を調べてみました」
と、小原が言う。
「調べてみて、わかったんです。ダイナ・ドリンクの成分の中にも、RZに使われているハーブの成分が、入っていることを」
「なんだって! ……それは、スパイが、君らの中にいて、我々が開発中のRZのデーターを盗み出し、H健康製薬に売りつけ、H健康製薬は、手に入れたデーターをもとにして、ダイナ・ドリンクを造ったということなのかね?」
代々木は、自分が選抜した優秀な開発メンバーの中に、産業スパイがいるということを信じることができなかった。
「誰だ、そのスパイは!?」
代々木は、思わず激高していた。
「スパイが誰なのか、まだわかっていません……。けれど、これだけは言えると思います。被験者たちがおかしくなったのは、ドリンクに入れたあのハーブに問題があったのだと」
すべてのハーブがそういうわけではないが、ハーブは近年、その扱い方が問題視されるようになった。
通常、ハーブという名の付く植物は、香りや風味を楽しんだり、食材として味付けをしたり、また、薬用と使用されるものだが、異なる使用方法や、混ぜ合わされたハーブによる事件や事故が、新聞紙上を騒がせている事があった。
その社会で問題視されているハーブ類が、今回、RZやダイナ・ドリンクに使われたわけではない。が、ライバル会社が、R製薬に先んじて発売したダイナ・ドリンクの中には、RZに使用した同じハーブの成分が、混入していたのである。
「使用したハーブに問題があったのか?」
代々木が言う。
「そうだと思います。それしか考えられません」
「それしか考えられないだと! 解りきったことを言うな。なぜ、もっと慎重に対処しなかったんだ」
「ラットや、モルモットでの臨床実験では、何の問題もなく……」
代々木の剣幕に、小原が、震えながら応える。
「馬鹿! 何回、同じことを言う」
代々木は、小原の胸板を張り飛ばした。
「で、なんというハーブだ。RZに入れたハーブは? なんと言う名のハーブだ。君から渡された資料には(M)としか記していなかったが……」
「地元では、マンドラゴラだと言っていましたが……」
小原が、ぼそりと答えた。
「マンドラゴラ? あの紫の花を咲かす植物か!?」
マンドラゴラは、古くから薬草として用いられていたナス科植物である。鎮痛剤、下剤、便秘薬などとして用いられてきたが、毒性が強く、現在では用いられてはいない。また、マンドラゴラは中世の錬金術師や妖術師が使用したとして有名な植物である。
「あれを使ったのか?」
「いえ、別名アルラウネと呼ばれていた幻のハーブのことです」
「アルラウネ!? ドイツに伝えられているマンドラゴラの亜種のことかね?」
「代々木さんは、ご存じでしたか……」
「ああっ、知っとるよ。ただしそんな奇妙な植物など、黒魔術や、妖術の世界のもので、実際に、そんな植物など存在しないということをな」
「マンドラゴラは、実在したんです」
「実在した!? じゃあ、なにかい、伝説通りに犬でも使って、マンドラゴラを地中から、引き抜いたとでも言いたいのかね」
マンドラゴラは、地中から引き抜かれるとき、人が断末魔にあげるような悲鳴を出すという。その悲鳴を聴いたものは狂い死ぬと言われていた。
「私は、地元の商人からマンドラゴラを譲ってもらっていただけですから、マンドラゴラの具体的な採取方法はわかりません」
「どこで。採ったかも教えてもらえなかったのかね」
「ええっ、必要なときは、連絡をくれればいい、いくらでもそろえてやると、私にマンドラゴラを卸した商人は、そう言っていました」
頭部に、茶色の薄汚れたターバンを巻いた商人は、それだけ言うと、小原に連絡先を書いたメモを渡し、いずことなく去ったのであった。
「バカバカしい。ドリンクに混入したハーブは、中世の錬金術師たちが好んで使ったといわれるマンドラゴラだと。おまえは騙されたんだよ。マンドラゴラという名、いや、アルラウネだったかしらないが、その名に踊らされて、得体の知らないハーブをつかまされたんだよ」
「しかし、成果はありました。多幸感、向精神、体力の著しい回復力、どれをとってもずばぬけた数値を示し、RZ使用前と使用後では、これが同じ人間なのかと思わせるほどの劇的変化が起こったのです」
「ああっ、確かに劇的な変化は起こっただろうな。小人という幻覚を見て、RZ服用後、殺人者に変わるという変化がな」
代々木は、小原に指を突き刺した。
「この責任を、おまえはどうとるつもりだ。ことが露見すると、おまえが責任をとるだけでは済まないぞ。R製薬全社員二万人を路頭に迷わせることになる」
「こんな……、こんな、はずじゃあなかった」
小原は、眼を下に下ろした。
マンドラゴラを混入したRZには潜伏期間があった。人によって潜伏期間はまちまちだが、およそ四週間から五週間、人の体内で息を潜めている。
そして、時が満ちると、飲料者にその刃を向けるのである。
ラットやモルモットなどの実験動物には、その牙を向けようとはしないが、高等動物である人間だけに、牙を向き、襲いかかる……。
「被験者たちを、もう三ヶ月、メディカル・ルームに閉じ込めておくべきだったな」
そう、苦々しい顔をして、代々木が言った。
リゾート・ホテル、最上階をすべて借り切って行われている、今回の新規事業。
被験者たちに与えられたメディカル・ルームは、全部で三十部屋。八畳ほどの部屋に一人づつ監禁され、延べ人数にして三百人ほどの人間が、RZを服用したことになる。三百人におよぶ人間が、RZの被験者になったわけだが、そのすべての人間に、同じ症例が出ているのだろうか。
代々木は、床に落ちているボードを、手に取った。リポートをめくり、検めて調べてみた。
「君は、確か、七十パーセントの人間が、同じ症例を見せていると言ったね」
代々木が言う。
「ええっ……」
「確かに君の言うとおり、七十パーセントにおよぶ人間が、錯乱とか、幻覚の症例を見せたとしても、その後、殺人まで犯す症例は、一割にも満たないじゃあないか」
「そ、それは……」
「それとはなんだね」
「被験者たちの中には、精神を蝕まられ、自殺をしたり、精神病院に送り込まれたものもいます」
「それだけ?」
「いや、まれに自我を取り戻し、社会復帰をしたものもいることはいることはいるんですが……」
「社会復帰をしたものは、どうなっている?」
「社会復帰をしたものも、たまに見ると言っているんですよ」
「なにを?」
「いまでも、緑の髪をした小人の姿を……」
= そのⅪに続く =