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病院に行こう

 母の異変を目の当たりにし、私は呆然とした。


「絵美、そうめん食べるか」


 そう言いながら母が、台所に立った。時刻は午前八時。私は、朝ご飯を食べていない事を思い出した。


「うん、お腹空いたわ」


 そう言いながら、本当にお腹が空いてきた自分に、無性に腹が立った。そして、涙が出た。何してるんだろう、私。三十八歳、独身、彼氏無し、無職、デブスババア。私は姉に、携帯でメッセージを送った。「おかんがボケた」と。



 姉は夕方現れた。いつも「汚いから」と、職場で着替えてくるんだけど、ワンピースが裏返しだ。


「姉ちゃん、タグが」

「ああ? ああ……」


 姉はそう言うと、私の前で着替え始めた。思わず目を背けるが、間に合わなかった。背脂(せあぶら)


「ぬっへほふやな」

「ほっとけ」


 姉は台所へ行き、ビールを両手に掴んで食卓の前に胡坐をかいた。そして、何の躊躇(ちゅうちょ)もなくプシッと缶を開け、グビグビやり始める。そしてそのまま、二本目を開ける。私は、コロッケとアジフライを三個づつ丼ぶりに入れてレンジで温め、姉の目の前にドンと置いた。姉は何も言わず、コロッケに食らいつく。咀嚼(そしゃく)嚥下(えんげ)、咀嚼、嚥下。几帳面なリズムに私は見入った。全てを飲み込み、ようやく姉は言葉を口にした。


「あのな、あかんわ」


 私は、少しだけ腹が立った。私の分も残してほしかった。自然、口調もきつくなる。


「何が」


 姉は、酔いのまわった顔色で、答える。


「おかん、職場に行ってしまう事以外は、まともやろ」

「そうかもしれん。この前帰ってこなかったのかって、やり残した仕事思い出して、職場にトイレ掃除しに行ってたって言うし」

「ほやから、あかんのや。職場に関係する事以外はまともやさけ、わてら、おかんの言う事疑わんかったやろ。まさか、クビになってたとはな」

「いつクビになったんやろ」

「ほやで、あのいなくなった日の後」

「最近やん」

「あのな、エミ。わて、あの日、おかんの職場の人から聞いてたんや、おかんの事」

「何て」

「耳が遠いって、そう言ってたわ。何か、他にも色々言われたんやけど、頭に入らんくて」

「……当事者にはキツいもんな、親がボケるとか。すぐには受け入れられんわ」

「面目ないわ、介護の仕事で、今まで散々利用者さんの家族を励ましてたけど。わて、情けなくて」


 姉は、泣き始めた。私も泣いた。そして、テレビを見ていた母も泣いた。


「姉ちゃん、私これから家にいて、おかん見なあかんのやろか」

「あのな、まずは病院やで。脳のCT。委縮してる部位で、どのタイプの認知症か分かるから」

「認知症でないかもしれんしな」

「そうかもしれん。単に、職場をクビになったショックでおかしくなってるのかもしれんし。決めつけたらあかんもんな、うん」

「そうやで。決めつけて、事実に持っていくのはあかんわ」

「何にせよ、病院や」

「そうやな」


 母が、悲しそうな顔で私たちの話を聞いている。何てことだろう、自分たちの動揺に夢中で、当人を前に、酷い話をしてしまった。


「おかん、健康診断行こうな。仕事、しばらくお休みやし。いい機会やで」


 姉の提案に母は


「何やってか。わてが休んだら、救急の清掃大変やで。早朝出てるの、わてと木下さんだけやし」

「おかん、木下さん、任せとけってさ」

「ほやでって、あの人腰悪いやん。背中曲がってるし。八十やで、あの人。動くのメチャ遅いし」

「何か、彼氏できて若返ったらしいで、木下さん」

「嘘や、あの人男やし」

「……本当や。木下さん、物凄い嬉しそうやったわ」

「信じられん」


 私は、酔った姉の嘘に頭が痛くなって、外に出た。「私は何ともない」と思っている親を病院に連れて行くのって、どうやったらいいんだろう。教科書にはこういうの、載ってたかなあ……ああ、そういえば講習休んじゃった。振替え講習出る頃には、長太さんたちはもういないんだろうな……さようなら、私の恋。どうなるんだろうなあ、私……



 部屋に戻ると、姉は汗だくの体を揺らしながら、立ち上がった。足元が怪しい。姉の腕を支える。母は唐突に


「寿美子、揚げと竹の子たいたの、持ってくやろ」


 そう言って、姉を見た。私と姉は、顔を見合わせた。多分姉妹は、同じ表情だったんだろう。


「あんたら、なに変な顔して」


 母は驚いて、私たちの背中を撫でた。やばい、また泣きそうだ……

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