第39話 レイビックでのクマの出没と警備
ベルブルグで、賭博や女や酒におぼれることは、人生経験の一つとして大目に見られていたし、そんな若者のことは(もしかすると軽蔑されるかもしれなかったが)誰も警戒しないだろう。それに、ベルブルグは広い。人が多すぎて、街の中に入ってしまえば、行方を確認するなど不可能だった。
フリースラントは重い革袋をぶら下げて、ウマに無理をさせないように、街道を行儀よく旅していた。
あっという間に貴族の御曹司風の衣装はしまい込まれ、ルシアからダメ出しを食らった、貧乏人の衣装に戻っていた。
今回は用心深く、出来るだけ多くの人々にくっついて移動したし、宿も注意して選んだ。夕方近くなると、用心して早めに信用の置けそうな宿に入り、酒場で情報収集に励んだ。
「いや、数か月前だが、ここら辺の盗賊団をやっつけちゃった強者がいてね」
「はあ、そうなんですか」
「それから、ここらは安全になったんだよ。でも、その強者は人じゃないだろうって噂になったんだ。きっと旅の神様が盗賊団のあまりの悪行に、ついに堪忍袋を切らして、懲らしめたに違いない。それで、その根城のあたりに、旅の安全祈願の神の像を作って、みんなで信仰することになった。通りすがりには、あんたも絶対拝んでおくようにな。きっとご利益があるから」
「……はい」
フリースラントは、くっついていった行商の商人団がぜひ拝んでいきたいと言うので、逆らうわけにもいかず、一緒に拝んでいった。
その神様が残していった唯一の遺留品は、最後の敵をやっつけたフリースラントの矢だった。
それが麗々しく像の前に飾られていた。
「見たこともない立派な矢だ。この矢が、盗賊の頭の目の間を貫き、反対側に突き抜けてたそうだ」
みんなと一緒に、有難く自分の矢を拝みながら、フリースラントは、彼の矢筒から、ちょびっとのぞいている矢と、その神聖な矢が瓜二つなことに、誰も気が付きませんようにと心から祈った。
以前より長くかかってレイビックに着いたフリースランドは、例の宿の主人の所へ行った。
宿の亭主は、大喜びで彼を歓迎してくれた。
「最近、変わったことはありましたか?」
と彼は聞いた。
「特にはありませんねえ」
宿の亭主は残念そうだった。
「ここでは、何も新しいことはなかったけれど……ああ、そういえば ビッグニュースがありますよ!」
宿の亭主は勢い込んだ。
「王様が結婚されたそうですよ! しかも新しい王妃様は十二歳だと言うのですよ! いったい、どうしてそんなことになったのか、聞く者、聞く者、みんなひどく驚いていましたよ! ご存知でしたか?」
フリースラントは、その件については、宿の亭主よりもずっとよく知っていたけれど、興味はなかった。むしろ、聞きたくなかったので、簡単に知っていると答えた。
「新しい王妃様は、国一番の名門のヴォルダ公爵家の令嬢だそうです! でも、お母さまの公爵夫人は、王様の実の妹の王女様だそうで……何かいわくつきですよね」
これ以上聞きたくなかったので、フリースラントは話の腰を折って、家の中に入って行った。元の部屋に案内してもらって、彼は荷物を降ろし、へらへらついてきた宿の亭主に、この街での新しいニュースはないのか改めて聞いてみた。
亭主の方は、考えて、そう言えば、今年はクマが多いと言っていました、と答えた。
「山が不作だったのでしょう。クマの町への出現率が高くなっています」
「クマ狩りの連中はどうしたの?」
「この頃はあまりうまく獲れないようですよ」
「ゾフのチームはどうなんだ?」
フリースラント聞いてみた。
「そうですねえ。ゾフさんのチームは、獲ってるらしいですが、他が不猟でね」
フリースランドは競り市が行われている建物の方に出かけてみることにした。
行ってみるとジュリアがとても退屈そうにいつもの場所に座っていた。
「フリー!」と彼女は叫んだ。
「久しぶりだわ! 妹の結婚式に出たって言うけど、どうだった?!」
……どうして知っているんだろう。
しかし、疑問の余地はなかった。宿の亭主以外考えられない。おそらく、町中が知っているのだろう。だが、「妹の結婚式」を、誰一人、ダジャレとしてさえ、王の結婚式と結びつけて考える者はいなかった。当たり前だ。
「いいなー。私も結婚したいなー」
僕はごめんだと、フリースラントは内心、考えた。
ふつうの貴族の家の方がはるかにましだった。何しろ、学校でダンスパーティが用意されていて、わずかとはいえ、自由恋愛の余地が残されていた。
王宮付属の礼拝堂での、荘厳で冷たい、身動きもままならない結婚式や、ずらりと並んだ見事な銀食器が、ローソクの灯に鈍く光る、緊張感の漂う晩餐会、ルシアの「他にどうしようもなかった」結婚は、見ている側にとってさえ、苦痛に満ちているような気がした。
ジュリアは余程結婚したいらしく、フリースラントの顔を物欲しそうに眺めていた。彼女の訴えかけるような視線を避けるためにも、フリースラントは話題を変えた。
「クマが町に出てきてるって?」
「あっ、そうなのよ」
ジュリアは叫んだ。
「この間、町はずれの一軒家の食糧庫のカギが破られて、中のジャガイモが食べられちゃったのよ!」
まあ、ジャガイモくらいなら……とフリースラントは、ほっとした。
もし、人が、バリバリ頭から齧られちゃっていたら、大ごとになるところだった。
ユキヒョウと同じで、そのクマはまた人を襲うだろう。安易に手に入るうえ、栄養価の高い食料として認識されること間違いなかった。
クマの出没は、フリースラントにとっては意外だった。
ロドリックがいれば、十分にクマの数を減らすことはできるはずなのに、どうしてそんなことになったのかがわからなかった。
ロドリックなら、クマだろうがユキヒョウだろうが、真剣に猟をさせたら絶滅させかねない。
それに、ロドリックは不親切な男ではない。頼まれれば、クマくらい簡単に始末してくれるだろう。
競り市の会場で会った人々は、フリースラントが戻ってきたのを見て大喜びだった。
ドイチェ氏をはじめとした町の有力者たちだ。彼らは期待を込めてフリースラントの顔を見た。
出てくるクマの数が多いことは、悩みの種らしかった。
「君が戻ってきてくれた以上、もう、安心だな。何かあった時に、クマハンターはやっぱり心強いよ。特に君は第一人者だから」
聞くと、町にクマがうろつくようになって以来、彼らは、町と山の境界線あたりに、交代でA級またはBライセンスの所持者を配置しているのだと言った。
子供などが出会ってしまったら危険だからとドイチェ氏は言った。
「クマは危険ですからね」
とフリースラントも調子を合わせた。内心、クマハンターの連中が対応追出来るのか疑問に思ってはいたが。
「あんたに危険だって言われると、本当に怖いんだけどもね」
競り市のオーナーのドイチェ氏は答えた。
ドイチェ氏はフリースラントを夕食に誘い、断る理由はなかったので、彼は出かけた。
レイビックの夕食会は、王宮の晩餐会に比べたら、遥かに気楽だった。まず、衣装を考えなくて済んだし、礼儀作法になんか気を遣わなくてよかったからだ。とはいえ、晩餐会に招かれても気楽だという感想はフリースラントならではのものだったかもしれない。ゾフなどは招かれて迷惑していた。
この町に、だんだん知り合いが増えていく。
それはそれでいいことなのかもしれなかった。
フリースラントは母の言葉を思い出した。
「一人では何もできない」
そうかもしれない。
それに、ここの人たちは、王宮の人々に比べれば、はるかに気さくで気楽だった。
そして、善意に満ちていた。
王宮で一緒に会食をした人々は、もっとずっと、いろいろな複雑な事情を抱えていた。それは、先代や先々代まで遡る由来だったり、領地をめぐるどうしても譲れない事情だったりした。善意の人も善意ではいられないのだ。
彼はルシアを思った。ルシアは、王妃として、これからずっと、あの衆人環視の王宮で生活していかなくてはいけないのだ。
誰もがうらやむ権力の座だったかもしれないが、少なくともルシアにとっては、ちっとも居心地は良くなさそうだった。




