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猫侍 鳥獣行脚奇譚  作者: miYoxeNo
5/6

懲悪

(…いつ見ても、薄気味の悪い連中だ。)


 代官の長尾(ながお)爪三郎(そうざぶろう)は思わず眉を顰めた。


 取引相手とは今までも何度か顔を合わせている。場所は決まってここ、国境(くにざかい)に相当する小川だ。

 相手の素性は、正直良く分からない。

 分からないどころか、理由は後述するが、実は長尾は連中と碌に会話すらしたことが無かった。


(…まあ、あの姿を見れば、互いを知る等、こちらからご免被るが…)


 対岸に立ち並ぶ人形のような…微動だにしない5つの人影を見て、長尾は思わず息を呑んだ。


 正直、人か人外かすら定かではない。

 何せ、連中は汚れた白装束で身を包み、頭もすっぽりと布で覆われているのだ。

 項垂れているせいか、人相も分からない。


 昔から懇意にしていた問屋の仁助から、この儲け話を持ち掛けられた時、余りの胡散臭さに最初は乗り気ではなかった。


 連中とどうやって知り合ったのか。

 なぜ国外の者と関りを持てたのか。

 これまで幾度か問い質してみたが、のらりくらりと躱された挙句、そういう時は決まって邪魔が入り、徒労に終わる。


 結局、金に目が眩んだ形で、こうして河原を挟んで相手と向かい合っているわけだが…。

 連中の姿を見る度に、全身を駆け巡る薄ら寒さが、果たしてこれで本当に良かったのかと、いつも自問してくるのだ。


 ましてや、あの様な醜悪な生き物を飼っていたなど…。

 もっと早く知っていれば、自分は早々に手を引いていただろう。


 先日、小屋に閉じ込めてあった子供が逃げ出した時は、口封じのために、自ら手を汚さずに済んだことを、内心安堵したものである。

 その親の始末も、任せた部下もろとも姿を消してしまったので不安は残るが、()()()()にならずに済んだだけ、良かったとも思う。


 だが、今こうして、相手と向かい合う度に思い知らされる。


 良心の呵責など、最早意味を成さないという事を。

 もう、引き返せない所まで来てしまったのだと。

 

 チリン。


 どこからともなく、鈴の音が聞こえ、長尾はハッとした。

 対岸の相手の一人が、鈴を鳴らしているのだ。


 チリーン…。


 その鈴から、再び音が鳴る。


 交渉開始の合図だ。


 向こうは準備が整うと、こうやって鈴の音で知らせてくる。

 と、いうよりも、言葉を発した試しがない。


 長尾が相手と話した事がない理由が、これである。


 会話が成り立たないのだ。 


 こちらが、どれだけ声を掛けようが、それらは一切無視される。

 ピクリとも動かない。

 ただ、ゆらゆらと装束が風に靡いているだけである。


 声の代わりに寄越すのが…。


「…長尾様、来ました」


 風に乗って飛ばされてくる紙きれを、部下の一人が拾ってきた。

 大抵は、ここに向こうの用件が書いてある。

 こちらは、ただこの内容に良か否かを答え、必要なら次の紙切れが飛んでくる。


 他のやり取りを持ち掛けても、一切反応は無い。


「仁助…なんと書いてある?」

「は、はい…ええと…」


 あんな連中の寄越した紙など、触るのも憚られる。

 長尾が視線を寄越すと、仁助はおずおずと紙に手を伸ばした。


「…向こう様も、準備が宜しい様で…。金は例の物を確認してから渡すとのことで、まずは現物を見せて欲しいとあります」

「…ふうん」


 ここで、長尾は連中を試したくなった。


「…我らはそちらに行けぬ。その川より先は国外だ。…国の外に出て行くのは、殺してくれと言うてる様なもの。幾らそちらが手を回してくれていても、そう易々と越境は出来ぬ」

「左様でございますな…。ですから、現物だけ投げて寄越せと、そう書いてあります」


 何と無礼な。長尾は苛立ちを覚えた。


 悪事に手を染める連中に礼も非礼もあったものではないが、それでもこちらから物を差し出せというのは、完全に下に見られている証拠だ。

 本来の長尾なら怒りを露にして恫喝する。…する筈だが。


「…おい、お前。お前が投げろ」

「へ、へい…」


 長尾は近くに居た人間に命令した。

 結局は相手の要求を呑んだ形になったが、仕方がない。


(得体が知れぬ…)


 長尾は恐ろしかった。

 直観的に理解していたのだ。


 今、目の前にいるのは、凡そ真面(まとも)な存在ではない。

 生気が全く感じられぬ。


 まるで木偶人形だ。

 肉付けされた人形。


 その不気味な出で立ちもさることながら、連中の背後に恐ろしいモノが目を光らせているようで、歯向かう気等、到底起きなかった。


 チリーン…


 人形の持つ鈴は、相変わらず定期的に音を鳴らす。

 早くしろと、こちらを急かしているようにも聞こえた。


 部下が放り投げた袋は、川を越えて連中の近くの藪の中に落ちた。

 ピタリと、鈴の音が止み、静寂が訪れる。

 相変わらず相手は突っ立ったままで、袋を拾いに行く素振りもないが、こちらからは最早、どうにもしてやれない。


 長尾は黙ったまま、しかし連中の動きを見逃すまいと、目を見張りながらその時を待った。


 …チリーン……!

 

 一際、大きな鈴の音が山中に響き渡り、同時に、対岸より何かが放られたのが見えた。

 月の光に照らされて輝きを放ちながら落ちてきたのは、豆粒ほどの大きさのある金や銀である。

 河原の石にあたり小気味よい音を出しながら、雨のように降り注ぐ様は、この世の現象とは思えぬ光景であった。


「き、金だ!!」


 しばらく呆けていた部下の一人が叫ぶと、皆それを契機として、なりふり構わず河原に群がった。

 これ一粒だけでも、彼らにしてみれば一財産であろう。


「おい、触るな!これは皆私のものだ!」


 我に返った長尾が、慌てて部下を河原から引き離そうと、近くの一人の襟を掴もうとした、その時。


「そこまでだ」


 男の声が、長尾らの動きを止めた。

 当然、対岸の交渉相手の声ではない。声はその逆、長尾達の後ろ側…歩いてきた道の方から聞こえて来る。


「その方、三国の代官、長尾爪三郎だな?」


 それを聞いた長尾は、川の水全てをぶっ掛けられたかのような寒気に、全身が凍り付いた。


 自分の苗字と名の双方を知るのは、周囲に居る者の中でも、問屋の仁助だけだ。

 しかも、名を呼ぶ機会は、仁助でもほとんど無い。

 ここまで無遠慮に言い放てるのは、自分より格が上の人物…。


「だ、誰だ手前は!?」


 部下の一人が声の主に対して威嚇する。


 止めろ。


 長尾は動かない身体の代わりに、心の中で部下を叱咤した。


 お前らの様な下の下…阿呆は何も知らんだろう。

 知らんだろうから、今の不手際は許してやる。

 許してやるから、そいつに歯向かわないでくれ。


「…下っ端に用はない。長尾爪三郎。お前に用がある」


 もう一度、その声が自分を名指した時、長尾は観念した。


 なぜ、ここに居るのか、分からない。

 しかし、考えらえる中で、最も最悪な相手に露見してしまった。


 長尾は恐る恐る振り返り、自分の嫌な予感が現実だと悟った時、蒼褪めた表情でその名を口にした。


「…朝倉様」

「…やはり、お前か」


 四つ足を丁寧に揃えて座る黒猫「朝倉」は、みるみる内にその目を険しくして、長尾を睨みつけた。


「…信じたくは無かったが、まさか本当に越の代官が不埒を働いていたとは…」

「あ、朝倉様…!も、申し訳ありませぬ!!」


 今までの横柄な態度を一転、長尾の腰が砕けてその場にへたり込んだかと思えば、河原の冷たい砂利の上にも関わらず、手をついて深く頭を垂れた。


「こ、これには色々と訳がございまして…」

「黙れ!この…痴れ者め!」


 頭ごなしに貶されるも、長尾は頭を下げたまま、「ひい」と情けない悲鳴を上げた。


「現世への過干渉、人間への不当な危害、開墾の不届…さらには、無断での荏の栽培…。その罪は重いぞ。覚悟せよ…!」

「は、はははぁぁーーー!」


 もはや長尾の下げた頭は地面にめり込む勢いである。

 今では周りの部下の威勢もすっかり削がれてしまい、事の成り行きを見守るしかなかった。


 そこへ、朝倉の傍にいた寅吉が、やや遠慮がちに尋ねた。


「…あのさ、取り込み中に悪いんだけど…、エコってなんだ?」

「ああ…、(えこ)な…。お前が畑で見つけたものだ。…あれは荏油(えのあぶら)の原料となる」

「エノアブラ?」

灯油(ともしあぶら)と言った方がしっくり来るか?…あれは高級の類で、人間の方でも生産量は厳しく管理されているのだ。長尾は監視が行き届きにくい現世で、荏を内密に栽培し、生成した油を売って私腹を肥やす算段だったのだろう。取引相手とは今夜、実際に売買する油を用意できるかの、最終確認だったに違いない。渡した袋は、それを証明するために用意した、荏の種だろうな」

「ふーん」


 灯油って、そんなに高価なのか。


 寅吉は相槌を打ちながらも、他人事の様にそんな思いでいた。

 そもそも猫には夜目があるのだから、明かりなど月明かりで十分なのだ。

 月が出ない日は早々に寝れば良い。

 夜中に油を使ってまで明かりを求めるなど、花街か、金持ちくらいだ。

 庶民の感覚では、今一つピンと来ない話である。


「その割には、渡した種の量が少なかったように見えたけどな。あれで、向こうは納得してくれたのかい?」


 寅吉の指摘に、朝倉も「確かに」と頷く。


「…取引相手が夷人(いじん)だったのも、正直意外だった。道理でわざわざこんな場所を選ぶ訳だ」


 「さて」と、朝倉は長尾に向き直った。


「貴様には、まだまだ聞くべき事があるようだ。罪に対する沙汰は詳しく聞いた後に、然るべき所で裁いてもらうとして…。周りに居る下っ端共は、お前の本来の部下ではないだろう」

「ははっ…。ひ、人足を補充するつもりで雇った、元は無頼漢共で御座います…」

「ふむ、そうか…」


 朝倉は周囲に身構える人間たちをぐるりを見渡した。


「…別に三下まで相手をするつもりは無い。長尾は我らが連れ帰る故、貴様らは、取り憑いた人間から大人しく出て行くのであれば、ここで放免とする」


 思いの他の恩情で、ほっとしたのも束の間、次の朝倉の一言は、文無しのならず者にとっては我慢し難いものであった。


「受け取った金銀は没収の上、何処へなりとも行くが良い」

「な、なんだって!?」


 思わず声を上げた一人が、朝倉に食って掛かった。


「じゃあ、俺らは今回、ただ働きってことかよ!?」

「…長尾が今までに金を払っていなければ…そうなる」


 その一声を切っ掛けに、残りの者も一斉に捲し立てた。


 「ふざけんな!」だの、「金払え!」だの、働いた対価が無いという不満としては、至極尤もな怒りではあったが…。


「…貴様らは今回、法を犯した。それを許してやると言っているのだぞ。また浮浪に戻るか、獄中で果てるか…考えるまでもないと思うが…?」

「うるせぇ!どうせ二匹しかいねぇんだ!構う事ぁねぇ、やっちまえ!」


 興奮が殺意に変わった時、長尾の元部下らは暴徒と化した。

 人に取り憑いたまま拳を振り上げ、それぞれが持った鍬や棒きれを武器として、朝倉に襲い掛かる。


「ま、待て…!」


 土下座の姿勢のまま長尾が、弱々しくも必死で止めようとしたが、無駄である。

 金の切れ目が縁の切れ目。誰も長尾の声に耳を傾ける者はいなかった。

 

 当の朝倉は向かってくる連中に冷ややかな一瞥をくれてやった後、諦めた様にため息をついた。


「…もう良いぞ」


 朝倉の一言が言い終わるや否や、小岩程もある何かが暴徒らの前に躍り出た。

 そして次の瞬間には、朝倉に群がる全員が、勢いよく何かに弾かれ、地面に転がった。


 いつの間に居たのだろう。

 目の前には、見ただけで震えあがる程の大きな虎が、牙を剥いていた。

 「やっぱりな」と、虎は低い唸り声をあげる。


『こういう奴らには、言葉より力で捻じ伏せた方が早いんだよ』


 俺の言った通りだろうと笑う虎に対し、朝倉はプイと、そっぽを向いた。


「…全員、捕らえて帰るのは骨だろうと思ってな…」


 「…面倒臭いだけかよ」と、虎は朝倉に非難の視線を投げる。


『俺の憂さ晴らしの場を設けてくれるんじゃなかったのかい、朝倉様よ?』

「…まあ、ここまで来れば致し方ない。…寅吉、頼んだぞ」


 それを合図に、虎、もとい変化した寅吉の瞳は歓喜に震えた。


 ようやく、公然と暴れられる…!


 水を得た魚の様に、寅吉はその巨体で以て、ばったばったと襲い来る人間をなぎ倒していく。

 …いや、実際に襲っているのは寅吉の方であった。

 人間に取り憑いた猫の方らは、突然の肉食獣の襲来に早々と戦意を喪失し、各々が這う這うの体で逃げ惑うだけであった。


 これは戦いとは言えない、一方的な蹂躙である。

 その哀れな光景を眺めながら、朝倉はボソリと寅吉に釘を打つ。


「…殺すなよ。外側は関係の無い人間だ。…それに、しょっ引くからには、色々と聞きたいこともある」

『わかってるってぇ!!』


 叫ぶ勢いで突進し、今度は二人、薙ぎ倒す。

 人間が正気を取り戻した時、打ちどころが悪くなければ良いのだが。


 寅吉の至福の時は、あっという間に終わりを告げた。

 周囲は嵐が過ぎ去ったかという程の、惨状であった。


「おいおい、もう終わりか!?物足りんなぁ…、誰でも良いから掛かって来いやぁ!」

「もう、終わりだ。馬鹿者。周りを見ろ」


 改めて見た寅吉の視界に入るは、憑依から解放された人間と、その中に居た猫らが、揃いも揃って白目を剥き、倒れている有様であった。

 恐怖のあまり、泡を吹いて気絶している猫も居る。

 岩が砕け、木は折れ、破壊の限りを尽した跡に残ったのは、嗚咽と涙と鼻汁塗れで震える、長尾だけであった。


「やり過ぎだ」

『…うん…』


 だが、これで全員、抵抗する気も失せただろう。残るは対岸の者らだが…。


「…意外だな。まだ逃げ出してもいないとは」


 例の不気味な5人は、誰一人として動かず、姿勢も変えずにその場に居た。

 鈴の音はとうに鳴りを潜めている。

 枯れ木に着物を着せただけと言われれば、納得してしまいそうな程に、微動だにしない。


『…向こうはどうする?』

「…正直、相手にしたくはない」


 許可のない越境は自殺行為。


 それは越国の住人であれば、誰もが持つ共通意識であった。

 そしてその取り決めは向こうも同じ。それを当然承知の上で、あの5人組は渡河しないのだろう。と、その時の朝倉は思っていた。


 仕方なく朝倉は、川を挟んで警告を発する事にした。


「見ての通りだ。貴様らの取引相手は、今を持って、我らが連れて行く。そちらに手が回る前に、貴様らもさっさと引っ込むのだな」


 …沈黙。

 川を挟んで吹きすさぶ風が、妙に冷たい。


『…おい、何か変じゃねぇか?』

「…用心しろ」


 ここに来て、はたと二人は気づいた。


 5人の背丈が低くなっている。


 いや、それどころか、今もなお、どんどん背は低くなり、次第に子供ほどになり…


 遂に全てが、崩れ落ちた。


 支柱を失って地面に落ちた装束から出て来たのは、無数の蛆。


 朝倉らの距離で分かる程の蛆の大群が、堰を切ったようにあふれ出し、川を越えて真っ直ぐこちらに向かってくる。

 どう見ても、平和的な目的で近付いてくるとは思えない。


『おいおいおいおいおいおいお…』

「馬鹿!逃げるぞ!!」


 長尾を抱え、二匹が脱兎のごとく駆け出した時には、既に河原は蛆で埋め尽くされ、目前まで押し寄せて来ていた。

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