偵察
山中を駆けて程なくして、目の前に開けた土地と集落が見えた。
嬉しい誤算に二匹は、取り合えず安堵する。
国境はもう、目と鼻の先にだったのだ。
「…この辺でいいか」
二匹は身を低くして茂みに隠れながら、村の様子が分かる位まで近づいた。
「…人間の村っていう割には、お粗末だな。小屋ばっかりじゃねえか…なんか変な匂いもするし…」
そう鼻をひくつかせながらも寅吉は、同意を求めようと上司の方に向き直る。
しかし件の上司は、地面に向かって何か熱心に作業をしていた。
注意深く観察してみると、朝倉は何か文字の書かれた油紙を一枚、地面の目立たぬ場所に設置し、重石代わりに木枝を乗せている。
もう何度目になるか。実は先程からこの行為は繰り返されている。気付けば村をぐるりと一周した程だ。
「…何してんの?」
「これで、村々で起こる一連の出来事は、気付かれにくいだろう。…いざという時のお守り替わりにもなる」
「ふーん…。術か呪いの一種かい?」
寅吉の問いに朝倉は「ああ」とだけ答え、後は黙々と作業の継続に入った。どうやら、それ以上の情報は聞き出せないらしい。
諦めた寅吉の方は、仕方なく人間の集落を藪の隙間から窺うことにする。
(出来たばかりの、新しい集落ねえ…)
確かに、道らしい道もなく、粗末な家と小さな畑が、ぽつぽつと散見するのみである。
掘り起こした岩や複数の切り株が、まだ放置されている点から鑑みるに、集落と言うよりも開墾地の方が適当ではなかろうか。
家の数からしても、せいぜい住民は20人弱といったところだろう。
文にあった「人の活気」とやらが、元々あったのかすら、疑わしい。
「…ん?人間がまだ居るじゃんかよ」
寅吉はウメの「父が連れ去られた」という台詞から、てっきり、父親も含め、逃げ損ねた村人の全員が神隠しにでも遭ったのかと思っていた。
しかし、よくよく見れば、家の影から人が出てきたのが確認できる。
「…もう少し、近寄ってみよう」
朝倉の言葉に、二匹は物音を立てぬよう、細心の注意を払いながら移動する。
気付けば既に日没間際。逢魔が時に相応しく、何が闇から出てくるのか、寅吉は内心気が気でなかった。
人影が薄暗い中でもはっきりと分かる位に近づき、恐る恐るその顔を覗き込むと…
「おいおい…」
「これは…」
思い掛けない結果に、二匹は呆気に取られてしまった。
その人影は青白い顔色をしていたが、目が異様にギラギラしていた。
覚束ない足取りで、よたよたと歩く様は、泥酔しているようにも見える。
しかし、二匹の目を引き付けたのは、その人相だった。
ギラギラした瞳の中心には縦に、細長い瞳孔。
開かれた口の隙間からは、肉食獣を思わせる牙。
両頬には、人ではあり得ない、異様に伸びた幾本の毛。
加えて、その声は獣めいた濁声。しかも、寅吉達には聞き慣れたものだ。
「…朝倉様よ。これは、あれだ…」
「うむ。…憑かれてるな。…猫に」
村の奥の方には、同じような人影が何人も彷徨っているのが見えた。
そのほとんどが男たちだったが、皆一様に、頬を撫でたり、手を舐めたり、屋根に飛び乗ったり…。
やっていることは異様でも、行動は一貫して猫っぽい。
寅吉は、拍子抜けしたようにため息をついた。
「…なんだよ。驚かせやがって」
勿論、人からすれば異常な事態である。だが、猫の寅吉にしてみれば、人に取り憑く事自体、さして珍しくもなかった。
こういった場合の原因は、大抵、人間の方が猫に悪さをして、意趣返しに憑かれてしまう事が、ほとんどである。
とりあえずは、正体が化け物ではないと分かり、寅吉は胸を撫で下ろした。
「どうやら、朝倉様、アンタの予想が的中したな。こりゃあ、俺たちの調査としては、外れだわ」
「しかし、妙だ。…なぜ、村の人間全員が取り憑かれているのだ?」
一方の朝倉は、不可解そうに首を捻る。
そんなの決まっているだろうと、寅吉は肩を竦めた。
「そりゃ、村の誰かが猫にちょっかいでも出したんだろ。猫塚を壊したのかもしれねぇな。何にせよ、自業自得だ」
「…その結論は早計だ。ウメの父親は、手癖の悪い猫にでも誘拐されたのか?仮にそうだとして、その理由も、連れ去られた居場所も分からぬ」
「じゃあ、どうする?」
「…もう少し、このまま様子を見る」
二匹はじっと目を凝らした。日はすっかり沈んだが、夜目は猫の得意とするところである。
夜の帳が落ちてもなお、夜闇に響き渡るのは、虫の声ではなく、人の奇声。
今の光景を他の人間が見たら、次の日には狐憑きの村と、噂が国中に伝播しただろう。
さて、村を見張り始めてしばらく経った頃、村に変化が生じた。
ぽつ、ぽつと、村の奥から明かりが灯り始めたのである。
「…奥の方から、誰か来るぞ」
朝倉は目を細め、明かりの向こうの複数の人影に注意を凝らすが…
先頭を歩く人物の正体に、朝倉は思わず声をあげた。
「あの顔は…。三国の代官ではないか…!」
二本足で立つ姿は人間そっくりに見えるが、全身毛むくじゃらで、頭が猫な点は猫侍に似ていた。
その後ろにも、付き従うように、もう一人分の影が見えたが、その人物が商人風の出で立ちに対し、前を行く人物は羽織と袴を纏い、刀を腰に刺している。明らかに双方の身分が違う。
「間違いないのか…?」
訝しむ寅吉の問いかけに、朝倉は深く頷く。
「…勿論だ。あれは三国の代官の一人、長尾爪三郎で間違いない」
「…じゃあ、あいつら、わざわざ現世の、こんな所で何やってやがんだ?」
朝倉らが固唾を呑んで様子を窺う中、代官の長尾は、抜け目のない視線でぐるりと辺りを見渡した後、憑依された人間の男に話しかけた。
「…誰にも気づかれてはおらぬだろうな?」
「はい、旦那。抜かりなしです。監視の目もありません。今時分は獣だって寝てまさぁ」
「…逃げた童は、どうした?」
「それは、結局見つかりませんでした…。しかし、この近くに、子供の足で辿り着けるような人里はありません。野犬に喰われるのがオチですな…」
ニタリと笑う人間に、長尾は満足そうに頷いた。
「先方は今夜にでも取り引きに応じられると言ってきた。問題ないだろうな?」
「はい…。時期としてはやや早いですが、良いものだけ選別してあります」
「良し。行け」と、長尾が下知を下すと、男は頭を下げて、その場を後にした。
そこへ後ろに居た商人風の男が、長尾のご機嫌を取るかのように、すり寄って来る。
「いやあ、御代官様、上手くいきましたなあ」
「油断するな。まだ終わったわけではない…。逃げた子供の親の始末も、結局、確認できないままなのだからな」
「大丈夫ですよ」と、男が下卑た笑い声をあげる。
「なんてったって、ここは道揆法守の越と謳われたお国のお膝元…。誰もこのような事が行われているとは、夢にも思いますまい。お相手様も、向こうの事はきちんと手を回してあると、言ってくれております」
「…本当に信用しても良いのだろうな?それと仁助、今の言葉は俺に対する当てつけにも受け取れるが?」
「い、いえいえ、そんな事は…」
慌てて弁解を試みる腰巾着を睨みつけるも、長尾の顔は笑っていた。
何だかんだで、自分たちの企てが成功間近であることに、ほくそ笑んでいる様子であった。
「まあ、いい…。とにかく今は例の場所まで移動するぞ。…変な虫に嗅ぎ付けられぬ内にな」
「ははっ。直ちに…」
さて、ここまでの一部始終を見た「変な虫」こと朝倉と寅吉は、何やら只ならぬ雰囲気に、化け物調査の時とは別の緊張で身を固くしていた。
「…やはりこれは、単なる憑き物騒動とは違うぞ…!」
特に朝倉の声は興奮していた。心なしか鼻息も荒い。
「確かに、きな臭くなってきたな。…やるかい?」
寅吉の誘いに朝倉は一瞬、目を細めて逡巡したが、「いや、まだだ」と、自らの矛を収める。
「…奴らの話から察するに、この後、まだ動きがありそうだ。『お相手』とやらも含めて奴らの正体を突き止めるまでは、早まるな」
「いや、俺は大丈夫なんだけどさ、…アンタが大丈夫なのかなって」
見れば朝倉の目尻は吊り上がり、毛は逆立ち、身体が震えている。
今にも飛び掛からんとする己の身体を、僅かに残る理性で懸命に抑えている。
本当は、一刻も早く目の前の不届者をひっ捕らえ、強引に真実を白日の下に晒したい。
心中としては、そんな所だろう。
(…ま、俺としては、どっちでもいいんだけどさ)
寅吉としては、このまま上司の目が他所に向いていてくれた方が、自分に被害が及ばないだけ気楽である。いや、逆にワクワクしていた。
(最近、ちっとも身体を動かしてねぇしなぁ…)
同士だろうが、身分が偉かろうが、悪党であれば相手をぶん殴る大義名分も立つ。
ここは、密かに、朝倉がキレるのを期待しよう。
「…お?奴ら動いたぞ」
「良し、後を付けよう」
決定的な証拠を掴もうと、朝倉が息巻く一方で、寅吉はさっきから感じていた妙な違和感が強まった事に、首を捻る。
「…なあ、やっぱり臭くねぇか?草っぽい、変な匂いというか…」
鼻を引くつかせて匂いの源を探る。
どうやら、小屋の立ち並ぶ周辺が最も強いようだ。
「…うむ。確かに少し臭うな。…これは以前に、似た臭いを嗅いだ覚えがあるぞ」
朝倉には心当たりがあるようだが、寅吉にとっては初めて嗅ぐ香りだけに、匂いの強さに比例して興味も強くなっていく。
二匹の強い嗅覚は、その独特な香りに誘われて発信源にまで行き着いた。
「ここが、一番臭いわ」
「…成程、そういうことか」
そこは、小屋の前の畑であった。一面には見慣れない植物が生い茂り、白い花が可愛らしく咲いている。
他に作物を育てている様子はなく、特徴的な匂いなだけに、寅吉にはそれが食べ物とはとても思えなかった。
訝しむ寅吉を他所に、正体に気付いた朝倉は、不敵な笑みを見せながら、珍しく寅吉を褒めた。
「寅吉、お手柄だな」
「ええ…?俺には何のことかさっぱりなんだけど…?」
先ほどまでの殺気立った雰囲気とは一転、機嫌を良くした朝倉は、寅吉のとぼけ顔にも「良いのだ」と、笑顔で応じてくれた。
…しかし、その笑みからは強暴な牙がちらつく。
「子細は奴らの目の前で暴いてやるとしよう」
「お、やっちゃうか?」
「うむ。…お前もそろそろ暴れる相手が欲しいよな?」
…何だかんだで、部下の事を良く分かってるじゃあないか。
寅吉は心を見透かされて当惑半分、嬉しさ半分といった感じで、結局黙って苦笑いを作るしかなかった。