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猫侍 鳥獣行脚奇譚  作者: miYoxeNo
2/6

出立

 山間の隙間をなぞるように整備されたこの通りは、一里塚も、松の木もない、田舎道であった。

 道幅も、横切る人の袖が触れない程度しかなく、遠目からでは周囲の山々の蒼さに隠れてしまう。

 それでも近隣の村々にとっては、物の流通と諸々のやり取りには一役買っているようで、日中はぽつぽつと人の往来があった。


 その道中に佇む一軒家の前で、前掛け姿の娘が、忙しなく働いているのが見えた。

 中の様子から鑑みるに、どうやら茶屋のようである。

 簡素な作りながら、店の前にせり出した長椅子や卓が綺麗に磨かれているのは、娘の働きぶりを良く表していると言えた。


「あらあら、どうぞ、そこへお座りになって下さい。長旅、お疲れさまでした」


 今日も屈託のない笑顔で訪れた旅人を招き入れ、娘はさり気無く客に白湯を出した。

 凡そ田舎の娘とは思えない、垢抜けた接遇と人当たりの良さに、腰かけた者らは皆、思わず口を綻ばせる。

 彼女が一服の清涼剤として一役買っている事は、利用客が他にこの茶屋の評判を言って聞かせる際の、決まり文句であった。

 しかし、ここを訪れた者の中に、稀に不可思議な経験談を捲し立てる者もいた。


「ひぇっ!?」


 今日の利用客の男も、幸か不幸か、その語り部の一人になりそうである。

 客の座る長椅子とは少し離れた店の片隅に、ずんぐりとした別の客の姿があった。

 少し遠慮しているのか、ちょうど店の影になった場所に居座っているため、男が人心地つくまで気付かなかった。

 しかし、目についた今では、むしろそれに目が離せない。


 まずは服装。

 脇に置いてある、大小の細長い袋の中身は形状からして、刀か。

 下は黒で縁取った野袴を身に着けている所から、正体は武士と推察できる。


 しかし、武士の旅姿にしてはかなりの軽装であった。

 人足を伴っている様子もないので、荷物と言えば自身の肩に回して結んだ旅行李(たびごうり)と菅笠のみ。羽織も身に着けていない。

 今はまだ、歩けば温まる程度の気温はあるが、夕方には冷たい風が吹き始める初秋の最中だ。

 人であるなら、まず間違いなく己の仕度不足を呪うことになる。


 無論、そんな心配など無用なことは、一目瞭然だった。

 何せ、遠目でも気づく位、相手は毛深かった。いや、全身毛むくじゃらだった。

 胴着も身に着けず、薄い布地の隙間から、黄色い毛並みがふわふわと風に靡いているのが見えた。

 それで暖気を取っていると結論付けるのは、難しい事ではない。


 とどのつまり、向こうは人ではなかったのである。


「…ば、…ば、…っ」

「ああ、お客さん、ここいらは初めてでしたっけ」


 あまりの衝撃に開いた口が塞がらない客の男を他所に、茶屋の娘は笑いながら毛むくじゃらの横に「はい、どうぞ」と、白くて小さな砂糖菓子が数粒入った小皿を置いた。


「こちらは、お猫様です。他所の村では猫侍って呼んでます」


 そう言って、先程と変わらない笑顔を向ける彼女は、客からすれば明らかに異様に見えた。


「たまに村にお見えになるので、その時は決まってお茶とか飯を、お出しするんです。最近はうちの金平糖がお気に召したようで、よく御出でになるんですよねぇ」


 「貴重品なんだけどなぁ」と苦笑する娘だが、その表情に嫌悪の色は見えず、むしろ親愛の情が見て取れた。


「まあ、うちは幼い頃から見てたから、慣れちゃったけど…。外からのお客さんは大抵びっくりされますね。でも、すごく優しいヒト(?)だから大丈夫…」


 そう言って娘が振り向いた時には、長椅子に座っていた筈の、客の姿はすでになく、遥か向こうに、転がる様にして走り去る影だけ見えた。

 きっと旅人は、逃げた先で自分の身に起きた奇談を周囲に吹聴して回るのだろう。


「あーあ、行っちゃった…」


 諦め半分、分かってくれない哀しさ半分といった表情で、娘はしばし客の去った方角を見つめていたが、後ろから掛けられた声が彼女を現実に引き戻す。


「…だから、言っているだろう。人に我らの事を理解しろと言っても、無駄だと」


 よくよく見れば、猫侍の傍にちょこんと、行儀よく座る黒猫の姿があった。そして、足元にも、これまた虎柄の猫が、スヤスヤと気持ちよさそうに寝息をたてていた。その見た目は完璧にドラ猫である。


「…朝倉ちゃん、一応うちも人、なんだけど…」

「お前はここ…ご老公様の庇護を受けた土地で生まれた身だからな。…だがこの地の水を知らぬ者らにとって、我らは飲み慣れぬ水…。早々に受け入れられるものではない」

「そんな事は、ないと思うけど…。ねえ、お猫様もそう思うでしょう?」


 娘の視線は金平糖をポリポリ齧る猫侍の方に移るが、当の本人は無心に砂糖菓子を食べるだけで、二人の会話に全く興味が無いように見える。

 そこへ、朝倉が娘に苦言を呈した。


「…娘、ご老公様に尋ねられても、困らせるだけだ。人語は狼煙(のろし)の様な物。ご老公様の手を煩わせてはならん」


 娘は拗ねたように頬を膨らませるが、朝倉はそれには取り合わず、「さて」と、娘に退出を促した。


「思わぬ客人が入ったが、誰も居なくなった今、しばらくこの場を借りるぞ。…先ほども言ったが、喫緊の用件だ。すぐに済む故、しばらく席を外してくれぬか?」


 どうやら、朝倉にはこれ以上、娘との談話に付き合う気はないようであった。

 まだ言い足りない娘はしばらく逡巡していたが、やがて諦めたのか、猫侍に会釈をすると店の奥へと消えた。


「…ふん」


 関係者しかいなくなったところで、まず朝倉の矛先が向いたのは、足元でくつろいでいるドラ猫であった。

 無言で頭を殴られ、ドラ猫は痛みで悶絶した。


「…っっっ!!ってえぇぇーーー…。…ばっ馬鹿野郎!何しやがる!?」

「馬鹿はお前だ、寅吉。私が来ても、気づかないまま惰眠を貪るとは…ご老公の御傍に仕える身である以上、許される筈がなかろう」


 そう言って、朝倉は寅吉を睨みつけた。


「…確かにお前には、人里ではその辺の猫と同じように振舞えとは命じたが、ご老公の警護やお世話まで放棄しても良いと言った覚えはない」


 どうやら、上下関係においては朝倉が上司、寅吉は部下らしい。

 加えて朝倉は、部下には頗る厳しい様である。

 彼の刺さる程の目力に、寅吉はしおしおと肩身を窄めていく。


「しかも、私の居ぬ間にお屋敷から出るなど…職務放棄とみなし、牢にぶちこむぞ」

「お、おいおい…。待ってくれよ。俺はちゃんと大殿(おおとの)の傍に居たよ?…居眠りするまでは警護もしてたし、放棄は言いすぎだろ?…それに、勝手に屋敷から出たのは大殿の方で、俺の所為じゃねーよ」


 不出来な部下の言い訳など無用とでもばかりに、朝倉は寅吉の頭をさらに殴った。


「…それを何とか御引止めするのが、お前の仕事だろうが!」

「無理だっつの!アンタと違って、大殿の言う事なんて分かんねーんだよ!出来るわけねーだろ!?」


 そうやって言い訳ばかりしているから、ダメなのだ。


 そう、喉奥まで出かかった言葉を飲み込む代わりに、朝倉は深いため息をついた。今は、こんなことをしている場合ではない。


「…まあ、私が不在の時の対策は、今後考えるとしよう。…それに、事は急を要する。ご老公へのいくつかの上申も、今は一旦、置いておきましょう」


 朝倉は静かに茶を啜る猫侍に向き直り、神妙な面持ちで語り始めた。


「まず、越の国で起きた人間の村での神隠しについて、人に依る解決に至らなかったものを総ざらい致しましたが…ほぼ全てが黒で御座いました。人攫いは、人に依るもの…神隠しは、人外に依るもの…。しかし、その人外共は、元人間…。人が変化(へんげ)したものでした」

「…はあ?なんで人間が化け物になるんだよ?」


 まだ頭の痛む寅吉が、さすりながら会話に割って入る。

 明らかに朝倉の反感を買う行動だが、話を先に進めたいのか、少し眉を顰めるだけで済んだ。


「…別に珍しくはない。昔から人間は法術が扱えたのだ。その中には他の生き物に変化したり、死人を蘇らせる術もある。深い恨みから、死んでも亡霊となって蘇り、雪辱を果たす者もいる。それは、人も猫も同じだ。…ただ、今回は(たち)が全く違う」


 朝倉は先の化け物との顛末を思い起こしながら、出来るだけ簡潔に、かつ分かりやすいように努めた。


「まるで人体を無理やり捏ねて、他の生き物とくっ付けた様な不格好で醜い生き物、とでも言うのか。唯一、人の面影が残る顔も、鋭い牙や血糊で汚れ、最早理性のある顔とは言えなかった。正に魑魅魍魎に相応しい化け物だ。知性もない」

「…法術を扱えるほど、器用じゃなさそうだな。…じゃあ、幽霊とか、怨念の類とか?」

「幽霊があそこまで姿形を歪に変化させる事が、出来るか…。いや、やはり、考えづらいな」


 では、答えが見当たらないではないか。

 浮かない顔の寅吉を横目に、朝倉は少し考えを巡らせる。


「恐らくは、外から来た外法の使い手が、その辺のならず者を化け物に変えたか。…もしくは、どこぞの呪いが何かの間違いで、国内に流れてきたか。…正直、はっきりとした原因は分からぬ」


 「重要なのは…」と、朝倉は納得できていない寅吉の視線を無視して続けた。


「ここ最近、この手の神隠しが増えてきていると言う事実だ。今までは、ただの疑惑で済ませていたが、この度の検分で、疑惑は真実となった。…現世での出来事とはいえ、ご老公が統べられた越国で起きている怪異…これ以上、野放しには出来ぬ」


 意を決したように、朝倉の瞳がギラリと光る。「ご老公」と、朝倉は頭を垂れた。


「もう、お判りでしょう。この国に仇なす不届き者が居るやもしれぬ事態…。最早、ご老公お一人の力だけでは、手に余ります。一度お屋敷に戻り、若殿に申立てた上で助力を求めましょう。…いくら(まつりごと)から一線を引かれた身とはいえ、ご老公は今でも我らより、仁者無敵の名君と尊ばれる御仁…無碍には出来ませぬ。証拠を見せれば、あの前田とて、黙って力を貸しましょう。…何卒、何卒、ここは家臣の意を汲んで、お屋敷にお戻り下さいませ。……て、ん?」


 懸命な上申の末に、やっと頭を持ち上げた先に見えるは、主君と寅吉が悠々と店を後にした姿だった。


「ご、ご老公ーーーーー!!?」

「あー…残念。大殿に戻る気はないってさ」


 ばつの悪そうに苦笑いを浮かべた寅吉だったが、上司の慌てふためく姿を見て、内心してやったりである。


「と、殿!お待ちください!!」


 朝倉の呼び止める声にも猫侍は足を止める事はなかった。ただ、悠々と歩いていた。


 あれだけ事件だ、危険だと言って聞かせても、その顔に緊迫感など微塵もない。

 柔和な顔と、どっしりとした体躯で、如何なる有事でも受容し、昇華出来そうな程の存在感であった。


 …最も、長年仕える朝倉でも、これ以外の面をほとんど拝んだ事はないのだが。


「殿!お戻りください!凶事の原因が分からぬ以上、現世での漫遊は危のうございます!…大体、向かう宛ても無いのに、どこへ行かれるというのです!?」

「宛てなら、あるぞ?」


 「ほい」と、寅吉は一枚の紙きれを朝倉に投げて寄越した。


「…文か?」

「アンタが検分とやらで忙しくしてた最中、それが届いたんだ。俺は人間の文字なんて読めないから、内容まで知らんけど、大殿はそれを見て、屋敷を出る事にしたみたいだぜ?」


 急いで文を開いて読む朝倉の顔が、どんどん曇っていく。


「…例によって、あの奇っ怪な輩からの戯文か。…人間との付き合いは程々にと、あれだけ申しておりますのに…」


 苦々しい部下の顔にも、どこ吹く風。

 猫侍はどんどん先に進んでいく。


「…ま、我らが大殿のご意志は固い様だけど…。どうする?朝倉様よ。無理にでも引き留めるかい?」

「…止むを得まい」


 仕えて以来、これで幾度目の溜息だろうか。朝倉はぼやく様に呟き、主の背中を追う事にした。


「…ただし、あの文の内容に誤り、詐欺、(はかりごと)の気配があれば、即刻、屋敷に戻る。その時は、お前も付き合わせるからな」

「へいへい…」


 斯くして、猫侍とその家臣は、怪異の真相を突き止めるため、旅に出たのであった。


 実はこの時、朝倉にしては珍しく、浅薄な思慮を抱いていた…そう言わざるを得ない。


 いつものことだ、と。

 いつもの如く主の気の向くままの漫遊だから、すぐに戻って来られるだろう、と。


 その考えが如何に愚かだったか。

 なぜ、この時、無理やりにでも主を止めなかったのか。


 後に朝倉は、深く自分を責めることになるのだが…。

 それは当面、先の話である。


旅行李(たびごうり)・・・江戸時代等で旅人が必要なものを入れておく入れ物。二つの旅行李を紐で結び、肩に回して前後で担ぐ。

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