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猫侍 鳥獣行脚奇譚  作者: miYoxeNo
1/6

 近隣の村からでも歩いて丸二日はかかる、昼間でも日の光が及ばぬ山奥の、そのまた奥。


 じくじくとした土の上に、半ば崩れた掘立小屋があった。


 地元の猟師ですら、足を踏み入れるのを憚るというのに、その小屋の中からはガサガサと、何かが蠢く音と、荒々しい獣のような吐息が聞こえてくる。


 吐息に交じり、水気のあるものを磨り潰す音も断続的に届くので、中の生き物が何かを咀嚼しているのだと、分かる。


 食べている。具体的には、貪り食っている。


 辺りは、そよ風の音すら耳障りになり兼ねない程の静寂に包まれている。故に、ぐちゃぐちゃと音を出す小屋はその外観も手伝って、醜悪さをより、際立たせていた。


 しかし、小屋の中の主は、一向に自重する気配がない。一心不乱に、噛みついて、磨り潰す。


 満たしているのは、空腹なのか、屈折した己の嗜虐性なのか…いずれにせよ、ここには自分の行いを咎める者など居はしないのだ。欲望のままに動いて、何が悪いのか。


 まだ足りぬ。まだ満ちぬ。


 そこには硬い骨すら残さず、細かく砕いて呑み込む程の、獲物への執着が窺えた。


 まるで蛆が、腐った肉を前にして、齧り付かぬ道理がないのと同等…。


 喰らう者に科せられた、条件反射のような行動かもしれない。掘立小屋の周りにちらばる、無残な食事の跡を見れば、そんな夢想すら真実味を帯びてくる。


「おい、そこの」


 しかしそこに、一際通る、若い男の声が響いた瞬間、掘立小屋からの音も、プツリと消えた。

 しばらくの静寂の後、もう一声。


「おい、そこの。…中に居る(うぬ)だ。表に出よ」


 美男子を思わせるような透き通った声だ。しかし、その物言いは友好的とは程遠い、威圧的で、相手を見下した態度が窺える。


 程なくして小屋の中から、野犬のごとく、明らかに警戒した唸り声が聞こえてきた。


 自分の食事の邪魔をするのは誰だ。とでも言わんばかりに。


 しかし、そんな警戒心など意に介すこと無く、男の方はさらにトーンを下げる。


「…私は於菟(おとの)権中納言(ごんちゅうなごん)様の使いで来た。早く表に出て控えよ。…さもなくば、その薄汚い小屋ごと吹き飛ばすぞ」


 男の脅しに応えるかのように、傾いた引き戸が蹴破られ、、中からギラギラと目を剥いた野獣が、首をあり得ぬ方向に捩じりながら這い出てきた。


 それは四つ足で歩く様から「獣」としたが、熊ほどもある巨体に似つかわしくない、全身、毛のない青白い肌をしていた。


 異様に伸びた胴体は傴僂(せむし)の様に折れ曲がり、背骨が盛り上がっている。また短足であるから、歩くというよりも這うように動き、その巨体を支える影響か…変形し、丸太の様に太かった。


 獣は醜悪な身体から生えた人面を、耳まで裂けんばかりに口を開き、吠えた。


 『……誰だ!?お前は誰だ!?

  先に襲った、村の者どもか!?雇われの野良侍か!?陰陽道の術師崩れか!?

  ここは我の山、我の地…

  余所者は食い殺される前に、立ち去れい!!』


「ふむ。…平伏にしては、まだ頭が高いが…まあ、良い」


 威嚇した獣が一転、自身の理解が及ばず、まじまじと声の主を眺めてしまったのは、相手が全くこちらの恫喝に動じなかったから、だけではない。


 その者の出で立ちが思いの他、とても小柄、だったからである。いや、小柄という表現も違和感を覚える。何せ相手は人の子よりも小さかったのだ。


 それどころか、全身は黒い毛で覆われ、頭頂の両側には形の良い、三角の耳が二つ生えていた。さらに四つ足を行儀良く前に揃えて座る影からは、これまた真っ黒な尻尾がタラリと生えている。


 パッチリとした瞳の中で存在感を引き立たせているのは、真っ直ぐに屹立した縦長の瞳孔。愛らしさと肉食系特有の獰猛さを兼ね備えた目は、暗闇の中でも煌々と輝いていた。


 『……猫……?』


 猫が人語を喋ったというのか?


 戸惑う人外に対し、男…もとい、黒猫は脱力した様に溜息を一つ、ついた。


「…妖の癖に現世(うつしよ)にも、常世(とこよ)からも離れて暮らす己では、私が再び名乗ったところで、理解できまい。だから、早々にこちらの用件を伝える。今から私の言う事を、中納言様のお言葉として、心して聞け」


 黒猫は闇の中に浮かべた瞳を、一際、輝かせながら、ゆっくりと相手に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「…越の国の山中に籠り、外界から途絶して人外に身を堕とすだけでは飽きたらず、近くの人間の村を襲い、女子供を拐かし、非道の限りを尽くした事、覚えがあろう。…周囲の村だけでも女3、子供3…間違いないな?」


『…ふ。』


 一瞬、猫の言った事にきょとんとしていた獣も、相手が脅威に足り得ないと悟ったようだ。


『ふ、ふふ……いきなり偉そうに出てきて、猫風情が何を言うかと思えば…そんな事か…』


 血と涎が混じる、真っ赤な口を引きつらせたその顔を、果たして笑ったと表現すべきだろうか。


 獣はゆっくりと小柄な黒猫に向かって、にじり寄ってきた。


『ああ、喰った、喰ったさ…。だが、数はちと違うな。たった今、新しいガキを一人、喰ったところよ…』


 猫の鼻先三寸まで近づいた所で、噎せ返るような血の生臭さが辺りに立ち込めるが、黒猫は野獣の鼻息にその毛を靡かせるだけで、平然としていた。


「…では、やったと認めるな?子供3を改め、子供4か…」

『ああ、認めるとも。…だが、お前のせいで邪魔されたがな…。埋め合わせはしてもらうぞ。…そうだな、生きたまま皮を剥いでやろう。食い応えはないが、暇つぶし位にはなるさ、なあ?』


 これから弱者をいたぶる楽しみに、人の拳程もある目を細め、ニタリと笑う。


 しかし、黒猫はその醜悪な顔を、たっぷりと蔑みの視線をもって応えた。


「…全く、こんな腐れ下郎のために、わざわざ足を運ぶ羽目になったとは…とんだ徒労だ」

『……ナンダト?』


 ざわり。獣の顔が色を失った。


『…今、何と言った?』

「…聞こえなかったのか?半端者は、頭どころか耳まで悪くなるらしいな」


 猫は今にも飛び掛からんとする獣に怯むことなく、はっきりとした敵意を持って、射る様な視線で睨み返した。


「腐れ下郎と、言ったのよ…。貴様のように、現世を捨て、人を辞め、闇に身を溶かす者は事実、そう珍しくはない…。だが、どこの世界だろうが、変わらぬ道理がある」


 黒猫は小さいながらも、しっかりと研がれた牙を覗かせた。


 その顔は、さながら虎である。


「…無法者、不義者、外道…これら須く排すべし。いずれの例外、恩赦無し」


 小動物から発せられる言葉は、冷徹で、厳に法を管理する奉行人のようであった。


 ここで、遅ればせながらも獣は気付いた。冷や水を浴びせられたと言っても良い。


 この小さき者から発せられる、尋常ならざる覇気は、何だ?

 

 この猫は自分の命が、風前の灯火だという事を、分かっていないのか?


 確かに、人語を話す猫など、初めて見た。…ひょっとしたら、こいつも自分と同じく妖の類で、見識が及ばぬ存在かもしれない。


 ただ、見た目はそこらの野良と、一分の違いも無いのだ。昔、自分が悪戯に殺していた非力で、馬鹿な小動物のそれと、何も変わらぬ。何も、何も、何も…。


 いや、本当にそうか?


 では、今、こいつが明らかに自分を格下の相手として蔑む理由は、いったい、何だ?


 どうして、自分の身体が総毛立っているのだ?


 この威風堂々とした出で立ちの猫から、死への恐怖など、微塵も感じられぬ。


 本当に、こいつに逆らっても良いのか?自分は、とんでもない思い違いをしているのではないか?


 獣は逡巡し、混乱し、一瞬、捕食者としての立場を忘れた。


 それが過去に置き忘れて久しい、「恐怖」という感情である事に、獣は気づいていなかった。


 そんな相手の心中はいざ知らず、「だが」と、猫は続けた。


「…この度は、正に例外中の例外…。中納言様…先の越守(こしのかみ)様から、己が現世との一切の関りを断ち、常闇に堕ちて悠久の時を漂う運命を選択するなら、本来裁かれるべき罪を不問にせよとの仰せだ」


 「中納言様のお言葉は、越の国では法よりも重いのだ」と、付け加えた上で。


「…言っておくが、これは己のような下種にとっては、破格の処遇だぞ。それに、先の越守様が目をかけてくれるなど、万に一つもない事が己に起きているのだと、よくよく噛み締めてから答えるのだな」


『……否。』


 黒猫が言い終わらぬうちに、獣は突っぱねた。一瞬、垣間見えた恐怖の色は消え失せ、醜悪な顔は歪み、全てを拒絶した。


 確かに、この猫は得体が知れぬ。どこか一抹の不安を拭い去れない、小さき身体から、大きな存在を感じる。


 だが、それだけで屈するのか?

 強き者に降り、安全と引き換えに自由を失うのか?

 自分は強き者ではなかったのか?


『…否。…否、否、否ァ!!』


 不意に獣の巨体から繰り出される一撃を、ひらりと黒猫は躱す。先ほどまで黒猫が居た所は、地面が抉れ上がっていた。


『冗談ではない…冗談ではない…!やっと、やっと、我の居場所を見つけたのだ!やっと、居心地の良い身体を手に入れたのだ!この場所も、この身体も、…渡して、なるものか!!』


 黒猫など、容易く一呑みにしてしまえる程の、大きな口を開けて、獣は突進した。最早、言葉を交わす必要は、無くなった。


『どこの爪牙か知らぬが…、喋る猫一匹しか寄越さぬ、無能な主を呪いながら死ね!!』

「…痴れ者め」


 黒猫は冷ややかな目で獣を一瞥すると、少し身体を屈める体制をとった。しかし、その動作が完了するよりも速く、獣の牙は上下からその身体を捉える。


 バチンッ!!!


 捕食、というには余りにも控え目な表現だ。


 岩をも削り取れるだけの、力と質量を持った鋭利な歯は、捉えた者の身体を一撃で分断出来ただろう。


 しかし、その刃は完全に空を切っていた。


 この醜悪な獣が愛してやまない、噛み付いた瞬間に広がる、何とも言えない獲物の感触…暖かい血潮を感じる事は、無かった。


 代わりに獣が見たのは、黒猫が自身の身体の真横を一閃。まるで、撫でるように跳ぶ姿だった。


『……ギッ!!』 


 黒猫は空気の淀みすら許さず、静かに着地した。程なくして、獣の巨体が力を失ったかのように、膝をついて崩れ落ちる。


『ぎゃあああああああああ!!!』


 口から迸る絶叫。


 獣の前足と後足の1本が、血しぶきと共に身体から離れ、宙を舞いながら無残に土くれの中へ落ちた。


 久しぶりの激痛に一瞬で獣の戦意は喪失し、己の慢心で隠れていた動物的本能が、ようやく目の前の小動物から逃げろと警鐘を鳴らす。


『な、何ィ者ダ…?』


 遅すぎた危機感に従い、痛みを必死に耐えながら獣は後ずさる。


 絶望的な状況を脱したい一心で衝いて出た言葉だったが、それも最早、呂律が回っていなかった。


『なにぃもの、なゃんだ…お前ヘェ……?』


「もう、己に語る言葉は、持ち合わせてはおらん。…だが、天理人情に従って、己にかける情けがあるとすれば…」


 黒猫の目は異様な光を帯びていた。


「ただ、黙って死ね。中納言様のお情けを拒み、そのお顔に泥を塗った罪人は、黙って屠られる事こそ、唯一の贖罪よ」


 言い終わるより早く、黒猫の背後から何かが飛び出してきた。


 瞬く間に、獣の身体に絡みつくのは、細く、強靭な糸である。それが残りの四肢の自由を奪い、遂に獣はのたうつ事すら侭ならなくなった。抵抗し、力づくで引き千切ろうとも、肉に糸が食い込むばかりで、さらなる痛みを罪人に科すだけである。


 こうなっては、最早、生きているだけの肉達磨。


 勝負は決した。


『ま、待って…』


 先ほどまでの嫌らしく引きつった笑いから一転、今度は死への恐怖に、獣は顔を引きつらせることになった。


『待ってくれ…、分かった、分かったから……、ここを出て行くから……、もう、人間を喰わないと誓うから……。だから、だから、勘弁して…、勘弁して下さい……っ』


「…最期の最後まで、話を聞かぬ奴だ」


 敗者の弁を聞き終わる前に、みるみる黒猫の顔が険しくなる。


 黒猫は縛られた獣に近づき、前足をその額にピタリと、当てた。


「黙って死ねと、言った筈だ。余計な事を喋れば喋るだけ、己の死に贖罪の価値は無くなる。…それにな…」


 額に当てた前足から、長い爪が伸びる。


「もう、己が罪の意識に目覚めようと、目覚めまいと、どうでもいい。…己は中納言様の命に背き、侮辱した。…どれだけ中納言様がお情けをかけようと、天が慈悲を与えようと…私が、許さない。」


 徐々に、足に力が籠る。額に押し込まれる爪の先から、獣の血が滴り落ちる。


 小柄な猫からは想像もつかぬ、強い力で押し込まれていく爪は、獣の血で濡れてもなお、鋭さを増していく。


 獲物を潰し、切り刻む。


 因果応報とも言うべき、罪人の末路であった。


「…即、成敗。」

『たっ、たしゅけてええええええええええっっっっっ!!!!!!』


 外道の命乞いに応える者など、いなかった。

 ただただ、深い森の中に木霊して、木々の葉を僅かに震わせた。

 静寂が戻る頃には、原形を止めぬ肉塊が、草木を汚しただけであった。


「…朝倉様」

「…うむ。終わった」


 朝倉と呼ばれた黒猫は、いつの間にか後ろに控えていた2匹の猫に、向き直った。その内の一匹が、訝し気な顔で足元の肉片を見やる。


「…やはり、こうなりましたか」

「…うむ。望まぬ結果だが、想定はしていた事だ」


 辛うじて、顔と分かる部分に、黒猫…もとい、朝倉は歩み寄る。


「…これが人間の成れの果てだと、誰が信じられる?」

「左様で…。百鬼夜行でも、こうも醜悪な者は、古今東西、探せど居りますまい。ましてや元は人の子…。執念と言うものは、末恐ろしゅうものでございます…」

「…()()の後始末は我らで行います。朝倉様は今後、どうなさいますや?」


 「無論」と、朝倉は部下の問いに即断した。


「ご老公にお伝えするため、一度、お屋敷に戻る。お前たち、後を頼むぞ」


 それを聞いた途端、部下の顔二つが揃って曇ったのを、朝倉は見逃さなかった。


「…どうした?」

「あ、いえ…。ご老公は、その……」

「…今、お屋敷には居られませぬ」


 二匹の表情から、全てを読み取った朝倉は、緊張で張り詰めていた身体を一転、ガックリと落とした。


「…またか」

「……また、で、御座います…」

「申し訳ありません。警護の目もご老公は、上手にすり抜けられたようで…。目下、捜索中です」


 部下の方は、上司の苦労を分かっているのだろう。自分たちの不甲斐なさを恥じるように、頭を垂れた。


「…いや、問題ない。幸い、今回は見当がついている。そう時間はかかるまい」


 朝倉はそう言うや否や、疾風のように駆け出した。木の葉を散らしながら、山を下って行きつく先は、予てより忠誠を誓う主君。


 古の日本より妖の猫らを統べていた、越の国の先代頭首の元へと、急ぐのであった。


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