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イノシシが走る

 

「……」


 アーサーは一人、本来牛を放牧する草原の上で仰向けになり、夜空を眺めていた。

 不法侵入ではない。

 彼の仕事の一つである、放牧地の清掃である。

 牛飼いをしている依頼人は高齢で放牧地の牛の糞を退ける作業ができなくなっていたために、ギルドに頼み込んだものである。

 そして、アーサーはその牧草地で牛の糞を一箇所に集め、そしてマメ科の植物ではないものを退ける作業を夜通し行ない、そして作業を終えた後の休息をしているところだった。

 その夜空には、空の天蓋に届く巨人に一口噛み付かれたような弓形の月が浮かんでおり、その月の周りには宝石のように光り輝く星が大きな川のように寄り集まっていた。

 そしてアーサーの顔を撫で付ける風は氷のようにまではいかないものの、ひんやりとしていて、収穫の時期となる秋口の冷たさを運んできていた。

 辺境の地であるフィンバーグでは秋口の風を、山の神が収穫の時期だと合図するものだと言い伝えられており、春に蒔かれた小麦畑で実った小麦が風に揺れる姿を見たとき、山の神の象徴であるイノシシになぞられて『イノシシが走る』と言われている。


「……親父、僕はどうしたらよかったんだろう」


 アーサーはそのイノシシが走る中、ポツリと、亡き父に尋ねる。


「僕には親父のように力はなかった。だから断ったんだ。仕方ないだろう? 親父……だって僕は親父みたいなドラゴンキラーでは無いんだから……」


 ゆっくりと目を閉じる。

 父、ウーゼルと過ごした日々を思い出す。

 長く一緒に過ごした時間は、今となっては過去となり、一瞬にして見終わってしまった。

 いつしかウーゼルと共に過ごした時間は、彼が生きていくことで短くなっていく。

 それと同時に、アーサーの心の中にある父はドラゴンキラーだと信じている思いが風化して行き、父は嘘つきの冒険者だったという思いが次第に強く、大きくなって、いつしかフィンバーグの人々と同じように、父であるウーゼルのことを嘘つきと言い始めているという恐怖を、アーサーは覚え始めていた。


『……失望した』

「……っ」


 あの時、ビビアンが発したあの言葉がアーサーの胸に突き刺さっていて、ズキズキとした痛みを生じた。

 彼はあの言葉を発した時の、彼女の顔を見ていなかった。

 彼女は、どんな思いであの言葉を言ったんだろうか。

 そしてアーサーは考えるまでもない……と嘲笑し、また夜空を眺めた。


「……分かっているよ。僕は弱い人間だってくらい……」

「……アーサー君?」


 不意に声をかけられたアーサーは飛び起き、彼の名を呼ぶ人物を見る。

 そこにはエマがランタンを片手に、彼を見つめていた。

 彼女の表情は、ランタンの明かりでうっすらと見えていて、心配そうな表情を浮かべているのをアーサーは見えた。


「え、エマさん? どうしたんですか?」


 もしかして聞かれていたか? とアーサーは内心慌て、起き上がった。

 この歳にもなって親のことを考えているなんて、アーサーからすると恥ずかしいことだったからだ。


「いや、いつもこの時間にご飯を食べにするはずなのに、見当たらなかったから心配しちゃって……そしたら少し前に、牧草地の清掃の依頼を受けたと聞いたから、ここまできたのにどこにもいないから……またどこかでのたれ死んでいないかなという思っちゃいました」

「ははは……」


 そういえばそうだったな。とアーサーは自身のお腹の減り具合を手で摩り、確認する。

 彼の腹に住み着いている魔物は空腹だと訴えていなかった。

 そして今日の朝方に食事を摂ったことを彼は思い出す。


「お腹はすいてないですね。確か朝に食事を摂ったので、今日は食べなくてもいいかなと思いました」

「食べなくていいって……いいですか? アーサー君。人間、一日三食は食べないとダメなんですよ? 力を出す時に出ないとか冒険者(アドベンチャラー)としていけないことですよ?」

「うへぇ、出ましたお節介エマ姉さんが……」

「何ですって?」

「イエ、ナンデモゴザイマセン」


 アーサーが辟易していると怒気混じりのエマの声が彼の背筋を伸ばした。

 アーサーの姿を見つめた後、エマはため息をつく。


「たまには一日二食を摂ってはどうですか? 少しは体が大きくなって力がつくと思いますよ?」

「うぐっ……」


 アーサーは今年で十八歳になるが、平均的に彼は小柄で細い。控えめに言っても、冒険者らしくないと言える体格だった。

 その当の本人でもある彼も薄々ではあるが、身長が伸びておらず、筋肉質になっていないと自覚している。

 そしてそれと同時に今の食事生活では彼の体が大きくならないという事を本人も分かりきっていることだった。

 エマさんは力があって体が大きい男性が好きなんだろうか……アーサーは彼女を見ながら考えた。


「本当はもう少し報酬を出したいんですが……ギルドでは『ランク評価』というのがあるので報酬を上げ辛いというのがあるんですよね……。

 牛飼いや、スライム除去の下請けの仕事なんてフィンバーグ(ここ)ではアーサー君くらいしかしないんだから貢献度で報酬をあげたらいいのに……」

「でも、下請けしかしない冒険者の報酬を上げてしまったら、ランク評価で報酬を貰っているほかの冒険者達に反感買われますよ……? ギルドではなく、エマさんが……」

「分かっていますよ。でも、年頃の冒険者をいつまでもここで燻らせるわけにはいかないのです」


 エマはアーサーをジロリと見ると、アーサーはビクッと小動物のように震えた。


「そのために、たくさんご飯食べさせて体を大きくしてもらい、更に力をつけて欲しいのにいつまでも()()()()()()()をしていてはギルドも商売上がったりなんですよね」

「うぅ……面目無いです」


 耳が垂れた犬のような姿になった彼を見て、エマはくすりと笑う。

 そしてエマは、アーサーの隣に座ると夜空を見上げた。


「空が綺麗ですね。イノシシも走っていますし……そろそろ収穫の時期ですね」

「……そうですね。収穫の依頼があればもちろん僕を呼んでください。手伝いますので」

「当たり前でしょ?」


 しばらく二人で笑いあった。

 そして時間が流れるにつれて、二人は会話の種がなくなり、そして二人の間にしんみりとした空気が漂い出した。


「エマさん」

「なに? アーサー君」

「あ、あの、エマさんは体ががっしりしてて、筋肉質な人が好きですか?」

「……え、えぇ!?」


 彼は少しもじもじしながら、エマに尋ねると、同時に彼女はハッとした表情をする。

 エマは数年前から結婚適齢期に入っており、そろそろ相手を探さなければ、と考えている時期だった。

 よくよく考えてみると、つい先程までエマがアーサーに口酸っぱくご飯を食べろだの、力をつけろだの誰でもない本人は言っていた。

 まるで、私のパートナーとして早くなりなさいと言っていると同じではないのか? とエマは思った。


「ど、どうしてそう聞くのかな?」

「さっきまで、たくさんご飯を食べて大きく強くならないといけないって……言ってた気がしたので」

「……ま、まぁ、牧草の様にひょろひょろしているよりかは、木の様にがっしりしている方がいいと思うけど……」


 ランタンの火はゆらゆらと揺れている。それはまるで、しどろもどろになっているエマの感情を表現している様だった。


「……」


 エマは覚悟を決める様に生唾を飲む。

 彼女は確かに、体が大きく、力のある男性を好印象に見ている。

 だがしかし、彼女のその第一前提というのは『保護欲が刺激される人』なのだ。

 そしてこの辺境の地、フィンバーグとなれば、その人物は()()()絞り込まれる


「あ、アーサー君」


 彼女は自分の頬が真っ赤になっていて、心臓が今にも爆発しそうなくらいに滾っている事を理解していた。


「君が良ければなんだけど……私の……」

「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()……」

「……はい?」


 思わず聞き返す言葉を大きな声でエマは言った。

 彼は今何を言ったのだろうか、それを聞き返す様に彼女は言った。

 その大きな声にアーサーはビクッと体を震わせた。


「いや、勇者ビビアン……様? ……もエマさんと同じ様に、力があって、体が大きな男性が好きなんだろうなって……」

「……」

「あの、エマさん?」

「はぁぁぁ、そういう事かぁ。はぁぁぁ」

「あ、いや、エマさん? どうかしたんですか、いや僕何か変なこと言いましたか?」


 彼女は頭を隠す様に、手で覆った。

 そりゃそうだ。彼は私のことを姉の様に慕っているのだから。

 彼の視線の先には颯爽と現れたあの青髪の少女がいるのだ。


「あ、あの、エマさん……」

「報酬だけど、受付からもらって……あと糞臭いから、ギルドの浴室借りてきなさい」

「え、エマさ……」

「さっさと行かないと報酬減らす様に言うよ?」

「ひっ……はい! すぐ行ってきます!」


 ドスを効かせた声でアーサーを言い聞かせると、彼は猛ダッシュでギルドへと走っていく。

 牧草地にはエマ一人だけで周りには誰もいなかった。


「……あーーーーー! もーーーーーー!」


 エマは叫ぶ。

 喉が潰れんばかりに大声を出した。

 出さないとストレスで心が潰されそうだった。


「アーサー君のバーーーーーーーカ!」


 だから、そのストレスの元である彼に向かって聞こえない様に罵声を浴びせたのだった。




 夜が明け、アーサーは眼を覚ます。




 体に凝り固まる疲れを振り落とす様に、背を伸ばすと起き上がり、外に出た。


 空は雲が一つもなく晴天で、フィンバーグから見える地平線ははっきりとしていた。


「……よし!」


 気合いを入れる様に声を出したアーサーは、水を汲み上げ顔を洗おうと井戸へと向かった。




 ―――……その時だった。




 突如揺れ出す大地、そして鳴り響く音。

 揺れだした大地が、まるで卵の殻を破るように割れた。とアーサーは表現した。

 なぜ、彼がその様に表現したのか。


 なぜならば……、()()()()()()()()()()()()からだ。


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