竜殺しの息子
「……貴殿がアーサーですね?」
「え、あ、はい。アーサーです」
「話を聞くかぎりでは屈強な男だと思っていたのですが、かなり細身……ちゃんと食事を摂っているのです?」
話とは一体なんだろうとアーサーは思った。
「一昨日の食事から食べていなくて今さっき食事にありついたところでした」
「そう……先ほどの話を聞いていましたか?」
「いえ、空腹で死にかけていたので、耳にしていませんでした……」
「……本当にドラゴンキラーの息子なの?」
「さぁ、僕にもさっぱりわかりません」
ギルド内の応接室。
その応接室を貸し切って、ビビアンとアーサーは椅子に座り会話をしていた。
といっても、彼からすればそれは会話ではない。彼女から質問を受け、彼がその質問に答える光景は、その状況を理解していない人から見れば罪を犯した囚人と面会をしている人にしか見えないだろう。
「……何か?」
「あ、いや……青い髪をしているなぁと思って」
「……そう。ありがとう」
アーサーから見て、彼女への第一印象は『すごく綺麗』だった。
彼が冒険者に登録した時フィンバーグにいた若い女性は、エマより一回り年上の女性ばかりで同年代という女性はいなかった。アーサーよりも年下の子供はいたが、彼女達は女性ではなく少女という認識だった。
というよりエマさんは、女性というよりお姉さんみたいな感覚で話していたから全然意識していなかったな……とアーサーは耽ける。
その環境下で見知らぬ女性であり、同年代ときて、湖のような青さと冷たさを感じさせる女性と三拍がついてしまえばアーサーの思考は極度に低下し、すごく綺麗という言葉しか出なくなっていた。
それと同時に自分の身なりの悪さを呪う。
最後に頭を洗ったのはいつか忘れたくらいに燻んだ金髪に、緑碧の瞳。
そしていつ洗濯をしたのかわからないくらいに泥臭く汚らしい服、その貧困丸出しの青年がギルド内にいる。側から見れば物乞いに見えてしまいかねない姿だ。
冒険者と登録したはずなのに防具がなく、こなした仕事は牛飼いと、スライムの撤去、搬送といういわゆる雑務ばかり。
同じ冒険者であれど、その差は歴然だった。
「では……話を聞いていなかった貴殿のために簡潔に言わせてもらいます。冒険者アーサー。今から都市に私と来てください」
「え……どうしてでしょうか……?」
「都市に迫り来る暴竜の討伐をお願いしたいのです」
紺色の瞳がアーサーを映す。
その瞳に映る彼は……ひどく変な顔をしていた。
「はぁ……は? え!?」
「え!?」
素っ頓狂な声を出すアーサーと同時に、茶を持ってきたエマが同じ素っ頓狂な声を上げていた。
アーサーは顎が外れたかと思うくらいに開いた後、ハッとして頬を叩いた。
「いや、勇者ビビアン。それは無理です! 彼にはそんなことはできません!」
「しかし、彼はドラゴンキラーの子です。できないことはないと思いますが……」
「そういうわけじゃなくて……!」
エマの否定的意見を無視し、ビビアンはもう一度アーサーを見つめる。
彼は硬直した状態で微動だしていなかった。
「もちろん報酬を出します。金貨三百枚。それ以上が欲しいならば王に問い合わせます」
「……は!?」
アーサーの脳裏に浮かんだのは金貨の山だ。
きんいろにひかりかがやくさんびゃくまい。
金色にひかり輝く三びゃくまい。
三百枚である。
金貨が百枚積み上がった塔が三つできる。
普段、アーサーが一日に稼ぐことができる報酬は銅貨二十枚から二十二枚である。
毎日一日一食、日々飢えと戦いながら生活する彼にとって、ほんの少し前に受け取った銅貨八十枚ですら彼にとって幸せなものだった。
その日々の生活をしている彼にとって、金貨が三百枚とは法外な報酬だった。
「大金持ちじゃないですか!」
「そうだ。王は暴竜をそれほどに危険視している。是非討伐願いたい」
「な……」
ビビアンが頭を下げた。
エマは彼女が頭を下げたことに驚いた。
勇者とは冒険者の中の頂点に立つ存在。王にこれまでの成績を評され与えられた称号。つまり全ての冒険者の憧れである。
その勇者と呼ばれた彼女が、辺境の地にいる冒険者に頭を下げたのだ。
そして頭を下げられたアーサーは全力で両手を揺らしていた。
「いや! いやいやいやいやいやいやいやいや! 僕じゃ無理です! 僕じゃなくても、他にいい冒険者が……そうだ! ビビアン様がいるじゃないですか!」
「私では無理なのです……」
うめき声に近い声で彼女は答える。
アーサーは彼女の表情を見た。
その表情は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
「私は王から直々に勇者という称号を得た人物です。自分で言うのもアレですが、腕は立つと思っています。しかし私の力では竜の鱗には傷一つつかない……いや傷一つ付けるような力がないのです……」
「どうしてそれがわかるのでしょうか? 勇者ビビアン」
「ビビアンと呼んでくれても構わないです。私もエマ呼ぶので」
「わかりました。ビビアン。そして何故そのことがわかるのですか?」
ビビアンは懐から布に覆われた小皿程度の大きさのものを取り出すと布をめくり、包まれたものをアーサーとエマの前、机の上に乗せた。
それは、夜を切り取ったかのような黒く、宝石のような光沢を持つ板状の物がそこにあった。
「……これは……ウロコ?」
「暴竜の脱皮した時に剥がれ落ちたと思われる鱗です」
「……鱗」
アーサーは徐にその鱗を触れると彼の全身の毛が逆立てた。
その鱗はあまりにも硬く、冷たく、鋭利だ。そしてそれ以前にもその鱗に恐怖を感じ取った。
その鱗には擦れた傷も、欠けている様子も、無かった。
「私はこの鱗を断ち切ることができませんでした。この鱗には斬撃、打撃、突撃その他諸々の攻撃を与えても傷一つつかない代物です」
「……そんな」
「こんな悔しいことはありません。私のプライドがこの鱗一つで砕かれたのだから……勇者とはこの程度なのかと思いました」
「……」
「冒険者アーサー。貴殿にはこの鱗を切り落とす力があるのではないのですか?」
真っ直ぐに紺色の瞳がアーサーを見射る。
その瞳は必死だった。
「貴殿にできないなら、ドラゴンを殺す手段を教えてくれないか。頼む。私達の都市を守るために」
もう一度深くビビアンは頭を下げる。
だがそれでも、アーサーは縦に首を揺らすことはなかった。
「……ビビアン様。僕にはできません」
「……っ!」
ビビアンは顔を上げる。
アーサーは悲しそうな顔をしていた。
「何故ですか! 貴殿にはドラゴンキラーの父親がいたのでしょう!」
必死な声で訴えるビビアンに対し、彼は悲しそうな顔で俯いていた。
「たしかに親父はドラゴンキラーだったのでしょう」
「そうだ、だから……!」
「僕は、親父のことを、親父がドラゴンキラーだと信じていません。むしろ親父がドラゴンキラーと呼ばなければ、僕はこんな目にあう必要はなかったんです」
「……アーサー君」
エマは彼の姿に苦しそうな表情を浮かべた。
アーサーは唇を噛みしめる。
強く、血が出るくらいに強く噛んだ。
「僕は親父がドラゴンキラーと名乗っていたのを恥じています」
アーサーと、エマ、そしてビビアンがやってきたフィンバーグの草原には、フヨフヨと動いていたスライムが数匹自由気ままに移動していた。
そのスライムはアーサー達の膝小僧あたりまでの大きな球体で、意思を持って動いているのかなんなのかわからない存在だ。
「こんなところに連れてきて何をするのですか」
ビビアンは彼に尋ねる。
彼はビビアンに顔を向けず、他人事のように喋り始めた。
「僕は昔、親父が生きていた時に竜を殺した時の話を寝物語で聞かされていました。そして親父が死ぬ数年前に竜を殺したとされる技を教えてくれたんです」
「なら早く言わないか!」
ビビアンの表情が明るくなる。
「僕はその技を極めようと鍛錬をしました。僕も親父のようにドラゴンキラーとなれると思ったから……」
「……! つまりそれが……!」
「ですが、そんなものはまやかしだった」
アーサーはビビアンの言葉を遮るように冷たく口早に答える。
「親父は口癖のように言っていました。人を守るために剣を持て。強大な者から守るために剣を持て。人を救うために剣を持てと」
そしてアーサーは腰に携えていた剣を引き抜いた。
その剣は光沢はなく、ボロボロになっている。刃こぼれもしており、爪痕らしき深い傷が剣の根元に一本存在していた。
「これが、親父から教えてもらった竜殺しの技です」
そしてアーサーは腰を深く下げると抜き身の刀を引き、構えた。
狙う先はスライム。
アーサーは体に力を溜め、そして力をためたバネのように前進した。
そして逆袈裟斬りの形で、振り上げた剣は鋭い一撃となってスライムへと打ち込まれ、剣は振り抜かれた。
剣から発せられた一撃はスライムを捉える。
しかし、スライムは切り傷がついただけで消滅することはなかった。
その光景を作り出したアーサーはビビアン達に顔を向けなかった。
「……これがドラゴンキラーと名乗っていた親父の息子です。これがドラゴンキラーと名乗っていた者が使っていた技です」
「……アーサー君……」
「変な期待をさせてしまい本当に申し訳ありませんでした。僕には、貴方の力にはなれません」
そう言ってアーサーは納刀し踵を返すと、ビビアンに顔を見せず頭を深く深く下げた。
「……」
「……」
しばらくの間が空いた。
アーサーはそのしばらくの間ずっと顔をあげず、ただただ頭を下げていた。
「……失望しました」
「……」
ビビアンは最初のような静かに冷たい声音に戻し、その場を去っていく。
「……」
エマはアーサーの下げた頭を見つめていた。
アーサーの頭はビビアンの姿が見えなくなるまで上がることはなかった。