11-3,奴隷が正義を語る姿は滑稽で
マントの男が私に背を向け一歩目を踏みだしたその瞬間、反対方向へと走りだしていた。まだ人々の起床には少しだけ早いだろうか。動の気配がない。でも、もう少し、もう少し経てば町の住人達は火を焚いて湯を沸かし、豚や鶏に餌をやるために外に出るだろう。私は今私を奴隷だと証明する唯一の物体である首輪が外されている。この状況を考えれば逆に人間様の目があった方が私に有利だ。ナイフで殺そうと追いかける男と虚弱な少女である私なら。しかし、この町が小さいことと、彼がこの町の住人であるということがどちらに有利に転ぶかは、彼の人づきあいを知らないため判断が付かない。
私は重たい荷物を肩から落とした。中身が割れる音がした。潰れる音もした。
アルマがナイフを手にしたままこちらを振り返ろうと首を動かしたその瞬間、私は走りだしていた。来た道を戻るように小さな町の中心部を目指して。
「止まれよ。大丈夫だから」
彼は私の背中をめがけてそう言った。その声が焦っているようにも怒っているようにも感じず、もしも私が奴隷を経験していないまま育った人間であったら彼を信頼し言われるがままに脚を止めていたように思う。
信じて甘えて夢見る奴隷は愚かであることを私は知っている。止まるな。他者を利用して己を冒涜してはいけない。私は呼吸をする生ごみなのだから。
私は走った。まるで土をえぐるように、まるで風を脅すように。いざとなれば畑を踏み荒す覚悟も豚を蹴飛ばす覚悟もあった。けれど私はストリートチルドレンを出身とする奴隷ではないから効率の良い逃亡の仕方など知らず、見当たった角を全て曲がり進みたい方向すら分からず走ることとなった。
後ろを確認する余裕などなかった。けれど背後から、いや、私の背中にぴったりと殺意のこもった鈍い足音と音も温度もない吐息がくっついて、張り付いて、へばりついて。べちゃって。
人間だった時代の私の記憶では男の子だろうと女の子だろうと足が速い子は早かったし遅い子は遅かった。私はクラスで真ん中よりは早いけれどかけっこで目立ったことはない子だった。けれど、この歳になってみすぼらしい筋肉となった女の私は、やはり男よりもノロマなのだろうか。わからない。人間の男というのはどのくらいの速さで走り、殺人鬼はどのくらいの速さで走るのだろう。
カーテンが開く音が聞こえた。煙突から柔らかい湯気が上がった。私の目の前は行き止まり。だって私はこの町を知らないのだもの。
私は敗北者となり獣のようにサキカにとびかかり彼女を殺そうとして撃たれた自らを思い出した。格好が悪い。間抜けだ。思考を手放しちゃいけない。
だって恥ずかしいでしょ。私は観念したように微笑んで後ろを振り返った。
摂取した水分をだらだらと流し折角洗った髪を乱した私は、無人の空間に対して勝手に微笑んでいた。
大丈夫だからと言った彼は本当に私を追いかけてなどいなかったのかもしれない。最初から。
背中にへばりついた不気味な気配は「ざんねんでした」とあっかんべーをして消えてしまった。




