10-8,嘘吐きと泥棒
家畜小屋の用具入れの隅に落ちたまま放置された雑巾のような感触の肌は今、潤いの皮に包まれて鈍い光を受け取って反射させている。服はサイズは合わずとも清潔感のあるものに身を包んでいる。この頭部と胴体の2つを繋ぎとめるこの首輪さえなければ私は貧困層の人間の少女が一時的な背伸びをさせてもらっているように見えるかもしれない。
アルがこの奴隷の象徴に気がついて居ないはずはない。だって私にはその太い金属の輪っかを隠す手段も壊す策を捻りだす脳も所有していない。
もしかしたら彼は暗闇の中私と出会ったの時、首輪は見えず、不幸な人間を拾ったと思ったのかもしれない。私の正体が奴隷であると気が付いたのは灯りのあるこの家に到着してからだったのかもしれない。森を抜けるとはそう遠くない土地にあの処理場があるのだから、この田舎町にも奴隷の流通を知らないはずはないだろう。いや、世間というものを知らない私が推測をたてること自体間抜けか。
テーブルの上に置かれた新聞、入浴前には落ちそうな程端にあったが、今それは天井を向いて居る面は変わらずに少しだけ奥に置かれている。落下を防ぐために移動させた? いいえ。残念なことに揃っていたはずの角が揃っていない。彼は確実に新聞に目を通している。
さて、どうしようか。私は、エンドである。
アルは自らが使ったカップを片付け、戸棚の中から林檎を取り出すと器用にナイフで剥いて塩水につけている。小さなかけらを1つ、つまみ食いした。私の存在に緊張などしていないのだろうか。そして同じく戸棚から砥石と思われるものを出した時、小さく声を出してこちらを見た。
私は刃物に思考を傾けたことによって私がこの部屋にいるということを思い出したのではないかと感じたがどうやら違うらしい。彼は「ついて来いよ。怖いことは何にもしないから」とあのベッドの横にある扉へと誘導した。その際に彼は「首輪を外したいんだろう?」と言ってきたため、思わず殺意を沸かせてしまった。嘘の言葉とあらゆる動作や表情で包み隠したはずの思考を読まれたことへの不気味さだろうか、それとも正体がバレたことへの恐怖だろうか。とにかく自己防衛本能が牙を向けている。
「大丈夫だよ。心配するなよ。俺はお前に危害を与えないし、お前に危険が及ぶ可能性があることだってしない。そして、お前が拒絶をしたら、俺はそれを否定しない。約束するよ」
私はあなたを殺したくはない。しかし私はちょっと足がくしゃみをして歩幅がずれただけで、自分にも他者にも殺意を抱けるほどに不安定な狂気を持っているから、どうか黙って。その善意のこもった喋りで私を不安にさせないで。私のために利用価値のある人間のままでいて。
扉の先にあったのは、小さな小さなアトリエ。壁には大量のキャンバスが無造作に立てかけられ、画用紙は床のそこら中に落ちている。その壁や床そのものもパレットにしているのかそれとも作品にしているのか筆で何重にも色が押し付けられていて、天井近くの壁やドア付近の床を見て、初めて元々の素材の色がわかった。
あぁ、この部屋なら首輪をきれるものも見つかりそうかもしれない。石膏で作られた幼女の頭部が床に転がっている。大理石を削って出来た天使には足が片方ない。心臓から花を咲かせ実をならしているこの作品は、後ろを見ると大きな木の幹の姿が丸わかりだ。




