10-4,嘘吐きと泥棒
1人用のソファに腰かけて大人しくしているなんて、難しいことだった。厚切りのベーコンが自身の持つ油を垂らしたり散らしたりしながらこんがりと焼かれていく香り、あっという間に生活感のない寒々しい部屋に革命が起こった。もう生焼けであってもそれを口に突っ込みたかったし、フライパンに肉汁の一滴も残さず私に恵んでほしかった。私は物欲しそうにキッチンを見つめてしまう自分を殺し、そわそわと動いてしまう足を腕で押さえつけ、必死になって大人しくしていた。椅子に座ってすぐに差し出された温かいミルクを、彼が背中を向けた瞬間にすぐに飲み干してしまったことを私はこっそりと隠している。
「ほら、先にこれ食べてろよ」
そう言って彼は私の拳ほどの大きさしかない小さくて真っ赤な林檎を手渡してくれた。
前述したとおり、この家は生活感がない。このマグカップだって戸棚にキチンとしまわれていた物を布巾で拭ってから使用されているし、ブラウンのテーブルクロスも引き出しから取り出されたばかりの清潔なものだ。鍋も食器も最低限にしか用意されておらず、部屋全体を見ても明らかに物が少ない。キッチンがあり、テーブルとソファがあって、その奥にはシーツがピンと伸びたベッドがある。私の視界に入るこの部屋の世界観はそれだけだ。生活感もなければ、ほこりもなく、また茶色や黒と白を基調としていて色も少なく、それらがランプの柔らかい光にぼんやりと映し出されて心地が良かった。酸素が楽に喉を通ってくれる。
「ほら、遠慮しないで食べな」
彼はそう言って厚切りのベーコンと黄身のとろける目玉焼きを2つ、きつね色のトーストにトマトとレタスのサラダ、そしてバターの香りのするスープをテーブルに置いてくれた。空になった私のマグカップにホットミルクのお代わりを注いでくれる。
私は叫ぶように大きな声でお礼を言ってしまいそうになるのをぐっとこらえて、小さな声で上目遣いにお礼を言った。彼は何も言わずに私の皮脂でベタベタでたくさんの束で構成された髪に躊躇なく大きな手を乗っけ軽く撫でた。
彼は真っ白なタオルを私に差し出すと、ベッドの奥にあるドアの先へと消えてしまった。気を遣ってくれたのだろうか。
最初にスープを味わうべきなのだろうか。私はベーコンに被りついた。高温の肉汁があふれ出し、痛い。嬉しかった。口の端から流れ出てしまう汁を私はべろを伸ばして舐める。甘い。
味も食感も温度も栄養も全てが肉体に吸収されていく感覚が確かにあった。砂糖水を垂らされた砂漠とはこう言う気分なのだろうか。どうか便や尿にならず、永遠に私の体内で働いていてほしい。
完食するのにどのくらいの時間が必要だっただろうか。私は朝目を開けたら寝転がっていたという様に、皿の上に物がなくなって初めて完食してしまったことに気が付いた。他者に見せることの出来ない、生き物を食い殺す獣がこの部屋に一匹いたのだろう。
さて、彼を追いかけるべきだろうか。それとも動かずにここに居るべきだろうか。




