9-4,奴隷は何も選べない
仮面をかぶっているため、彼女の表情を私は見ることが出来ない。しかし彼女はまるで絶滅危惧種である自ら仲間をようやく見つけたかのように、感動や嬉しさのこもった声でそう言ったのだ。
そんな彼女に対して私は目の前に垂れてくる蜘蛛の巣を払うかのように疑問をぶつけてしまった。
「あなたはこの森から出たことはないのですか? あなたは誰かに命じれてこの森に居て、誰かの許しがなければここを去ることは出来ないのですか?」
もしも私がまだあの性商売小屋にいたのなら、私はこの仮面の女をいかに都合よく有効に活用出来るかをその汚い脳みそで考えていたと思うのだが、酷く疲れ切っていて心臓を燃やす炎も消えてしまいそうな私は頭に浮かんだことを全て口に出してしまう。それも顔を持ち上げることすら出来ておらず呼吸も整う気配がないというのに、強く冷たい口調で。
彼女は明るいその様子を崩さず、しかし気高さを保ったまま答えた。
「この森で暮らすようになったのは5,6年前よ。私は人間と一緒に暮らしていたのよ。奴隷文化とは無縁の豊かな土地で。もっとも私の母や年の離れた兄姉達は世界中を旅していたらしいけれどね」
彼女は続きを話そうと口を開いたのだが、私がそれを遮って質問してしまった。
「自分の意志でこの森に?」
「いいえ。使命を与えられたからよ。その役割を全うするために私はもう何年もこの森で孤独に歌っているの。人里から離れて人のちっぽけな願いすら耳に入らない生活の中、私がすることは歌うことか踊ることくらいしかないのよ。ここはあまりにも退屈だから」
随分と幸せな自称奴隷がいたものだ。
「その使命を果たすまで昔もこれからもあなたはずっとここに? それは現実的ではありませんわ。私はこの森の中を当然歩いてきましたが、動物も虫も鳥も、たったの一匹もいませんでした。確かにこの森は不思議な森ですが自給自足に向いているとはとても思えません」
彼女は前触れもなく突然立ち上がった。私は思わずすくみ上ってしまった。私の体はかたかたと震えている。しかし、彼女は私の動揺や恐怖など興味もないのか気が付きもしないのか、こちらなど見ていない。
「もともとは動物も虫も鳥もたくさんいたのよ。けれど皆逃げていったわ。私が怖いから。この森に残っているのは地面に脚を括り付けられて自分で生きる場所を決めることが出来ない木や花達だけよ」
彼女は私に立ち上がるように促した。しかし私は脚に力が全く入らず、数十秒間懸命に筋肉に縮むよう命令し続けたが、それが叶わなかった。その様子を見て「いいわ」と一言言うと、彼女は近くの木から長い枝を一本折って取ってきた。その枝は勿論ガラスのように透明であり、折るときに砕けるような悲痛な音が鳴るのではないかと思ったが、この閑寂の森でないと聞こえないようなとても軽い音がほんの少し鳴っただけだった。
彼女はその美しく透明に輝く枝を私の掌に乗せた。
「断面を覗いてごらんなさい」
言われた通りに断面を覗いてみた。私は声も出さずに驚いた。木の枝の中は大きな空洞になっていて、空洞を囲む外側の水晶のような素材は紙程の厚さしかないのだ。つまり、空っぽなのだ。
「つまんでいる指に力を入れてみなさい」
私は当然躊躇した。しかし、「いいから」と言った彼女の声が低く冷たかったため力を入れた。まるで紙に皺を作るかのように、いとも簡単に枝は粉々になって私の腿の上に落ちた。
彼女は先程枝を折った木に近づくと今度は幹に手をついた。そしてその指をゆっくりと曲げていった。幹はまるで小さな小さな鈴が鳴っているかのような音を立て、簡単に、簡単に、見事にえぐられた。やはりその幹も大きな空洞を透明な膜が包んでいるだけだった。
お腹をえぐり取られた木はからんころん、ちりん、りりり、と音を奏でて地面へと倒れた。幹や枝や葉が、己同士や地面とぶつかって、私はガラスの砂を頭から浴びたようになった。
確かに立派な大樹というわけではなかった。しかし痩せ細った木でもない。しかしその近くにいた私は地響きも風圧も、何も感じなかった。
「この森、美しいでしょう?」
私は無言で頷いた。
「甘やかされずに厳しい環境で育った作物は甘いって知ってるかしら? あら知らないの? 水をあんまり与えらえなかったり極寒の地で農業をすると、作物自身が生命力を高めるために栄養をたくさん蓄えて、その結果甘くなるの。それと一緒ね。死にたくないって、生きていたいって、懸命になっている木々や草花、その姿がそのままその形だけ時間を止めたかのように残っているの。命の炎を最大限に燃やしている一番美しい瞬間なのよ」




