9-1,奴隷は何も選べない
青々とした森は何も音がなかった。高齢であろう太い立派な木の幹からは立派な枝が生え、そこには若い葉っぱ達が生き生きと茂る。まるで今朝花びらを開いたのだと歌いそうな花々が太陽が隠れているであろう雲に顔を向けて、まるで吐瀉物のような私になど目もくれない。
しかし、違和感を抱くほどに、不思議とその森には一切の音がなかった。風がないため葉も草も微塵も揺れず、詩人ならば自然賛美の詩を詠まずにはいられないであろう素晴らしい景色だというのに、虫も動物も一匹たりとも見当たらない。時間が止まった世界を、この世でたったの1人で歩いている気分だった。私はこの森で唯一音を産んでしまう存在であり、私のたてる足音が文字となって色となって、視覚に映し出されそうだった。
私がこの森にたどり着いてから数十分が経った。まるで広大な砂漠のように地平線まで広がる赤黒い土に出来た可憐な花の道、その花々を辿って数時間走っては歩き、歩いては走りを繰り返し、ようやくこの森を見つけた。しかし不親切にもその道は森まで案内したならば役目は終えたとでもいう様に、砕けて光る砂となり、やがて今まで見えていたものは全て嘘であったかのように完全に消えてしまった。振り返っても、見回しても、目を凝らしてもどこにも花の道などない。嘲笑が聞こえるような気がした。
ぼやけていた私の体の輪郭もはっきりとした。私を追いかけている者は誰もいない。私は森に脚を踏み入れた。
広い森をひたすら彷徨っていた。数回、ジグの息子の顔が頭に浮かんだ。と言っても顔はわからず、その小さな姿と曲がった首ばかりが思い出される。あの時、彼が建物に入って行くところを見なければ、おそらく私は人間社会でもゴミ人間はいるのだと、彼らに制裁と駆除のギロチンが降ろされたことに口角を上げていたと思う。
でも命を救う気などさらさらない容赦を忘れたあの爆発の中に、私に何一つの危害も加えていない幼い子が居たと思うと、罪悪感にすら襲われそうになる。気を抜けば、だけれども。気を張っている時間はいつの時代も私は自己弁護に必死で「あなたはとっても優しいけれど無駄に傷つこうとしなくていいよ」って声が聞こえてくる。だって所詮奴隷である私に、人間様のために何が出来るというのだろう。
でも、悲しいことに、所詮呼吸をする生ごみである私達奴隷にたった一欠片の期待もしていないと人間様は言いながら、彼らの危機を目の前で見て手を差し伸べなければ酷く私達を罵倒するのだろう。いや、手を差し伸べても感謝すらされず殴られて壁にぶつかるのだろうが。
私達はどこまでも都合よい存在でいなくてはならないのだ。
私は弾ける生命力と死んだような静けさを共存させる森の中をひたすら歩くしかなかった。もう、後戻りは出来ないのだ。
歩いているというよりは、倒れそうになるところを足を踏みだしとどまっているという方が正しい状態が続き、骨にも筋力にも限界を感じた頃、私はようやく異変に気が付いた。自分を取り囲む木々が徐々に色を無くしているのだ。
色を無くすというのは白くなるということ? 違う。黒くなるということ? 違う。木が、草が、花が、空気や水に近い色に脚を進める度に変化しているのだ。生命力や形をそのままに、蛇口をひねって色素だけ流し出したかのような。
そして私は、次の瞬間、自分の目指していた場所が間違ってはいなかったことを確信した。




