6-4,それは許されるはずもなく
豚小屋へと鎖を引っ張られながら帰る際に、やたらとサキカと目が合うなとは思っていた。
サキカは見た目に恵まれているとはあまり思えない奴隷だ。若さと女性らしさを感じないミイラのような体であることは奴隷であれば当然であり共通していることではあるのだが、それでもエンドはくっきりとした幅の広い二重の中に沈む大きな瞳を持っているし、トルパは長い首や通った鼻筋など恵まれた骨格を持っている。
しかしサキカは目や鼻は小さく、着飾ることは出来ないため彼女の地味さは際立っているように感じる。それをカバーするかのように、サキカは誰よりも話術に長けている。子どもっぽさを演出したいサヤが自分の話したいことを元気に自由に話すのとは違い、サキカは人の話を軸として土台を作り上げる。相手の話題を尊重しているとでも言えばいいだろうか。
豚小屋に到着するほんの少し前、またサキカと目があった。
「今日はなんだか、よく目があっちゃうね」
サキカはそう言って笑った。失態を犯している私としてはこうやってサキカが自ら口を開いてくれることは安心できる。
「そうだね。でも私はちょっと嬉しいかなって」
私もそう答えた。
鎖をひく男は今日は朝から機嫌が悪そうだった。舌打ちの回数も多かった。その為か彼は凄まじい程強い力でサキカの首に繋がっている鎖を、彼女の胴体を振り回すかのように引っ張った。質量の少ないすっからかんな空っぽな、とっても軽いサキカは簡単に浮き上がり壁に叩きつけられた。大した音はならなかったが、サキカはせき込みうずくまり、しばらくは立てなかった。男が鎖を引っ張り引きずって歩こうとしたためサヤとシェルが抱えるようにして彼女を運んだ。
私は何もされなかった。私は首が絞まり死にかけることもなく、サキカを見ていた。
豚小屋に私達の鎖を固定し終わり、男は部屋を出て行こうとしたが立ち止まった。奥にいる若い男から書類を受け取っている。そして一枚の紙を私達奴隷に見せてきた。
珍しい光景ではない。その紙は私達奴隷が客人1人1人の記録を残す報告書だ。文字が読めない奴隷がほとんどであるため該当する項目にチェックをつけるだけの物だが、その紙の最後には特筆事項を書くスペースがあり、文字で表現出来る者は項目外の情報を書き込むのだが、それが出来ない物は印をつけるのだ。するとタイミングが決まっているわけでは無いが人間様が内容を聞き代筆をしてくださるのだ。己の筆記技術の範囲を超えている内容であるときにもそこに印をつける。
この「特筆事項」はとても厄介な存在だ。人間様が望む情報を伝えなかった場合は命の危険にさらされるというのに、人間様が求めない情報をわざわざ印をつけて伝えてしまってもまた危険な目に合うのだ。
まるで少ない酸素を分け合っているかのように奴隷達は皆呼吸を止めている。以前サヤの特筆事項がふさわしくないとして、私達はサヤの背中や顔を踏みつけるように命令されたのだ。今日この男の機嫌が悪いため、私も他の皆も良い予感はしていなかった。
「特筆事項、無駄のないように言え」
そう命令されたのはサキカだった。
サキカは大きな声で、聞き取りやすいはっきりとした声で、ほこりまみれの天井を貫くような声で、言った。
「私は人間として生まれ、おそらく、ですが、5歳の時に母親が父親を裏切ったことをきっかけに、人間を手放し奴隷となりました」
私カラは人間だった時代に、私は星空というものを一度だけ見たことがあった。その日は死亡者を報告する放送が数時間おきに流れるほどに凄まじく強い風が町中を覆っていた。雷がけたたましい音をたてて落ちたかと思えば隣の家の屋根の一部が剥がれ窓ガラスを粉砕した。木にぶら下がっていたブランコは紐が切れて柵に引っかかって雨の道を作り、庭の隅に作った私の秘密基地は土に埋まって中に死体でも埋まっているかのような見た目になってしまった。
しかし嵐が去り静かになった夜、町中の人々がその歓声を聞いて次々に外へと飛び出し星空を見上げたのだ。私もチェロを抱いて父と母につれられ庭に出た。
発展の代償に月や太陽を隠してしまった穢れた空気、それは強風によって遠くへ流れ、あるいは雨で下に落ち、私はその時初めて自分の上空には見えていなかっただけでたくさんの星々が生きていたのだと知った。月の形をはっきりと見たのは初めてだった。
「ギバウスムーンかな?」
母が言った。
丸さの足りていない中途半端な形の月、それには名称があるようだ。絵本でよく見る満月や三日月と比べると不格好なように思えた。でもあの月は暗い煙に再びこの町が包まれても穢れなき綺麗な宙で消えては再生することを繰り返すのだろう。
明るい夜だった。夜空に無限に粒たちが光り輝いているのは夢のような幻想的な光景で、現実に佇んでいる気はしなかった。
聞いたことがある。月は神様が育てた果実であり、星は月の種であると。私達はあの時神様の神聖なるお庭を下からのぞいていたのだ。
「もしもお星さまが1つだけ降ってきたらルイにあげるのになあ。髪留めにでもしたら似合いそうだ」
父はそう言って短く三つ編みにしている私の髪を撫でた。
「もしも落っこちて来たらちゃんと返さなきゃ駄目だよ。神様のものなんだから私達人間が身に着けていたら怒られちゃうよ」
私は父に答えた。父も母も「ルイは本当に真面目ね」と笑っていた。
豚小屋の中、張り詰めた空気、私の心臓は今制裁の時を待っている。喉の下に落ちる唾液に内臓の一部が混ざっているような感覚があった。冷や汗はどうして私の穢れを落としてくれないのだろう。どうして私をもっと綺麗な存在にしてくれないのだろう。私の体内から流れ出るものであるから、仕方ないのだけれど。
正直者が馬鹿を見るのがこの世界であると私はずっと思っていた。純粋さを捨てなければ生き残れない。自分を偽り、自身を騙し、笑っていなければ明日がない。それを早くから知り見事手なずけて見せた私は醜い優越感を持ち、懸命にそれを育ててしまった。優越感は私に優しかった。それは私を慰め励まし、時には私を優しくさせた。
でも、私の偽りはいつだって自分を守るための物だ。誰かの幸せのためではない。誰かの利益にはならない。罪が発覚した間抜けは裁かれて当然なのだ。
男が心底苛立った顔で舌打ちを何度もし、きつくサキカを睨みつけた。
「それがなんだ。無駄なく話せと言っただろう。俺は今お前のためにわざわざ時間を割いているんだ」
サキカは私の方を一瞬だけみた。私の目も心臓も脳みそも、恐怖に捉えられているせいだろうか、キャベツに卵を植え付ける汚い虫のような私とは対照的に、彼女は今まで見て来たどんな彼女よりも美しかった。
サキカは私を裁いた。
「現在名乗っているサキカという名は奴隷になってからオーナーからいただいたものであり、私は人間の時代カラと名乗っておりました。贔屓にしてくださっている貴族の紳士が探していたカラという奴隷は私のことだと思います」
サキカは折りたたんでいた指を広げ人間様に掲げた。彼女の手の中には私が紳士から受け取ったラベンダー色のネックレスが収まっている。
「このネックレスの裏をご覧ください」




