5-10,1つ目の回避
私はカリンお嬢さまの自室へと運ばれた。紳士はゲストルームに運ぼうとしたがお嬢様が「近いしすぐにベッドで横になれますわ」と誘導したのだ。
大きなベッドだった。豚小屋にこれを一つ置いたらほかには何も置けそうにないというくらいの大きさがあったが、部屋そのものが大きいため圧迫感や迫力は何もなく、どちらかといえば物の少ない開放感のある部屋だった。車いすでの移動を楽にするためだろうか。
大きな窓、ラックを埋め尽くす写真達。壁には大量の本。絵を描くことが好きなのだろうか。部屋の隅にはキャンバスがあり林檎のように頬を赤くした子どもがこちらに向かって手を伸ばしている。
紳士にベッドに腰かけさせられても、お嬢様にブランケットをかけてもらっても、私の涙は止まっていなかった。まるで理由もなく、ただ体の水分調整のために涙を流しているのではないかというくらい、自分でも訳が分からなかった。
元人間の奴隷は上手だけれど弱い。私はいまこの善良な兄妹に撃ち殺されたって不思議ではない。きっと私はいま奇声を上げず、静かに発狂しているのだ。
私はホットミルクを受け取るとそれを舌に流した。甘かった。今日は甘いものばかり口にしている。このホットミルクが私が生涯で飲むことのできる最後の温かい飲み物であるという覚悟をして味わわなくてはいけないのだ。身に余る死ぬまで忘れることのできない光栄として記憶しなくてはならないのだ。甘い。甘い。砂糖の味で脳がしびれる。甘味は麻薬だ。私はまだこの兄妹に優しくされ続けることを望んでいる。
ミルクを飲み終えると隣に座っていたお嬢様が私の肩を引っ張り、自らの太ももに私の頭を導いた。これは、膝枕というやつだ。すぐ上に彼女の大きな瞳があって、その薄い瞼に彼女の瞳と一緒に閉じ込められてしまいそうだった。息が、血液が、時間が、全て止まった気がしてしまう。
私が自らの恥に気が付く前にお嬢様が言った。
「毎日つらいねえ」
こくり、と。私はついうなづいてしまった。
「いつもお腹空かせていたよね」
うん。
「寒かったよね」
寒かった。冷たかった。指の感覚がなかった。
「痛いこともたくさんあったよね」
彼女が私の首から顎にかけて出来た傷を指でなぞった。そう、痛かった。痛くても笑った。痛くても困ったように首を傾げた。痛くて泣いて叫んでも行為が終わるころには「また来てくださいますか?」と哀願して見せた。内心いつも「死ね」と思っていた。馬車にひかれて死ね。病気で死んでしまえ。長い時間もがき苦しんで苦しんで命乞いしてから首を踏みつけられて殺されろ、と。
「偉かったね、カラちゃん。頑張ったね、辛かったね。私や兄様じゃ到底わからない地獄だよね。生きているカラちゃんに出会えたことが奇跡に思えてきたよ。可哀想なあなたはこんなにぼろぼろだもの。私よりもまだまだ子どもなあなたが、私より大人びた顔をして、頑張って頑張って私と一緒に居てくれたんだね。ここに来てくれたんだね」
神様、どうしてあなた様は急に奴隷風情に憐れみと慈しみをお与えくださったのですか?神様は私の罪をご存知でしょう?私の贖罪はもう済んだのでしょうか? 私はもう許されたのでしょうか。




