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君は奴隷でぼろぼろで  作者: なみだぼたる
第1幕 奴隷は愚かで強欲で
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5-7,1つ目の回避

 私はとうとう紳士の家へと到着してしまった。着飾った私は今自らの体が沈んでしまうほど柔らかいソファに腰かけている。ぴかぴかに磨かれた窓にも、鏡にも、ピアノにも、私の姿が映っていた。


 煌びやかな服が並ぶ店に入った私はすぐさまVIP専用のシャワールームへと通された。女性店員は丁寧に私の服を脱がしたが来店時から一切変わらない笑顔は非常に不気味であった。その整った顔面で作る笑顔の対象が奴隷であれば当然のことか。


 裸体を見られることは慣れているというのに、私はあざの一つもない顔に完璧なメイクがほどこされた彼女に体を綺麗に洗ってもらうことが恥ずかしくてたまらなかった。ふわふわのスポンジも苺の香りがする石鹸も入浴後の甘い香りのオイルも、自分を惨めにさせた。痩せこけた体に消えない痕が大量についた肌、潤いがなくチクチクと肩を痒くする髪。これだけ時間をかけて高級な品で磨いてもらっても自分は何と醜いのだろう。


 そんな私は今、紳士が戻ってくるのを一人で狭い部屋で待っている。髪は薔薇の刺繍が入った白いリボンで結んでもらった。店内ですっかり固まってしまって服を選べない私に対し、紳士が薦めたのは背中に大きなリボンのついたワンピースだった。肌を隠した方が良いと判断されたのか裾は足首まである長袖のもので、下から上に向かって暗い紺色から純白へのグラデーションになっている。靴下も革靴も買ってもらえた。金額を見ることはかなわなかった。でも、どうせ、見たってわからない。


「せめてアクセサリーは自分で選んでほしい」


 そう言われて私はラベンダー色のドロップ型のネックレスを選んだ。「センスがいい」と褒められたがちっとも嬉しくはなれなかった。


 緊張からかティーカップを持ったまま私はソファに埋もれて固まっている。ソーサーに降ろすことすらなぜか出来ず、喉も口内もからからに乾いているというのにカップを唇に押し当てているだけで中の紅茶は全然減っていない。


 紳士は人を呼んでくると告げ、去ってしまった。誰が来るかはわかっている。妹だろう。途中、上品なエプロンドレスを着た女性が紅茶のお代わりを尋ねて来た。品定めをするような顔つきを誤魔化すように微笑んでいるように見える。今の私の格好は着色した食用豚とか、生ごみで作るクリスマスツリーのように気味が悪いのだろう。私だって今の私の格好を生理的に受け付けられない。


「もうじきいらっしゃいますからね」


 そう言って、メイドさんだろうか、いかにも教養のありそうな彼女は奴隷に恭しく頭を下げ部屋を出て行った。


 そして、彼は来た。そして、彼女は来た。


 彼は言う。


「待たせてごめんね。途中仕事の電話がかかってきてしまってね」


 でも私の目は彼女に釘付けだった。


 誰も踏んでいない清らかな雪の上に薔薇の花びらを落としたような、そんなイメージをさせる可憐では儚げなレディが私の前に現れた。毛先まで潤いのある色素の薄い髪に血色の良い頬、人間を恐れたことなどないかのような屈託ない微笑み。私より随分と大人に見えたが絵本に出てくるお姫様のような女性だった。


 でも、彼女は車いすに乗っている。


 いつも仕事をしている時、客人を迎え入れる際は必ず立つことを命じられている。肩で息を吸い紅茶を手の甲に跳ねさせながら震える手でカップをテーブルの上に置いて更にソーサーの上に置きなおした。座っていることが失礼だと思い焦って裾を革靴で踏んでしまった。


 紳士よりも先に、レディは私を制止した。


「そのままで。立ってしまったら目を合わせることがお互いに大変でしょう?」


 この兄にしてこの妹あり。この兄妹は確かに同じ血を持ち、同じ環境で育っている。


 レディが私に握手を求めてきた。多くの男性器を掴んだ手でその清らかな薄くピンクに色づいたその手に触れるなんて、なんと恐ろしいことだろう。排泄物と令嬢が握手なんて夢の中でもしてはいけない気がした。けれど清らかな中で育った彼女はその想像力さえも美しいのか、何一つの疑いや嫌悪を持つこともなく両手で私の手を包み込んだ。


 ヘリオトロープの香り、お人形さんのように長い睫毛に熟した唇。私の命が果てるその時、このレディのように麗しい天使が迎えに来てはくれないだろうか。地獄で業火にぽいされる私を見届けてはくれないだろうか。


 もう私は自分が人間生まれであったと思うことをやめたかった。人間時代に名前を失い死亡した私にこれ以上恥をかかせたくなかった。


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