5-4,1つ目の回避
「カラちゃん、君に僕と一緒に来てもらいたい場所があるんだ」
紳士は部屋に入ってきて早々私に言ってきた。
私の体は急激に熱くなった。甘美に煮込まれ気持ちよく酔っぱらっていた私の脳みそは覚醒していく。とうとうだ。その時が近づいているのだ。私が自ら死を選ぶ未来を回避するための、預言者の愛する人物を私と一緒に死なせないための、あの約束を守る時が。1年後運命が大きく変わった先で、私が命をかけたいと思うまで愛しい人と私が死なずに、ずっと一緒に居るために。
失敗は出来ない。私は首を傾げながら彼にベッドに腰かけるように促した。
「私は、きっと、多分、あなたとだったらどこへだって行きたいですけれど。あなたは怖いところに私を連れていったりはしないでしょうけれど、でも私はここを出ることが叶いませんから。どこへだっていけないのですよ」
考えの軽い、簡単に食いつく女はすぐに飽きられる。鈍感で大人しいけれど、臆病であるだけで決して馬鹿でないというくらいがちょうどいい。馬鹿な受け答えやふるまいはタイミングを間違えていないと確信しているときにしか使えないため逆に難しい。
紳士は鞄の中から魔法瓶やらティーポットやらを取り出し始めた。お花の香りがする。懐かしさを微塵も感じさせないところが実に有意義な時間に思えた。
「はい。ローズヒップティーっていって薔薇のお茶なんだって。僕の妹がやたらと気に入っててお勧めを聞いてみたんだ」
あの美しい花を代表する、しかも高価である薔薇を視覚で楽しまず飲み物にしてしまうという贅沢さ。これが貴族という者か。私達は精液を洗い流す少し濁りのある水道水で水分補給までしているというのに。
彼は話の続きを始めた。
「大丈夫だよ、カラちゃん。ここのお店のオーナーに頼んでマスターに許可を貰ったんだ。寮生の外出許可みたいな感じかな? 勿論約束事も多かったけれど良心的な主人だね。いつも贔屓にしていただいているお礼ですと言ってくださったよ。気の合う話題も多くて今度酒でも一杯飲もうなんてことになった」
男だろうと女だろうと誰であったって大貴族の紳士からは気にいられたいに決まっている。最大級のもてなしと気遣いを当然のように受けてきて、彼にとってはそれが普通なのかもしれない。マスターはおそらく既にどう利益に結びつけているか考えているだろう。
「良かったよ。ずっと探していたカラちゃんが酷い環境の中生活していなくて。良いマスターに買ってもらえていて安心した。彼の元なら安心できる」
優しくされ続け意地悪の1つも受けずに大人になったら、こう言う人間になるということが思い知らされた。私は今まで一切れのパンのためにどれだけ歯を食いしばり死んだ心にそっぽ向いて来たというのだろう。心なんてあったら心臓が死んでしまう状況なんて貴族にわかるわけがないのだ。彼はきっと私は毎日質素な食事を取り毎晩ベッドで眠っていると思っている。
私は両目から一粒ずつだけ涙を流し、彼の服を少しだけ掴んだ。そして指を下に向かって滑らせながら離す。
「ごめんなさい。つい、」
嬉しくて、と私は言った。
彼は結局私の服がシミもなければ破れてもいないことに気が付いてはくれずに帰って行った。有名ブランドの高品質な生地を使った服やドレスでないのなら、彼にとっては全て同じに見えるのかもしれない。
「駄目だよ」と言ったトルパが頭に浮かんだ。エンドの冷たい視線が頭に浮かんだ。私は鍵がかけられた一人きりの部屋で体を小さくしてしゃがみ込んだ。死んだ心にこの感情の名前を聞いても答えてくれるはずもなく、心臓が虚しい程に早く鼓動を刻んだ。わからないけれど死んでしまいたくなった。




