4-9,嘘で甘美に煮込まれて
お歌の教室に迎えに来る父親のように、彼は次の日もこの密室にやって来た。南の国でぴっかぴかの太陽光を心に吸収したような穏やかな表情をしているのが貴族の紳士であるこの男なのだが、今日最後の客としてやって来た彼の微笑みは疲れているように見えた。
「仕事帰りでね」
昨日や一昨日に比べて鞄も重そうで、荷物も増えている。
しかし、優しい愚かものの彼は昨日話していた通り、本当にケーキを買って来ていた。厚紙で作られた箱を開けると絵本に出てくるお姫様が身に着けているドレスのような、クリームとフルーツが美しく輪を作るホールのケーキが入っている。
こんな大きなケーキを二人で食べることなど到底できないとこの男は知らないのだろうか。ただでさえ私は人間の時代よりもかなり胃が小さくなっている。それとも大きなケーキ以外知らないのだろうか。
私は馬鹿な強がりだから、奴隷であるくせに「元人間である」というプライドを消したくて仕方がないのに消せない間抜け者だから、そんな意地悪なことばかり考えながら、「いいんですか? 嬉しい。でも食べきれるかな」と頭の悪そうな声を出していた。
でも、ケーキを見たのは9歳の誕生日の日、父様と母様に祝ってもらって以来初めてだった。今この紳士が持ってきてくれたおそらく高級品であるこのケーキに見た目の豪華さも大きさも叶わないけれど、あれは今考えれば特別で、宝物といえるような思い出だった。母が作ってくれたのだ。今、思えば。この歳になって思えば
、ケーキなど家で作れるものなのかと、母親が子どものためにつくれるものなのかと、うずくまりたくなってしまう。私のためだけに作ったケーキで、私が起きて過ごして眠った家で作られたケーキで、私という人間の誕生を祝うためのケーキだったんだ。私の人生はもう終わってしまったんだ。
穢れた私は涙腺が波打っていることを感じ、今涙を流して見せるべきかやめるべきかを考えた。涙とは意図的に見せるものなのだ。そして、日数的にまだ早いと感じ、水分を下半身へと引っ込めた。今じゃない。
ケーキを食べながらの談笑は今まで培ってきた経験がほとんど活かせず難しかった。紳士は少し話しては話題を変え、また少し話しては話題を変えた。ぼろぼろの奴隷を前に幸せを語ることも苦労を語ることも日常を語ることも、優しい彼は望まない様だった。かといって私も性的な目的が一切ない相手に対して奴隷生活を語るなど頭がおかしいとしか思えず、話が発展しないのだ。
ケーキを食べ終えてしまった頃から、彼だってつまらなかったと思う。奴隷如きに気を使ってただでさえ仕事帰りであるというのに疲れたと思う。でも彼は帰り際にやっぱりこう言ったのだ。
「また来るよ。明日から海を渡った先の国に行ってしまうけど、数日で帰ってくるから。良いお土産が見つかるといいなあ。カラちゃん、覚えてないかもしれないけどラズベリーのジャムまだ好きかなあ」
私はおそらくだけれどラズベリーをしらない。ストロベリーならわかるけれど。
彼はドアから出て行った。私が妙な疑いをかけられないようにちゃんと外から鍵をかけ、私を閉じ込めてくれる。
しかし、扉の外から声が聞こえて来た。
「ご利用ありがとうございます。あなたのようなジェントルマンにご使用いただけて光栄です」
オーナーの声ではない。マスターの声だ。彼が部屋を出て行くのを待ち伏せていたのだろう。
第4話 嘘で甘美に煮込まれて end




