4-8,嘘で甘美に煮込まれて
貴族の紳士は次の日も客として訪れた。私を探し人のカラだと思いこんで疑わない彼は私の時間を三人分連続で買ってくれた。当分私は楽な奴隷生活が出来そうだ。
私が彼を「お客様」と呼ぶと「そう呼ばれるのは嫌だなあ」と笑われた。しかし、奴隷ごときの穴と時間を買うのに受付で名前を記入する等の必要はなく、私も受付もこのやたらと身なりの綺麗な男のことを客人ナンバーしか知らないのだ。
「じゃあ、なんとお呼びすればよろしいですか?」
「今は内緒でこっそりここに来てるから教えられないや。それに心の準備がまだ出来ていないんだ。僕が君に抱く罪悪感はそれほどまでに大きい。そのうち教えるよ」
お客様と呼ぶなというのに名前は教えてくないようだ。困り顔をして首を傾げて見せると彼は光沢のある革の鞄の中に手を突っ込んだ。
「代わり、って言ったら変だけれど、これをあげるね」
世間知らずという言葉を奴隷が使うのはあまりにもおかしい。世間で生きていくことすら許されない奴隷が世間など知っているはずもないのにそれを語ろうなどおこがましいにも程がある。しかし、ついその世間知らずという言葉を思い出してしまうほどに、この紳士は一般的ではないように見えた。世間から離れた美しさに囲まれた生活をして来たのだろうと予想でき、ゴミ箱の中で呼吸をしかろうじて心臓を動かすような私達の生活どころか、中間層や下層の人間の生活すら知らなさそうだった。
彼が私に差し出したのはシルバーのネックレスだった。紳士自身は充分な気品と高級感がありながらも品位のある恰好をしているというのに、そのネックレスは肩が凝りそうな程大きな赤い宝石が付いており、繊細さを微塵も感じさせないしっかりとしたチェーンや金具にも細やかな細工が施され、幼いころに母と手を繋いで見た美術館の骨董品を思い出させた。どこにつけていくというのだろう。仮に、いや、仮に自分が人間であったらの話はやめて置こう。もし、都会で暮らす人間の女の子がこのネックレスをプレゼントされたとしても、それに似合う場所も知らなければ合わせられるドレスもなく、街に着けていけば悪目立ちをするため家の中で楽しむしかないだろう。
密閉されたガラスケースか、宝石を身に着けていない日は物心ついた時から1日もないような人間様が良く似合う、そんなネックレスだった。
私は悲しそうに微笑んで、そっと優しく彼にそれを返した。
「こんな綺麗なものは初めて見ました。でも、見つかったらすぐに取り上げられてしまいますから。貴方が持っていてくれた方が私は嬉しいです」
プレゼントを取り上げられるなんて聞いたこともない、という顔だろうか。それともプレゼントを返されたことは初めてだ、という顔だろうか。彼は驚いているようだったが、やがてまたおだやかに笑った。
「じゃあ、明日ここにケーキを持って来たら一緒に食べてもらえるかな」
私は昨日から今までにかけて見せた表情の中で、飛び切りの笑顔を彼にあげた。彼は満足そうに笑ってネックレスをケースに戻し鞄へと放った。




