16-7,奴隷と子どもはぐっすり眠る
目の下に隈を作って帰って来た母は私の話しを聞くと床に座り込んでしまいました。それからすぐに帰ってきた父と共に警官に助けを求めましたが街の見回りを厳重にすることと何かわかったことがあれば連絡すると住所や名前を聞いただけで相手にはしてくれず、直接キンファ家を尋ねましたが父と母の服装を冷たく観察した後に名前も聞かずに来客リストに入っていないと追い出されました。豪邸の門の前で泣き叫び母を通行人達は一生懸命見てみぬふりをしているようで、早歩きをさらに早くして次々に去って行きました。
呆然としながら家に帰ると、見知らぬ紳士がドアの前に立っていました。真っ黒なスーツとシルクハットで整えられた、上品に髭を生やした中年の男性でした。挨拶を遮り「娘を返せ」と怒鳴る父に紳士は涼し気な表情と優美な動きで封筒を差し出し、口の止まらない父を威圧によって黙らせ、「お待ちしております」と私に恭しく頭を下げ、立ち去りました。
封を開けると長ったらしい礼儀を重んじる伝統的な挨拶が便箋の1枚目の半分まで続き、父は卑しい身分であるにも関わらず舌打ちをしました。要求は私ポッカがキンファ家の令嬢になりすまし、クレアモリアと言う街の貴族ルズル家に人質として嫁ぐことでした。確かに私はお嬢様と同じ年齢でしたが着飾ったこともないみすぼらしい私が選ばれることはとても奇妙でした。父は首を激しく横に振りました。断った場合、そしてルズル家の者に見破られ失敗に終わった場合、兄であるチャックの命はないと記されているのです。
「裕福な生活など一切させてやれなかった俺達のポッカに令嬢の役なんて出来るはずがない。当主を説得しよう」
そう叫んだ父の腕を掴むと、母は彼の耳元で何かを囁きました。この時私は何を言っていたのか聞き取ることが出来ませんでした。
しかし、今ならわかります。母は父に真実を告げたのです。私が母の子どもではあるが父の子どもではないことを。私という人間は、キンファ家の当主様とメイドとして勤めていた母の間に生まれた子であると。そう、私にはキンファ家のお嬢様と血のつながりが確かにあり、あの時直々にいらっしゃった旦那様はどれほど似ているかを確認していたのです。
あぁ善人であられる観客の皆様、どうか母の代わりに私をお叱りくださいませ。気が弱く立場も弱い母はきっと、威厳も富もお持ちである彼の要求を断れなかったのです。いや、違います。申し訳ありませんでした。愚かな発言をいたしました。きっと私の母が不幸な顔つきで妖艶に誘惑したに違いありません。
真実を告げられた父は母の顔を見ずに、私の顔をずっと見続けていました。口は開いたままでしたが息もしていない様子でした。
次の日、私はあのシルクハットの紳士が恭しく促すとおりに、立派な馬車に乗りました。父も母も残して。父と母が一晩考えても、兄と私の2人とも無事に生活を送ることが出来る可能性があるのはルズル家を欺き嫁入りすることしかないようでした。私はルズル家の人間の目が節穴であることと善人であることを祈り、いえ、言いなおします。キンファ家の命令を遂行できるように祈り馬車に揺られました。