16-4,奴隷と子どもはぐっすり眠る
牢屋の中には私とあともう一人いる。パンツスーツを着た女の狼だ。ウサギは役目を終えるとさっさと帰ってしまった。きっと今頃はちみつがたっぷりかかったパンケーキを食べているに違いない。いや、もしかしたらメイプルシロップにひんやりとしたアイスクリームかもしれない。
「お前はどうして牢屋に入れられたんだ?」
狼が低い声で私に聞いてきた。
「運命だから、と。そう聞きました。私の持つ災いの種を燃やすことこそが、世の平和を叶えるのだと」
「こんな腐った世界に平和なんてきらびやかで抽象的なものが訪れると思うか?」
「やっとはいはいを覚えた赤子も愛する夫の帰りを待つ妊婦も恋が実ったばかりの若者も、無差別に死にゆくことが当然である未来を防ぐことができたのならば、未来の世界がどうなっていようと誰が悲しんでいようと私だけはその世界を平和であると笑う権利が得られるでしょう」
狼は納得していないような表情をしたが大きな口から零れ落ちそうな唾液をすすっただけで何も言い返しはしなかった。
「狼さん、あなたはどうしてこんな牢獄の最深部へ」
彼女は深いため息をついた。
「傍観という罪だ。渡された分厚い札束を見て恋に落ちてしまったんだ。それを手放すことが恐ろしいことに思えて、俺は可愛くて尊い少女のために拳を振るうことも出来なければ声をあげることも出来なかった」
「私のことは散々容赦なく蹴ったというのにね。その傍観という罪はあの血まみれの子ども部屋と関係があるの?」
「あれは俺の父親の血液だ。関係ない」
「そう。ならいいわ」
狼は肩が凝ったのか首をぐるぐると回した。
「なあ人間、ティータイムでもしないか? 喉が渇いちまった」
「私の喉が渇いたけれど、ここにはポットも茶葉もカップもないわ」
「そんなもの、用意させればいいんだよ。そんなことも思いつかないのか?」
狼が手を二度ほど叩くと、10匹以上のネズミたちが列を作って格子の前までやってきた。まるで波を作るかのようにお辞儀をされる。
「アフタヌーンティーの準備をしてほしい」
ネズミたちはそれぞれ3度ほど飛び上がってから深々と頭を下げた。
「かしこまりました。アールグレイでよろしかったでしょうか?」
狼がこちらを向いたため私が答えた。
「かまいません。お願いします」
ネズミたちは大急ぎで走って暗闇に消えてしまった。しばらくすると桃色や黄色や緑、それににこにこした顔の水色のウサギがティーセットを持ってやってきた。
「あら、あなたはここで給仕の仕事をしているウサギだったの?」
私が聞くと水色のウサギは首を横に振った。
「何をおっしゃっているのですか救世主様。僕は今日初めてあなた様に出会いました。高貴なあなた様の前にこうして膝をつき頭を下げることが出来ること、幸運この上ございません」