16-2,奴隷と子どもはぐっすり眠る
まるで封印されていたかのように閉ざされ続けていたであろうこの部屋は流石に埃臭い。その埃の匂いが、いや埃の香りが、エンド達と過ごしたあの豚小屋や死体処理場の狭い高密度の箱を思い出させた。アルマと過ごす時間を幸運だと思う一方で、自他共に認める奴隷であるあの頃が恋しくなってしまう。ロンド卿の元で人間になろうとした時の血液はまだ体内に残っているだろうか。
奴隷として毎日命を削りたいわけではない。その運命を望んでいない。ただ他者から見た自分と己が認識する自分と自身の運命、その全てが違う方向を指し示し首から伸びる鎖が三方向に引っ張られ足が地面につかないのだ。
「胃袋の中身になれたらな」
ふと口からそうこぼれ落ちたのは急に部屋の真ん中に広がるあの赤いゾウが、何に例えることも出来ないただの血液にしか見えなくなったからだ。
私は後ろを向き膝立ちになると顔を窓から見せないように用心しながら窓をほんの少しだけ開けた。もうちょっとだけでも冷たい風が入ってきてくれればいいのにと思った。
しばらくするとどこかの家から紅茶の香りが流れてきた。その中にベルガモットを感じるのだからアールグレイなのだろうか。母様が一時期紅茶にはまっていたことがあったのだ。父様が焼いてくれた形が整いすぎていて手作り感のないクッキーと一緒に、親子3人で休日の昼を過ごした。
「まっしろなレースのテーブルクロスにお揃いのティーカップ。チョコレートとジャムのクッキーのとなりには黄色と白の小さなお花。旦那と娘と一緒にそれを囲むの。まるで小さい頃の夢が叶ったようだわ。素敵」
そう言った母の表情が大袈裟な程に喜びに満ちていて、私は思わず恥ずかしくなって俯いてしまったのだ。あの頃私は自分が母の幸せの中心にいることを確信していたため改めて口に出されると照れくさかったのだ。
過去を思い出すことはいずれ毒となる薬であると、脳みそが言っているのだろうか。瞼の裏側で睡魔が心地の良いリズムで目尻を撫でるのだ。深く息を吸うと、それを吐くときに体の中身がお尻に向かって落ちていくように感じた。そうして私は、抗うことなく流されるまま眠気を味わい飲み干した。
にこにこ顔の水色のウサギが、眠っていた私の髪を引っ張った。おでこの上ではふかふかの胸をしたピンク色の鳥が足踏みをしながら歌っている。
ウサギは鼻をひくひくさせながら、うんと高い声で言った。
「起きて起きて。もうすぐパーティがはじまるよ。君はまだドレスも着ていなければ髪もとかしていないよ。お姫様はたくさんお菓子を用意して君を待っているんだから寝ている場合じゃないよ。君はもう充分眠っただろう?」